朴念仁の戯言

弁膜症を経て

2015-01-01から1年間の記事一覧

路上文学

いつもの朝、生キャベツをむしゃむしゃ喰いながらテレビを見ていたら「路上文学賞」の文字が画面に浮かんだ。 はじめて耳目に触れる言葉。 どうやらホームレスが書いた作品らしい。 大賞作品が決まったとか、作品名が紹介された。 作家の、星野智幸の顔が映…

男の終い仕度

「もっともっと生きたいように生きるべきではないか」 その言葉通り生きた安藤昇が十六日、肺炎で亡くなった。 やくざから俳優に転身し、晩年は気の向くままの執筆稼業。 やくざ時代全盛時には組員千人を束ね、その中には素手ゴロ最強と謳われた花形敬や、後…

火の車

金の工面に困窮している状況を火の車と言うが、本来は仏教語で火車(かしゃ)と言い、地獄で死人を運ぶ、火の燃えている車を意味する。 この世にはその乗り手がうようよと、どこまでも切れ目なく列なして待っている。 どの辺に私は並んでいようか。 それとも…

お布施

チリーン、チリーン。 職場での昼休み、どこからともなく鈴の音が聞こえてきた。 読んでいた本から目を離して聞き耳を立てた。 ラジオから流れてきたのか、スピーカーのほうを見やると目の端に正面玄関に立つ人影が映った。 玄関口を正視すると網代笠の僧侶…

死ぬということ

野球のユニフォーム姿の写真が新聞に載った。 野球帽の下には穏やかな人柄を思わせる笑顔があった。 それから数十年後、その笑顔の主は新幹線の車中で自らの手で71年の人生の幕を閉じた。 一人の女性を死に追いやったことも知らずに。 高齢者の犯罪は以前…

ひとり挽歌

酷だよなぁー、生きるぅーのは オレの将来(さき)はどうなるやら どんなにつらくても、苦しくても この身が参るまで生きにやぁならん 何を頼りに生きりゃいいー もぉーどうぉーにでもなりやがれぇー 何もかもぶち壊せー すべてなくなっちまえー 疲れたよぉ…

魂の浄化

田舎に帰ると優しくなれる、弟はそう言って頬を緩ませた。 明日は帰るという日、夕食時から弟の様子は違っていた。 寄せる感情を咀嚼しては呑み込む、その反芻の只中にいるものか、いつもより言葉少なだった。 幸せと嬉しさと、哀しみがごちゃ混ぜになってる…

色欲

先月の休日勤務時、仕事で付き合いのあるKが予告なしに職場を訪ねて来た。 Kは、社員駐車場に私の車を見掛けたから寄ったと言った。 Kの与太話には付き合いたくなかったが、気持ちを切り替え、席を勧めた。 珈琲は、と訊くと、大きくかぶりを振り、いいよ、…

生き方

「人」と「間」が合わさって人間。 人間は、覚者であろうと悪党であろうと誰一人として自己以外の他者と係わりなしに社会生活を営むことはできない。 その係わりは、他者を憎悪することでも、怒りを向けることでも、制裁を科すことでも、況してや殺すことで…

人の哀しさ

「普通、普通って、何が普通なんだ」って言うんだよ。 そんな言葉が母と妹の会話から聞こえてきた。 妹の夫が何かの折に口にしたらしい。 義弟と同じように私も普通という言葉には久しく違和感があった。 普通、または常識という言葉。 何を、誰を基準にして…

入学式

「今日は小学校の入学式だ」 今朝、新聞を読んでいると誰に言うわけでもなく口を衝いて出た。 するとそれに応じるように、 「あーそうか、母ちゃんも入学式のとき、写真撮りに行ったなあー」 室内の物干し竿に洗濯物を掛けながら、間もなく古希の年齢に達す…

日本の美

春彼岸前、仕事で年に一度だけ会う人がいる。 「人生七十古来稀なり」の人たち。 皆、郊外に住み、中には今では山国の地でも珍しい囲炉裏を備えた古民家に住む人もいる。 家族構成はまちまちだが、古民家に住まう男性は一人暮らし。 長年、東京で仕事をし、…

閃輝暗点(せんきあんてん)

