朴念仁の戯言

弁膜症を経て

文学

業と信念の作家人生

車谷長吉氏が突然亡くなったと聞き、驚いた。食べ物を喉に詰まらせた窒息死だというから、突発的な事故だったのだろうか。あの強烈な文章がもう読めないのかと思うと、今後の日本文学がひどく退屈に感じられる。こんな作家はもう二度と現れないだろう。大家…

「初恋の少女」誕生の地

川端康成の手紙 会津若松 93年前のきょう、1921(大正10)年10月8日。当時22歳の東京帝大生だったノーベル賞作家川端康成は、岐阜市の長良川河畔にある旅館で、15歳の少女に結婚を申し込んだ。この少女が、川端の初恋の人といわれる、会津若松市生まれの伊藤…

見直される俳句の力

震災詠と戦争詠 究極の詩型の強み ー沈黙の量ー2月24日、東京のホテルで開かれた読売文学賞贈呈式。詩人の高橋睦郎さんが選考委員代表として壇上に立った。「3.11という深刻な事態に対し、散文も詩も短歌もしゃべりすぎ。俳句だけがその詩型の宿命上、含み込…

生き残った使命 原動力

一行の背後に膨大な努力がある。山崎豊子さんの書くことへの執念はすさまじかった。原動力となっていたのは、戦争で生き残ったことに対する罪障感と使命感だ。 2010年の冬、堺市の自宅を訪ねた。山崎さんはその数年前から全身が痛みに襲われる原因不明の病に…

隣席のしずかな涙

本格的に小説を書きはじめたのは22歳になるかならないかといったあたりのことだが、それ以前から、私は将来当然小説を書くのだと思い込んでいた。 はじめにそう思い込んだのは、幼児のころだ。なぜそんなことを思ったのかわからない。私は絵本が好きで、母親…

人が人に残すものとは

愛する。傷つける。いたわる。人と人との関係には、さまざま形がある。作家の千早茜さんは連作短編集「あとかた」(新潮社)で「残すこと」をテーマにした。関わりの残骸を、情感豊かに描く。「人に何かを残したい人や、残されたものを消したい人、残せなか…

「小説とは人間を書くこと」

作家の平岩弓枝が、50回目の節目を迎えた「長谷川伸の会」で、師である長谷川の思い出を語った。平岩は「小説とは物語を書くのではなく、人間を書くことだ」という長谷川の言葉を紹介。「先生が亡くなって50年がたった。世の中も文学の世界も変わったが、こ…

とてつもない巨人、利休

直木賞に決まって 山本 兼一 このたび、「利休にたずねよ」という作品で、第140回の直木賞をいただくことに決まった。まことに光栄なことだと感謝している。 歴史小説を書くにあたって、わたしは、できるだけ綿密な取材をすることを信条としてきた。 松本清…

時代性より世代性重視

芥川賞受賞者に聞く 契約社員としてつつましい生活を送る29歳の独身女性を描いた津村記久子さん(30)の小説「ポトスライムの舟」が芥川賞に決まった。働きながら執筆を続ける津村さんは「大きな望みやお金が無くても楽しく生きていけると訴えたかった」と語…

魂の自由、真実求めた作家

ソルジェニーツィンを悼む 「ソルジェニーツィンのことを手紙に書く場合はSとだけ表記しよう」。これが1972年にロシアの学生の一人と取り決めた暗号だった。手紙が国境で開封されることを予測しなければならなかった旧ソ連時代、「ソルジェニーツィン」とい…

天安門世代が引かれた感性

評論『楊逸さんに芥川賞』 日本文化の特徴が「情」であるなら、中国は「意」と「理」の文化になろう。性格の異なる二文化の間を越境するのは簡単ではないが、原理原則にとらわれない個人の感性を奔放に筆先に任せるありかたは、楊逸(ヤンイー)さんの芥川賞…

