朴念仁の戯言

弁膜症を経て

近代化によって失ったもの

私は東京都の都心部に住んでいるが、ビルの建ち並ぶ表通りから一歩裏に入るとまだ2階建ての木造住宅が所狭しと拡がっている。

しかしほとんど気付かぬうちに木造住宅群は取り壊され、高層のオフィスやマンションに建て替っている。しかも開発の規模は次第に大きくなり、そのスピードも加速度的に速くなっている。

再開発によって都市は清潔で美しく便利になるという。確かに雑然とした無秩序さは整理されるのかもしれないが、果たして住み心地がよい街になったと言えるのだろうか。

朝、犬の散歩をさせるために木造住宅の並ぶ裏通りを歩いていると、おばあさんが家の前をほうきで掃いていたり、植木鉢に水をやっていたりしたのに、いつの間にか、味も素気もないビルに建て替わってしまっている。

私たちは明治維新以降、近代化をむやみに信じ、受け入れてきた。今日の都市開発も近代化の延長上にある。しかし近代化によって失われるものも多い。

「文化」は土に向かおうとすることであり、「文明」は土から離れようとすることであるという(浦久俊彦著「リベラルアーツ」インターナショナル新書)。すなわち、文化は土地や自然との関わりによって育まれるものであり、文明は新しい技術によって自然を克服し、土地から離れることができると考えるのである。

文明開化という言葉通り、明治以降、日本は文明の進化ばかりに眼を向け、地域の特色や自然との関係が失われてしまうことからは眼をそらしてきた。

東京の前身である江戸の街は、江戸城を中心に、地形に沿って住環境に水と緑を織り込んだ美しい都市景観を形成していたという。地方都市の多くも城を中心に作られた城下町であるが、そのほとんどは、自然との親密な関係を維持してきた。

街ばかりではない。日本の伝統的な詩歌は自然の情景を人の心と重ね合わせて詠んだものばかりであるし、文部省唱歌にしても動物や植物あるいは山や川、月など自然の風物を歌ったものがほとんどである。

岡本太郎はかつて名著「沖縄文化論」―忘れられた日本」(中央公庫)において、日本人は近代化された社会を当然のように受け入れているけれども、われわれの身や魂までもそれを受け入れているわけではないと述べている。

私たちは心の奥底で持ち続けている自然への愛情をよみがえらせ、行き過ぎた近代化に歯止めをかける時期に来ているのではなかろうか。

※建築家の伊東豊雄さん(令和5年7月1日地元紙掲載)