仕事帰りに給油を済ませ、いつもの田園風景の中を夕陽に向かって車を走らせていると、突如眼の端のほうからチカチカと稲妻状に点滅するものが現れ、視界を妨げ始めた。 身体の異変を不安がるよりも見えないものが見えるようになったかと、その後の展開を楽し…

詐欺

「なんで騙されんだべ」 今朝の母のひと言。 「なりすまし(オレオレ)詐欺」の被害に遭った男性の新聞記事を見て、口を衝いて出たのだ。 被害額は200万円。 新聞やテレビで毎日のように報道されているのに何故こうも騙されるのか、不思議でならなかった。 …

足の裏的な人

前回の「学歴無用論から」を読み返して、その表現の出元を探ってみた。 〈足の裏のような人〉は、どうやら仏教詩人の坂村真民の詩に起因していたようだ。 自らの考え、自らの言葉と思っていたものは、実はその多くが今は亡き人たちが遺していってくれたもの…

学歴無用論から

学歴無用論は学問軽視になるのではないか。 昨日、ガソリンスタンドに立ち寄った際、目にした朝日新聞の投稿欄にあったものだ。 学歴無用とまでは言わないが、学歴偏重には昔から苦虫噛み潰す思いでいた。 人見ずして学歴で人を判定する社会風潮。 患者見ず…

疾病経過

弁膜症の発症から手術までの経過概要は次の通り。 平成17年10月 市内A病院(K医師)にて僧帽弁逸脱症、僧帽弁閉鎖不全症と診断される。 平成17年11月 心臓カテーテル検査のためA病院に入院。検査結果、MRⅢ度であったが、心機能良好、運動耐容能も保…

カテーテル検査翌日②

まな板の鯉、その体でその時を待った。 私の右目に、眼鏡をかけた男の姿が映った。 K医師だ。 K医師は、布を折りたたんだような大きさ20㎝四方のものをおもむろに私の右脚のつけ根に置き、その布をパタパタと広げ始めた。 上は胸元から、下は膝小僧まで、…

新聞投稿ボツ原稿③

表題「人生にイエス」 生きる意味は、と唐突に問われたら人はどう答えるだろう。 ナチスの強制収容所から解放された心理学者のフランクルは次のように説明する。 「生きる意味とは自己が発するのではなく、人生が提起するものであり、私たちは常に人生から問…

新聞投稿ボツ原稿②

表題「投稿のきっかけ」 車谷長吉氏は、忘れ得ぬ作家の一人だ。 自らが骨身に沁みた言葉を、虚実皮膜の間に綴る。 「読者の声」(投稿欄の仮称)を読むと、時折そんな言葉に出合い、唸ることがある。 投稿者は高齢者が多いようだ。 三十代、四十代の投稿が少…

ボツの理由

地元紙に載らなかったのは天皇に関した内容に因るからだろう。 朝日新聞の軽率さは世間を騒がせ、新聞社への信用を失墜させたが、情報源の不確定さと社主の考えがもの言う新聞にはどれも公平さはない。 客観的立場の新聞を、読者はもう一つ上の客観心で判断…

新聞投稿ボツ原稿①

弁膜症の手術をした平成25年の10月以降に地元紙に数度投稿した。 手術前に投稿したかったが、身内に強く反対されて止めた。 もしものことを考え、生きた証を残して置きたかった。 手を伸ばせば、死がその手を握り返してくる間近さ。 当時、私の片足は死…

名前

私の総格は26。 大凶らしい。 他のブログを覗いて分かった。 名前で呼び合うのは人間だけ。 名前は個人として限定する。 社会性ある動物だから必要なのか。 狼や猿も社会性ある動物だが、名前はない。 名前はなくとも、習性変わることなく営々と生きる。 …

大切なこと

弁膜症の経過記載は一時中断。 追々やろう。 病を得て、生死の狭間に追いやられ、自己を見詰める機会が多くなった。 死んだらどうなる? なぜ生まれた? 何のために? なぜ日本に? この地に? 自分を支える何かがほしくて、頼りない自分の感性に助けを求め…

再開

一年八ヶ月の空白。 熱しやすく冷めやすい性。 無精もの。 ブログを開設した目的を忘れてはいまい。