土踏まず

芥川賞に決まって 暑い夜だった。受賞の知らせを受けたときにその暑さで眩暈(めまい)し、電話を持つ手も震えた。日本に来て21年、人生の約半分の歳月がこの海に包まれた国の風に吹かれていった。しかしその瞬間、風のように跡形もなく消え去ったはずの歳月…

アジサイと回想

『水の透視画法』生きるに値する条件 むしむしする。シャツが肌にへばりつく。こんな状態のことを、お粥(かゆ)につかったみたいに…とかなんとか形容した人がいた。うまいことをいうものだ。でも、だれがいったのであったか。のどもとまででかかっているの…

夢野久作の歌といま

『水の透視画法8』幻夢かすめる通り魔 「殺すくらゐ 何でもない/と思ひつゝ人ごみの中を/闊歩(かっぽ)して行く」。高校の授業中に、こんな歌がのった本を教科書の下にかくして、どきどきしながら読みふけったことがある。「何者か殺し度(た)い気持ち…

青い炎

『水の透視画法7』サテンの手とことばと 月に二、三度とはいえ、もう一年も家にきてもらっているというのに、この人にはいまひとつえたいの知れないものを感じてしまう。駅のむこうから1.5㌔ほどの道のりを、体操着姿の彼はバッグ片手にすたこらかけ足でく…

プレカリアートの憂愁

『水の透視画法6』袋小路の疲れと屈折 皮膚からみずみずしさが消え、顔がいやに骨ばって、濃くくまどったようになっている。眼(め)はこころなしか黄色くかわき、よれた疲労感をただよわせていた。大学で客員教授をしていたときの教え子と四年半ぶりに会っ…

不都合な他者について

『水の透視画法4』人の海で「愛」を問う ステージ中央にひとりになった。断崖(だんがい)におきざりにされたように心ぼそい。舞台上のスポットライトをひとつだけのこして、ホールの照度がすべて落とされると、客席はまるで月のない夜の海原である。さっき…

くぐもる「個」の沈黙

『水の透視画法3』乳白色の暗がり ガラスばりのカフェにすわり、バス道路にできた不思議な銀色の水たまりを、まばたきしながら見ていた。水たまりは妖(あや)しい光芒(こうぼう)をあげて左右にゆらめいている。逃げ水だ。手前の横断歩道でも光が屈曲し、…

時ならぬ人と虫たち

『水の透視画法2』永久凍土のとける音 歩道わきの枯れ草のうえを、うす緑の、か細く小さな虫が一匹はい動いていた。立春からまだ日もあさい昼下がり、ゆうちょ銀行にいく途中だった。眼(め)の錯覚かな、と腰をかがめてみると、羽化後まもないらしいカマキ…

栴檀の大樹の下で

『水の透視画法 1』ゆらめく善悪の影絵 にび色の午後のことだ。いつもの散歩コースをはずれて、小学校の正門にさしかかったら、いきなり高音域の声がはじけ、子どもたちがパチンコ玉みたいにばらばらと飛びだしてきた。てんでにちがう服なのに、みんながカ…

路上文学

いつもの朝、生キャベツをむしゃむしゃ喰いながらテレビを見ていたら「路上文学賞」の文字が画面に浮かんだ。 はじめて耳目に触れる言葉。 どうやらホームレスが書いた作品らしい。 大賞作品が決まったとか、作品名が紹介された。 作家の、星野智幸の顔が映…

人の哀しさ

「普通、普通って、何が普通なんだ」って言うんだよ。 そんな言葉が母と妹の会話から聞こえてきた。 妹の夫が何かの折に口にしたらしい。 義弟と同じように私も普通という言葉には久しく違和感があった。 普通、または常識という言葉。 何を、誰を基準にして…

足の裏的な人

前回の「学歴無用論から」を読み返して、その表現の出元を探ってみた。 〈足の裏のような人〉は、どうやら仏教詩人の坂村真民の詩に起因していたようだ。 自らの考え、自らの言葉と思っていたものは、実はその多くが今は亡き人たちが遺していってくれたもの…