朴念仁の戯言

弁膜症を経て

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「家庭」は家と庭

以前、私は都立高校で家庭科の講師をしていたことがある。今の子どもは内(家)にこもりがちで、外の環境、すなわち自然や生き物に肌身で触れる機会が少な過ぎる。学校の家庭科でも裁縫や料理など内でやることばかりが授業になっている。なぜ家庭なのに庭に…

「初恋の少女」誕生の地

川端康成の手紙 会津若松 93年前のきょう、1921(大正10)年10月8日。当時22歳の東京帝大生だったノーベル賞作家川端康成は、岐阜市の長良川河畔にある旅館で、15歳の少女に結婚を申し込んだ。この少女が、川端の初恋の人といわれる、会津若松市生まれの伊藤…

僧侶、新たな姿を求めて

福祉と仏教「寝ている間に仏さんに迎えに来てもらう。それで、あんたにおまいりしてもえたら、ええな」90歳を超えた女性の言葉に、真宗大谷派僧侶の三浦紀夫(49)は大きくうなずいた。「うれしいな。わが人生に悔いなしや」年齢を感じさせない張りのある声…

三度入院の師僧 眠るような最期

私の師僧は21年前に満99歳で死去した。弟子入りした時が師僧86歳、それまで一度も医者にかかったことがないのに私は三度病院に運んだことがある。 最初は脳の4分の3が真っ白だと言われたので脳出血か。入院して一週間後、退院するまで医者はCTを撮ったのみ。…

夢実現の時にすべてを失った現実

夢中で子育てし、ホッとした時には孫守が始まった。多忙のとき、二人で旅行するのが何よりの楽しみだった。やっと暇を見て国内旅行し、外国に行くのが夢だった。妻が63歳の12月末、この年から年賀状を印刷した。妻には友人に近況を知らせたらと数枚の賀状を…

憲法9条 空洞化の危機

解説集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更が閣議決定され、戦後維持してきた抑圧的な防衛政策の転換が決まった。与党協議は多くの論点を詰め切れないまま決着し、拙速の印象は免れない。国民理解は置き去りにされ、憲法9条の理念は空洞化の危機にさらさ…

父の罪、許されない

オウム・松本死刑囚の四女 「生まれた自分が憎い」オウム真理教の松本智津夫死刑囚(59)=教祖名麻原彰晃=の四女(25)が14日までに共同通信の取材に応じ、「父は許されない罪を犯した。被害者の方々に償いきれるものではなく、死刑の執行を望んでいる」と…

つながり

「愛は溢れゆく」と言われています。 一人の長距離トラックの運転手が、自分の体験を投書していました。 「その日、自分は夜っぴて運転し続けて、あと少しで目的地に到着するはずでした。朝の7時頃だったでしょうか、目の前を一人の小学生が、黄色い旗を手に…

見直される俳句の力

震災詠と戦争詠 究極の詩型の強み ー沈黙の量ー2月24日、東京のホテルで開かれた読売文学賞贈呈式。詩人の高橋睦郎さんが選考委員代表として壇上に立った。「3.11という深刻な事態に対し、散文も詩も短歌もしゃべりすぎ。俳句だけがその詩型の宿命上、含み込…

壁を乗り越える

「今の子どもたちは打たれ弱い。その理由の一つとして考えられるのは、この子たちは海で泳ぎを習わず、プールで習ってきているからだ」と言った人がいます。つまり、波にぶつかる機会がないまま育ってしまったために、世間の荒波にぶつかった時に対処できな…

ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」

なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。 ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座って…

99歳 熱い「たいまつ」

今年1月に99歳を迎えたむのたけじさんは、「反骨のジャーナリスト」と呼ばれることに抵抗を覚えることがあるという。理由を、著書「九十九歳一日一言」(岩波新書)で次のように書いている。「『反骨のジャーナリスト』というのは『空の色をした空』みたいな…

始めの一歩

江戸時代、堺の町に吉兵衛という人がいました。商売も繁昌していたのですが、妻が寝たきりの病人になってしまいました。 使用人が多くいたのにもかかわらず、吉兵衛は、妻の下の世話を他人に任せず、忙しい仕事の合間を縫って、してやっていました。周囲の人…

