朴念仁の戯言

弁膜症を経て

2019-01-01から1年間の記事一覧

一日不作 一日不食 ⑳

ここは京都山科にある清閑な勧修寺の仏光院である。今年80歳の春を迎えられた院主順教尼は、ひとり身体障害者のみに限らず、門を叩く来訪者のために、求められるままに、ある時は厳しく、ある時は天衣無縫に、まことに活機にあふれた道を示しておられるので…

一日不作 一日不食 ⑲

「世をはかなんで尼になりたいと申されるのですか」「はい、どうにもならない家庭の問題がありまして、煩悶の末、出家することができたらと、思い詰めて参りました」「それで、わたしにどうしろと言われるのですか」「先生の手で、どうぞ私を救ってほしいの…

露草の声 ⑱

彼が左手に持つ箸の運びは誠に美しく少しも不自然ではありません。やがて彼は荷物の中から二、三葉の短冊を取り出して、私に見せました。いずれも俳句ばかりで、雅味のある千蔭(ちかげ)流と思われる書体も私を悦ばしてくれました。 「あんた、二、三日ゆっ…

露草の声 ⑰

朝も庭に下りたち、露に濡れた草を心地よく踏みながら雑草を取っておりますと、誰やら後ろに人の気配がいたします。後ろを振り向きますと、そこに一人の若い男が立っています。私の草を取っている姿を見ていたらしく、懐かしそうに、黙って丁寧に頭を下げま…

不思議な出来事

彼岸に、昨年亡くなった義姉を思い出します。生前、姉と二人で度々実家に遊びに行きました。穏やかな人で、「よく来たない」と迎えてくれ、3人で楽しくお茶を飲みました。そんな義姉の世話になって旅立った父母は本当に幸せだったと思います。 一時間ほど話…

春彼岸に思う

この世は、肉を纏った100年そこらの小旅行。人として喜怒哀楽、四苦八苦を味わい、魂を磨き、やがては肉を脱ぎ捨て、異界へ還る。歳を重ね、残された年数を数える。平均寿命からすれば折り返して10年、肉体の死は少しづつ現実味を帯び出した。時間という概念…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑯

久めは吉原の辰稲弁楼の瀬川花魁、私は堀江遊郭山海楼の舞妓妻吉となって、8年ぶりに逢ったところは、仲の町の辰稲弁楼の揚屋でありました。 このめぐり逢いの後、私はたびたびこの瀬川花魁のもとへ通いました。ついには楼主の知るところとなり、ある日、二…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑮

遭難(堀江遊郭6人斬り)の翌年のことでした。年の暮れに大阪を出立(しゅったつ)しまして、私たちは上京をいたしました。新橋駅へ着きますと、多勢の出迎えの人々の中に、有名な幇間(ほうかん)桜川善孝が弟子たちや、吉原の芸妓連を案内して私を待ってい…

「人間性」反故にしたのは

特別寄稿 相模原事件一年後の視座 一年間とくと考えさせられた。いくつかの原稿を書き、本を読みかえし、対話し、長いインタビューも受けた。おぼろげながらわかってきたこと、まだ得心がいかないこと、いまさらにたまげたこと・・・が多々ある。誰も内心うろた…

血より濃きもの -すてられし子にー ⑭

定められた時間にまいりますと玄関で待たされること一時間あまり、やがて大きな座敷へ通されました。博士は火桶に手をかざしながら私をギョロリと見て、「あんたを呼んだのは別(ほか)でもない、芳男に子どもがありますか?」 私はたぶんこんなことだろうと…

血より濃きもの ーすてられし子にー ⑬

チッチュク チッチュク チッチュク チウスズメが鳴いてよる何というて 鳴いてよるチッチュク チッチュク 鳴いてよる 生まれて一年たらずの子がこんな他愛ない片言をいいながら、私の背なで喜ぶのです。この子は私に何の血のつながりもない子でありますが、私…

失いしもののために ⑫

「ちょっと待って、あなた。先ほどからこの体とか、不具者だからとかいわれますが、不具者がなんです。障害者がなんです。そんなこと問題ではありません。障害は肉体だけで十分です、精神的にまで不具者根性になっておられるのは情けないじゃありませんか。…

失いしもののために ⑪

ある年の秋、私は例によって朝早く庭に出て草を取っていました。両手のない私とて、足の指先で梅雨にしっとりぬれた杉苔のフワフワとしたなめらかな感触をしみじみと親しみながら、その中から出ている草を根元から引きぬくとき、杉苔の生いたちに障害を除い…

あるがままに

春のような日差しが、とてもまぶしく感じられる。私の心にも変化が表れてきたようだ。 病をがっちりとつかんで、終活にとらわれて、むなしい日々を送ってきた。幸せであっても、過ぎ去った楽しかったこと、良かった出来事などを、いつまでも引きずって、これ…

真実の一字 ⑩

翌(あく)る朝いつものように、私のために一時間早く来られた先生は相変わらずにこやかに座につかれましたが、どこか厳かなお声で、「どうや、昨日の答えはできた?」「わかりませぬ、いくら考えましてもわかりませぬが、先生はお手々で筆をお持ちになって…

