朴念仁の戯言

弁膜症を経て

自滅の道から

疫病蔓延、大規模水害、爆発事故・・・。

連日、映画のような世界が繰り広げられている。

いよいよ次は地球外生命体による地球侵略か。

近年における想定外の出来事が、最近そんな馬鹿げたことを思わせる。

映画の見過ぎか。

 

想定外という言葉は、確かホリエモンが使い始めてから一般用語のように頻繁に使われるようになったと記憶しているが、自然も、社会も、人間も、これまでの枠、領域に収まらない、収めることのできない過去の計測や常識を超えた未知の、想定外の領域を、人類は招いてしまったようだ。

良くも悪くも。

そのブレ、振幅は余りに大きい。

 

自然界を見ればよく分かることだが、食物連鎖で成り立ち、均衡を保っている。

だが、何かが作用し、喰うものと喰われるものの数が違ってしまえば、均衡は崩れ、やがて種の絶滅を招く。

その何かの大部分は人類。

無限の広がりを持つ宇宙も同様に、種々様々な天体が一定の法則に従って運動し、均衡を保っている。

それを破れば、淘汰、あるいは自滅する。

これが宇宙の、自然の法則。

 

人類は、天体の一つの、地球の表面にへばり付くだけの木っ端な分際でありながら、戯けたことに宇宙の法則に背き、自らの意志で欲望のままに大なる均衡、調和を乱す。

本来、政治や経済、宗教は、大なる調和をもたらすためにあるのではないか。

それが率先して争いの火種を生んでいる。

 

職場で度重なるパワハラが原因で降格処分された奴がいた。

其奴は、その処遇に不満を抱き、会社の代表者を相手取って裁判を起こした。

己を省みず、自らの手で自らの首を絞める自滅の行為。

ここにも宇宙の法則に反し、職場から淘汰され、自滅の道を辿ろうとする者がいる。

 

人が集まれば、大なり小なり嫌悪したくなるような人間関係が生じる。

上司や同僚、後輩の言動に怒りが込み上げてくると、そのうちどこからともなく声が・・・。

「他人よりも自分を変えろ」

「常に愛を持て」 

今日も調和、調和と胸の内で呟き、職場でやり過ごす。

痛みも喜びも分かち合う

「経済とは本来、共に生き死にを分かち合う仲間が幸せに生きる条件を整えるもの」

「相互扶助や再分配の経済をつくり直し、皆で痛みも喜びも分かち合える社会を取り戻さなくてはいけない」

※「欲望の経済を終わらせる」の著者・井出栄策さん

 

昨年、母と叔母を実家の火災で亡くした著者。

「僕は母子家庭で、母40歳の子。叔母が結婚を諦めて働き、二人が歯を食いしばって育ててくれた。東京の大学にも行けたし、人を疑うより信じられた」

その原点が、弱者を生まない社会を志す信念となっている。

「僕がまともな生き方をしないと、二人の命の価値を下げてしまいますからね」

 

今朝の地元紙に載っていた。

カネ・モノがなくても人として尊重され、地球生命体と調和して、何モノにも怯えることなく堂々と安心して暮らすことができる理想社会とはどんなものなのかと、そんなことを時折考えていた。

凡人であるが故、皆目見当が付かないでいた私に、井出さんは人類が本来目指すべき社会の糸口となるようなものを教えてくれた。

 

後ろ髪

「行ってきます」
「車の運転に気を付けるんだよ」

出勤時の私と母のいつものやりとり。
母は必ず玄関先に出て私を見送る。
母の視線を背に受け、私は「分かったよ」と返事をする代わりに片手を上げて車に乗り込む。
いつもの光景。

この一瞬に想う。
別離と公私の区別がもたらす無常感。
ガラスのカーテンのような無機質な幕が、私と母の間を遮る感覚。
これで終わりかもしれない。
もう会えないかもしれない。
当たり前の日常が当たり前じゃないと知ってから。

「後ろ髪を引かれる」
いつもの朝、禿頭の私が感じる不思議な感覚。
それは、一日一日を悔いなくと。

 

慈しみの心

先日、職場で不織布マスクを確保しておこうという話になり、ネットで1,000枚注文した。
それに便乗して、同僚皆で私用に追加注文した。
世界的需要の多さから割高ではあったが、我が身、家族を守るためであればケチ臭いことは言っていられない。

