朴念仁の戯言

弁膜症を経て

母子手帳で知った愛

心に響くメッセージとともに、ユーモラスな鬼の絵を描く画家、しの武さんがエッセー「もう、なげかない」(小学館)を出版した。波瀾万丈の半生から生まれた、温かい人生哲学が胸を打つ自叙伝だ。
「私は母の顔を知らないんです」と話すしの武さん。実母は、生まれたばかりのしの武さんを父の実家に預け、姿を消した。その後、父も同居できなくなり、7歳から4年間、児童養護施設で育った。
「でも施設の先生や祖父などたくさんの人が、親代わりになってくれたので、決して不幸ではありませんでした」
父との生活が再開したが、継母との関係がうまくいかず、中学2年の時に家を飛び出す。子どもができて結婚し、16歳で長男を出産―。家庭に憧れ「いい母になりたい」と選んだ道だったが、現実は甘くなかった。
泣きわめく息子を前にイライラを募らせる日々。ほとんど育児ノイローゼだったこのころのことを、しの武さんは「頑張ってもどうにもならず、『こんなはずじゃなかったのに』とばかり考えていた」と振り返る。
エッセーには離婚のことや、鬼を描くようになった経緯など、その後の人生も赤裸々に書いた。
印象深いのは、しの武さんが3年前、児童養護施設を訪ねた際のエピソードだ。「最近、出てきたのよ」と先生から手渡された自分の母子手帳。「おっぱい良好でした」と記された文字に、手が震えた。
「ああ、私はちゃんと母に抱きしめられ、母乳も飲ませてもらっていたんだ、と。ずっと愛されていなかったと思ってきたけど、そうではなかったと気付き、自分の人生を受け入れられた」
周囲からは、描く鬼が、この時を境に優しい表情になったと言われる。
「誰でも心の中に一匹ぐらい鬼がいるもの。自分の鬼を受け入れて生きていこう、というメッセージを伝えたい」

平成26年1月30日地元紙掲載