1977(昭和52年)2月14日 青酸コーラ事件

大阪で男性がたばこ自動販売機の上に置かれたコーラを飲み意識不明で入院、この日、瓶から青酸反応が出た。東京の青酸コーラ事件から約一ヶ月。男性は「格好が悪い」と、退院後に自殺。直後から毒入りチョコ事件が相次いだ。 ※平成26年2月14日地元紙掲載

自然環境の保全 最優先に考えて

ラジオで予算委員会の中継放送を聞いていた。東京五輪のカヌー競技場が葛西臨海公園に建設されることを知った。ここは東京随一の野鳥の宝庫で、多様な生態系が形成されている。質疑を聞きながら、沖縄の基地問題での辺野古埋め立てが思い浮かんだ。埋め立て…

仕事と私

「何を考えながら、仕事をしていますか」突然、背後から英語で問いかけられた私は、手早く皿並べの手を止めて、「別に何も」と答えました。すると返ってきたのは、厳しい𠮟責。「あなたは時間を無駄にしています」アメリカのボストンで修練者として生活して…

ソチ五輪に行かないで

釈放の女性バンド訴え 【ニューヨーク共同】ロシアのプーチン大統領を批判するパフォーマンスをして実刑判決を受け服役、昨年末、釈放された女性バンド「プッシー・ライオット(子猫の暴動)」の2人が5日、ニューヨークで記者会見し、ソチ冬季五輪観戦旅行に…

潤い

マザー・テレサの修道会の仕事の一つに、貧しい人たちへの炊き出しがあります。日本なら、さしづめ、おにぎりと味噌汁、外国ならパンとスープを、列を作って並んでいる空腹を抱えた人たちに渡してあげる仕事です。 夕方、仕事を終えて修道院に戻って来るシス…

母子手帳で知った愛

心に響くメッセージとともに、ユーモラスな鬼の絵を描く画家、しの武さんがエッセー「もう、なげかない」(小学館)を出版した。波瀾万丈の半生から生まれた、温かい人生哲学が胸を打つ自叙伝だ。「私は母の顔を知らないんです」と話すしの武さん。実母は、…

死者を偲ぶ

17歳の暮れでした。カトリックの洗礼を受けてもいいかと尋ねた私に、母は大反対し、その理由の一つとして、戦争中にバタくさい宗教に入ることはないと言いました。二つ目の反対理由は、宗旨が違ったら、浄土真宗で亡くなった父をはじめ、ご先祖様への供養が…

浮世のはかなさ 浮かぶ雲に思う

ふわっと浮かぶ雲にあれこれ連想しながら、浮世のはかなさに浸っている。畑の雑草とは休戦中の安らぎの中で、つかみどころのない不安に駆られるのは数え86歳の故でしょうか。亡き母を偲べば、89歳の坂は越せなかったが、「86になってみな」と言っていた。そ…

人生を変えた言葉

まだ20代初めの頃のことでした。戦争に負けた日本で、働き手のいない旧軍人の家庭は、経済的に苦しく、アルバイトをしながら大学を卒業した後、私は7年間キャリアウーマンとして、アメリカ人相手の職場で働いて家計を助けていました。 4人兄弟の末っ子だった…

壊れたボイラー

昨年、家のボイラーに火がつかなくなりました。燃料がないのかと思ってタンクを見ると、確かに入っています。義父の33回忌法要を二日後に控えていたので、泊まる人たちが風呂に入れないでは困ると、がっかりしました。いつも世話になっている鉄工所に頼んで…

宝物

アメリカにいた時のことです。ある高等学校で生徒たちに自分の宝物を持って来させ、皆の前で、なぜ、それが宝物なのかを発表させてことがありました。 生徒たちは思い思いのものを持ち寄り、説明します。誇らしげに、「これは高価な宝石なんだ」「外国からの…

潜伏30年

終戦を信じず、フィリピン・ルバング島に潜み、部下と共に戦い続けた。16日に都内の病院で91歳で死去した元陸軍少尉、小野田寛郎さんは「頑固な性格」を自負。「だから30年も戦ったですよ」情報将校を養成する陸軍中野学校二俣分校で培った記憶力と頭の回転…