朴念仁の戯言

弁膜症を経て

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉒

「それで先生は、いつも明るく生きてゆけるのですか」「私のいう″心の生き方″というのは、手のない人は、み仏の手をいただき、眼のない人は心の眼を開かなければならないのだよ。そして足の不自由な人は感謝の心でしっかりと大地を踏まなくてはならないのだ…

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉑

「先生、お背中流しましょうか」「ありがとう、お願いしますよ」緑蔭に包まれた仏光院の昏(く)れは早い。 「おや、垣根に、夕顔の花が……」浴場の片隅に置かれたタライ湯の中で、順教尼は足の不自由な塾生を相手に、夏の夕暮れの風情(ふぜい)を楽しんでい…

一日不作 一日不食 ⑳

ここは京都山科にある清閑な勧修寺の仏光院である。今年80歳の春を迎えられた院主順教尼は、ひとり身体障害者のみに限らず、門を叩く来訪者のために、求められるままに、ある時は厳しく、ある時は天衣無縫に、まことに活機にあふれた道を示しておられるので…

一日不作 一日不食 ⑲

「世をはかなんで尼になりたいと申されるのですか」「はい、どうにもならない家庭の問題がありまして、煩悶の末、出家することができたらと、思い詰めて参りました」「それで、わたしにどうしろと言われるのですか」「先生の手で、どうぞ私を救ってほしいの…

露草の声 ⑱

彼が左手に持つ箸の運びは誠に美しく少しも不自然ではありません。やがて彼は荷物の中から二、三葉の短冊を取り出して、私に見せました。いずれも俳句ばかりで、雅味のある千蔭(ちかげ)流と思われる書体も私を悦ばしてくれました。 「あんた、二、三日ゆっ…

露草の声 ⑰

朝も庭に下りたち、露に濡れた草を心地よく踏みながら雑草を取っておりますと、誰やら後ろに人の気配がいたします。後ろを振り向きますと、そこに一人の若い男が立っています。私の草を取っている姿を見ていたらしく、懐かしそうに、黙って丁寧に頭を下げま…

不思議な出来事

彼岸に、昨年亡くなった義姉を思い出します。生前、姉と二人で度々実家に遊びに行きました。穏やかな人で、「よく来たない」と迎えてくれ、3人で楽しくお茶を飲みました。そんな義姉の世話になって旅立った父母は本当に幸せだったと思います。 一時間ほど話…

春彼岸に思う

この世は、肉を纏った100年そこらの小旅行。人として喜怒哀楽、四苦八苦を味わい、魂を磨き、やがては肉を脱ぎ捨て、異界へ還る。歳を重ね、残された年数を数える。平均寿命からすれば折り返して10年、肉体の死は少しづつ現実味を帯び出した。時間という概念…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑯

久めは吉原の辰稲弁楼の瀬川花魁、私は堀江遊郭山海楼の舞妓妻吉となって、8年ぶりに逢ったところは、仲の町の辰稲弁楼の揚屋でありました。 このめぐり逢いの後、私はたびたびこの瀬川花魁のもとへ通いました。ついには楼主の知るところとなり、ある日、二…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑮

遭難(堀江遊郭6人斬り)の翌年のことでした。年の暮れに大阪を出立(しゅったつ)しまして、私たちは上京をいたしました。新橋駅へ着きますと、多勢の出迎えの人々の中に、有名な幇間(ほうかん)桜川善孝が弟子たちや、吉原の芸妓連を案内して私を待ってい…

「人間性」反故にしたのは

特別寄稿 相模原事件一年後の視座 一年間とくと考えさせられた。いくつかの原稿を書き、本を読みかえし、対話し、長いインタビューも受けた。おぼろげながらわかってきたこと、まだ得心がいかないこと、いまさらにたまげたこと・・・が多々ある。誰も内心うろた…

血より濃きもの -すてられし子にー ⑭

定められた時間にまいりますと玄関で待たされること一時間あまり、やがて大きな座敷へ通されました。博士は火桶に手をかざしながら私をギョロリと見て、「あんたを呼んだのは別(ほか)でもない、芳男に子どもがありますか?」 私はたぶんこんなことだろうと…

血より濃きもの ーすてられし子にー ⑬

チッチュク チッチュク チッチュク チウスズメが鳴いてよる何というて 鳴いてよるチッチュク チッチュク 鳴いてよる 生まれて一年たらずの子がこんな他愛ない片言をいいながら、私の背なで喜ぶのです。この子は私に何の血のつながりもない子でありますが、私…

失いしもののために ⑫

「ちょっと待って、あなた。先ほどからこの体とか、不具者だからとかいわれますが、不具者がなんです。障害者がなんです。そんなこと問題ではありません。障害は肉体だけで十分です、精神的にまで不具者根性になっておられるのは情けないじゃありませんか。…

失いしもののために ⑪

ある年の秋、私は例によって朝早く庭に出て草を取っていました。両手のない私とて、足の指先で梅雨にしっとりぬれた杉苔のフワフワとしたなめらかな感触をしみじみと親しみながら、その中から出ている草を根元から引きぬくとき、杉苔の生いたちに障害を除い…

あるがままに

春のような日差しが、とてもまぶしく感じられる。私の心にも変化が表れてきたようだ。 病をがっちりとつかんで、終活にとらわれて、むなしい日々を送ってきた。幸せであっても、過ぎ去った楽しかったこと、良かった出来事などを、いつまでも引きずって、これ…

真実の一字 ⑩

翌(あく)る朝いつものように、私のために一時間早く来られた先生は相変わらずにこやかに座につかれましたが、どこか厳かなお声で、「どうや、昨日の答えはできた?」「わかりませぬ、いくら考えましてもわかりませぬが、先生はお手々で筆をお持ちになって…

真実の一字 ⑨

私のような者をひろいあげ、教え導いていただきました恩師藤村叡運御僧上のことを申し上げたいと思います。当時藤村叡運御僧上は大阪生玉にあります真言宗持明院のご院主でありました。現代の兼好法師ともいわれた方で、歌人としてまた国文学の大家として著…