朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人類の覚醒

「私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。
あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました。
それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。
なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。
30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。
あなた方は、私たちの声を聞いている、緊急性は理解している、と言います。しかし、どんなに悲しく、怒りを感じるとしても、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。
だから私は、信じることを拒むのです。今後10年間で(温室効果ガスの)排出量を半分にしようという、一般的な考え方があります。しかし、それによって世界の気温上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は50%しかありません。
人間のコントロールを超えた、決して後戻りのできない連鎖反応が始まるリスクがあります。50%という数字は、あなた方にとっては受け入れられるものなのかもしれません。
しかし、この数字は、(気候変動が急激に進む転換点を意味する)「ティッピング・ポイント」や、変化が変化を呼ぶ相乗効果、有毒な大気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして公平性や「気候正義」という側面が含まれていません。この数字は、私たちの世代が、何千億トンもの二酸化炭素を今は存在すらしない技術で吸収することをあてにしているのです。
私たちにとって、50%のリスクというのは決して受け入れられません。その結果と生きていかなくてはいけないのは私たちなのです。
IPCCが出した最もよい試算では、気温の上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は67%とされています。
しかし、それを実現しようとした場合、2018年の1月1日にさかのぼって数えて、あと420ギガトンの二酸化炭素しか放出できないという計算になります。
今日、この数字は、すでにあと350ギガトン未満となっています。これまでと同じように取り組んでいれば問題は解決できるとか、何らかの技術が解決してくれるとか、よくそんなふりをすることができますね。今の放出のレベルのままでは、あと8年半たたないうちに許容できる二酸化炭素の放出量を超えてしまいます。
今日、これらの数値に沿った解決策や計画は全くありません。なぜなら、これらの数値はあなたたちにとってあまりにも受け入れがたく、そのことをありのままに伝えられるほど大人になっていないのです。
あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。
もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。「あなたたちを絶対に許さない」と。
私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず。ありがとうございました」

国連の温暖化対策サミットでスウェーデンの16歳の活動家、グレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説した内容だ。
彼女の演説している姿を目にした時、思わずテレビ画面に釘付けになった。
彼女の演説が、神の、地球の怒り、嘆きの声のように聞こえたからだ。
時同じくして小泉環境相は「気候変動のような大きな問題は、楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきだ」とのふざけた発言を放っていたが、自ら化けの皮を剥がして裏切り者の表明をしたようなものだ。
温暖化に懐疑的な連中は要らぬ詮索をして彼女を貶めようとしているが、経済優先の、欲の皮面が張ったトランプ然り、安倍晋三も然りで、温室効果ガスの排出規制は必然的に経済成長の障害となり、経済界の反発を招き、すなわち選挙結果に直結する。
自然界のあるべき姿を考えず、地球の延命よりも目先の利益、財欲に取り憑かれた連中が政治を行う限り、世界は間違いなく好まざる変化を迎える。

誰が地球を救うのか。

彼女のような次世代の若者たちに違いない。
マララさんのように。
あらゆる国の若者たちが、一人、また一人と立ち上がり、それが世界的うねりとなって全人類を覚醒に導くことだろう。
心からそう信じたい。
そして私も、微力ながら若者たちを支える一人としてその場に立ち会っていることを。