昨日、テレビでマスク製造に取り組み始めた国内の中小企業を紹介していた。
原材料が60倍までにも跳ね上がり、調達先の取り合いや変更もあって安定供給に苦労しているらしい。
他人事のようにそのまま聞き流す筈のそれが、「待てよ」と耳元で囁いた。
使い捨てのマスク。
安きに流され、馴らされていた自分に気が付いた。
多少の銭で済むなら手間暇かけず使い捨てを、に。
安くて早くて簡単で便利に。

「物を粗末にするな」と昔の人は言った。
この物とは手間かけて作られたモノであったろう。
手間かけた物には作った者の心が宿っていた。
今社会は、物と者との乖離が格段に進み、到頭、者が使い捨てにされる時代になった。
耳にすれば「もの」という同じ字訓。
物を粗末に扱えば、者も粗末に扱われるということか。

物の大量消費は、地球資源からの大量搾取に等しく、自然破壊に等しい。
大量のゴミと地球規模の公害も生み出す。
マイクロプラスチックを取り込んだ魚介類、汚染された水、大気汚染、多種の添加物にまみれた加工食品・・・。
知ってか知らでか人間の身体に取り込まれ、病に侵されていく。
モノの使い捨ては、人類滅亡の危機に直面すると知りながら核兵器保有数を競うことと同等の行為だろう。

地球生命体は循環して成り立ち、人間社会は因果応報の報い(彼岸でも)を受け、関係性・関連性を持って保たれている。

コロナ禍は人類へ大きな課題を突き付けた。
我が痛みを知って他人の痛みが理解できるように大きな痛みを伴って。
終息した暁には、世界にどのような意識改革、社会変革が齎されているだろうか。

さて、コロナ対策では、アイスランド、台湾、ドイツ、ニュージーランドフィンランドデンマーク各国の女性首相らのリーダーシップが称賛されている。
強権政治を推し進める米国のトランプ、中国の習近平、インドのモディ、フィリピンのドゥテルテ、ロシアのプーチンなどとは対照的に人間味ある権力を行使しているらしい。
その鍵となるのは、「現実と向き合う」「決断力」「テクノロジーの活用」「慈しみの心」の4点。

www.msn.com

先日、偶々、地元朝刊で印象に残った投稿文のタイトルがこの一つと同じだったので次に紹介して閉じたい。

「老いた母 虫にも慈しみの心」
母は80歳。
田舎で父と二人暮らし。
ある朝、母が部屋の隅から何かをそっとつまみ上げ、それを手のひらに乗せてささやきかけていた。
よく見るとカメムシ
私は、一瞬、目を疑った。
カメムシは誰もが嫌う害虫。
その虫に母は、「よく冬を越したな。したが、まだまだ外は寒い。まだ、しばらくここに居たほうがいいぞ」と小声で語りかけ、そっと元居たところに戻してやっていた。
子どものころ、しつけにとても厳しく、よく叱られたものだ。
ずいぶん丸くなったと思い、その様子をほっこりした気持ちで眺めていた。
年々、年老いていく両親。
しかし、そんな母の気持ちは年を重ねるごとに丸くなり、人としての深みを増し続けている。
人は成長し続けることができることを母からまた一つ教えられた。
郡山市の飯塚和也さん55歳(令和2年4月17日地元紙掲載)

7歳の誕生日に

一度死んで、また生まれることができて、昨日、小学一年生になった。
間もなく国内の都市部では緊急事態宣言が発令されるだろう。

最近読んだ本で合点がいった。
地球生命の理想的環境は大きな痛みが伴わないと為されないことを。
理想的環境の出現は今から600年後らしい。
その前に世界の人口は何かしらの事情で大幅に減少し、残された選ばれし者たちが争いのない、思いやり溢れた、愛ある人間社会、一つの生命体としての地球環境を築いていくとか。
何かしらの事情とは、人間にとって間違いなく不幸な出来事であり、大きな痛みを伴うものだろう。
温暖化による急激な気候変動、食品添加物や環境汚染など有毒物質が及ぼす出生率の低下、小惑星の突入や大隕石群の落下、核戦争、疫病、未曾有の自然災害、想像し得ない人的大惨事・・・。

新型コロナはその序章のように思える。

今世界が、これを機に人間存在の意味を明確に認識し、魂の進化に舵を切ることができれば、近い将来に訪れる何かしらの事情は緩やかに、穏やかに変化し、あるいは何も生ぜずに済むとも。
それができなければ、人間にとって長く暗黒の、受難の時代が続くらしい。

新型コロナは未来の、人類の命運を占う。

7歳の誕生日、人類の試練を知った。

 