真実の一字 ⑨

私のような者をひろいあげ、教え導いていただきました恩師藤村叡運御僧上のことを申し上げたいと思います。当時藤村叡運御僧上は大阪生玉にあります真言宗持明院のご院主でありました。現代の兼好法師ともいわれた方で、歌人としてまた国文学の大家として著…

種蒔く人 ⑧

このようなわけでこの札幌の本屋さんが、私にとりまして大恩人でございます。自分で行きますればたいへんな費用がかかりますが、厚生省から行けといわれる。こんな結構なことはございません。まず札幌に行って、50銭の大辞林をくださったあの本屋さんに会い…

身を賭し子を守った父

今年も北海道は、厳しい冬のようです。この時期になると、6年前に発生した痛ましい事故が思い出されます。 猛吹雪の日、父が車で小学3年の娘を児童センターに迎えに行きましたが、帰りに車が雪に突っ込んでしまいました。ガソリンが少なかったことから、近く…

種蒔く人 ⑦

「妻ちゃん(順教さん若かりし頃の芸名)、あんた明けても暮れても勉強がしたい、したいといっているけれども、可哀想にどこに行っても断りをいわれているそうだが、いっそ字引きを買って、字引きで勉強したらよいではないか」と(ある人が)いってくれまし…

取り留めもなく

昨日、母に宅配物がありました。宅配物の段ボール箱には「落花生」の大きな文字が書かれてありました。箱の中には落花生の菓子がたくさん入っていました。 母は、このことを早く私に知らせたかったのです。私が仕事から帰って家に入るとすぐに、母は段ボール…

私の心がけ ⑥

それからの私は何事によらず、自我を捨てて素直に、人の手を感謝して貸してもらうように心がけました。まして双手のない私は、誰の器にも入れるように、一つの輪の中へ融け込むようにと、努力しました。 それは決して封建的でも、自由束縛でもありません。さ…

心の声

4人だけの男だけの職場。なぜこのメンツで仕事をしているのか、ふと考える。しゃべりたくなければ黙っていればいいし、他愛もない会話に愛想付き合いすることもない。気を遣う必要もなく気楽だが、そのせいで投げ遣りで雑な気遣いになっていることに気付く。…

血の出るような思い ⑤

私は体をかたくして、丁寧に校長先生に頭を下げました。 「私(わて)、今この土地の寄席に出ています両腕のない芸人でおますが、カナリアに字を書くことを教えてもらいました。先生、どうぞ私に字を教えておくれやす、筆は口に慣れましたが、字を知りまへん…

悲しみの涙 ④

捨て身の修行者が断崖から飛び、羅漢果(らかんか)を得た悦びと申しましょうか、私は自由に筆が動くうれしさで、胸がおどるのでありました。 さて、筆は思い通りに動く、さあ、何という字を書こう、と白紙に向かいました時、私の眼から大粒の涙が紙の上にぽ…

小鳥の教え ③

人は誰でも物質が一番先にたつように申しますが、私は物質よりも他に求めている物があるような気がしておりました。 ではそれは何である、といわれましたら、さあ、何でしょう、自分でもわかりませんが、私の心は槌(つち)の下でうちひしがれた藁のように力…

ピカピカ電気で疲れ切った並木

「ライトアップは電力の無駄遣い」に全面的に賛成です。光のページェントやら何やかんやいって、並木になんか電気をつけて喜んでいる。樹木だって夜はゆっくり休みたいはず。それなのに一晩中、ピカピカ電気をつけて「並木いじめ」をしている。並木は黙って…

内で習いが外で出る ②

それは、私が15の年の正月だったと記憶しております。私が家のご不浄から出て参りますと、そこにお義父さんが立っていました。そして私に、 「妻吉(つまきち)、お前、今年いくつになった?」 「私(わて)、15になりました」 「ふうん15にな、15の娘がご不…

使命に生きよ ①

(「堀江遊郭6人斬り」から生還して退院時のこと) 私はいよいよ今日、退院することになりました。院長さんを始め、婦長さんや、その他の先生方、看護婦さんたちに、お礼やらご挨拶に参りました。さてこの病院を出るとなれば、何となく心残りでもあり、4年ぶ…

感服する思い

生きてこそ生きてこそ咲く老いの花 佐藤良子 川柳三日坊主主宰・県川柳連盟副会長の佐藤良子先生の作品です。私事になりますが、昨年4月にがんの手術、それから半年間抗がん剤治療での入退院生活を送りました。その際いただいた見舞状に添えられた句です。「…

指し続け うつ乗り越えた

闘病つづった本が話題 先崎学 九段将棋の先崎学九段(48)は才能豊かな棋士として知られているが、2017年にうつ病を発症し、約1年間休場した。回復までの日々を赤裸々に描いた「うつ病九段」(文芸春秋)を出版、話題を呼んでいる。人気棋士はどう病気を乗り…