今生の学び

先日、母のリハビリの帰りに近くの道の駅に寄った。
昼頃を大分過ぎていたが、弁当を買うついでに夕飯のカレーの食材も買おうと野菜館を物色していた。
すると、すぐ後ろを歩いていた母が急に咳き込み始めた。
母のバッグからマグボトルを取り出し、「コロナ騒ぎだから、(周りに)やばいよ」と言って手渡した。
白湯を口にして咳はすぐに治まったが、赤らみ帯びた母の顔には不安そうな表情が浮かんでいた。
そのまま買い物を続けていると、母はまた咳き込み始めた。
「外に行ってるから」
母は苦しげに、マスクの下から言葉をしぼり出してマグボトルを手に外へ出て行った。
私はそのまま買い物を続けた。
レジに向かう頃、母が戻って来た。
マグボトルを手にして目の前に立つ母。
その髪型は風に煽られたせいで崩れ、茫然自失の体をなしていた。
「髪の毛ボサボサだよ。どうしたの」
私は、笑いながら、笑いながら哀しみ深くし、悔やみの重さに沈んでいった。

この時の哀しみと後悔は、今から15年前のことを思い出させた。
その日、母と私は病室にいた。
祖母の様子窺いだった。
祖母は、狭心症気味で肝炎を患い、その後、大腸癌から肺癌を経て、自由勝手な独り暮らしもままならなくなって入院となった。
入院当初、意識ははっきりしていたが、徐々に食欲の衰えが見え始めた。
呆けのような兆候も見られるようになった。
「サヨばあ(婆)、サヨばあ、こっちさこー」
そう言いながら手招きする祖母に見舞いに来ていた叔母が不審に思って声を掛けると、
「おめぇはそごにサヨばあ坐ってんの見えねえのか」と言われたという。
祖母はその頃から、大分昔に亡くなった身内や知人の姿を見るようになったらしい。
今で言う「お迎え現象」だったのだろう。
これが最期とも覚悟もしていたようだ。
「(家の)ベッドは辰造にやれ。もう、駄目がもしんにぃ」
ふと祖母が洩らした言葉を、後日、母から聞いた。
その日、ベッドに横たわる祖母に意識はなかった。
いつ亡くなってもおかしくない状態だと医師から伝えられていた。
昼飯時か、夕飯前だったか、祖母の変わらぬ容体に痺れを切らした私は、母に帰宅を促して家路についた。
それから間もなくして祖母は亡くなった。
朝方、一人病室で誰に看取られることなく。

この二つの出来事の重なりは、カミソリの刃物のような酷薄さと、自分可愛さの我欲的自尊心が私の心の内に潜んでいることをありありと教え示した。
同時に、私の気質の欠損を示す四字熟語が浮かび上がり、その実践が今生の学びの一つと感取した。
「自己犠牲」
他者のために自己を捧げること。

 

見えないもの

新型ウイルスは見えない。
この見えないものに今人類は翻弄されている。

人の気持ちもそうだ。
意識して見ようとすればかろうじて目の動き、顔の表情、仕種で読むこともできるが、完全ではない。

新型ウイルスは、「見えないもの」の存在を病状という形で姿を見せた。
人の気持ちも、例えばネガティブな気持ちに囚われた者は、怒りに駆られ、精神に病を来し、意思伝達障害や引きこもり、それらが嵩じると虐待、万引き、薬物常習、殺人など種々数々の犯罪として世に表出する。

経済優先主義、物質至上主義、権威主義、利己主義、排他主義形式主義などに囚われた者は、貧富の格差を増大させ、同調圧力の風潮を蔓延させ、国法を解釈変更し、日本のように集団的自衛権を行使して、あるいは領土獲得を巡り、あるいは他国をけしかけ、核を後ろ盾に、いよいよ最後は誰もが知りつつも愚かにも地球生命が危ぶまれるほどの戦争をおっぱじめる。
戦争か、一時の平和か、そんな危なっかしい綱渡りの時代をいつまで続ける気でいるのか。

金にまみれた東京オリパラ。
新型ウイルスによるWHO(世界保健機関)の勧告を恐れた安倍政権がそれを阻止するために166億円もの税金をWHOへ寄付した事実、それを受け入れたWHO。
参加選手には我欲を捨てて世界をよくよく見渡してほしい。
勝ち負けやメダルが全てか。
何のためにスポーツに取り組んできたのか。
延期になったとしてもそこから学ぶことはあるはず。

新型ウイルスは、見えないものを見ようとすることの大切さと、東日本大震災や数々の自然災害と同様に人間社会の脆さと生のはかなさを教えるために、そして、社会変革の意識の芽生えを一人でも多くの人間に齎すために必然の出来事として起こった、私はそう捉えている。