朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人間中心でいいのか

田んぼの中を、数え切れないほどの黒いオタマジャクシが泳ぎ回っている。
「この水田に5万匹いる計算になる」
福岡県糸島市の農家、宇根豊さん(67)が田植えから10日ほどたった6月18日、笑顔で話した。
田に足を踏み入れ、目を凝らすと、小さな虫がたくさんいる。
ヒメアメンボ、ゲンゴロウの幼虫、イネミズゾウムシ、ガムシ・・・。
宇根さんが次々に名前を挙げていく。

▷昔ながら
宇根さんによると、田んぼとその周辺にいる生物は植物が2,200種類、動物が2,700種類。
「昔の百姓に比べ、最近は農家もあまり種類を知らない。忙しくて目を向ける暇がないのだろう。利益にならないことに興味を持たない」と寂しそうに語った。
宇根さんの農法は、農薬や化学肥料、農業機械にほぼ頼らない昔ながらだ。
田植えは手作業。あぜの草取りに除草剤は使わない。一日に何度も田畑を見回り、水やりをする。生育状況は作物に話しかけて確認する。
「稲や生物の『声』を聞くようにしている」
そうして農作業に没頭していると、時が経つのを忘れる。農業をしていて良かったと心から思う瞬間という。
その幸福感を「天地自然に抱かれ、その恵みを受け取る。百姓はこういう精神世界の中にいる」と表現する。
ただ、何百年も受け継がれてきた、この農業の世界が今、崩れつつあると感じている。
「田や畑にいると、生き物の悲鳴が聞こえてくる。いつも会えた虫や草が年々いなくなっていく。一方で高齢になった農家が田畑を手放すようになり、荒れ地が増えた。集落を維持できなくなった地域もある。このままでは、田園風景はそのうち消えてしまう」
自然破壊と農業離れ。原因はいずれも現代社会にあると考えている。

▷資本主義
7月29日、猛暑に見舞われた熊本県八代市の民家の前には、100人近い農業関係者が全国から集まった。この場所で約50年前に亡くなった高名な農業指導者、松田喜一の教えを、現代の視点で捉え直そうとする集会だ。宇根さんも主催者の一人として参加した。
松田は戦前から戦後にかけ、農業を志す多くの若者を育てた。
「稲の声が聞こえるようになれ」という独特の教え。
70年前に研修生として一年間、松田の農場に住み込んだという福岡県の男性(89)は「教えを実践し、悔いのない人生を送れている。松田先生のおかげ」と感慨深げに語った。
松田は、資本主義経済が農家に及ぼす影響を危惧していた。
「右も左も給料取りばかりで、骨を折らず派手な生活をする者も多い。機械化の道が開け、所得を増やしても、世の中の誘惑に勝てず、百姓嫌いになる」
戦前の多くの農業指導者も著作などで同じような心配をしている。明治以降、農業にも資本主義的な発想が入ってきた。コストを下げて生産性を上げ、所得を増やす。技術革新を進め、労働時間を減らす。経済的合理性の追求という、現代では常識と言えるこうした考え方を、農業に当てはめてはいけないのではないか。
「そもそも近代化や資本主義と農業は合わない」と訴えていた。
宇根さんも「収穫量に限界がある。それを超えて収穫を増やそうと農薬や肥料を加えて実現しても、自然環境に大きな負担がかかる。やがて土地はやせ衰え、生物は死ぬ」と共感する。

▷生き物調査
現代社会の影響を受け、農家の精神は変わったようだ。農林水産省の統計によると、1960年に約1,400万人いた農業就業人口は200万人を下回った。より収入が安定するサラリーマンを好む傾向が進んだとみられている。
「昔の百姓は農作物ができた、とれたと言った。最近は『作った』という人がいるが、この表現からは、人間が自然の制約を克服したと言うような、自然を見下した傲慢さが読み取れる」
「人間中心主義」とも言えるこうした感覚は、国の根幹である憲法にも見て取れると指摘する。
憲法は人権の大切さを書いている一方、自然の大切さへの言及はない。明治憲法もこの点が欠けているが、当時は国民の多くが農家だったから、当たり前すぎて書かなかったのではないか」
もっと自然に目を向けてほしいとの思いから、同じ考えの人々と「生き物調査」を提唱。2001年にNPO法人をつくり(10年解散)、子どもたちや農家を集め、各地の田んぼにどんな生物がいるのかを観察してきた。国も支援に乗り出し、活動は全国に広がった。
6月18日の生き物調査。宇根さんの水田では、緑色の1㌢程度の生物が泳ぎ回っていた。
「それはホウネンエビ。これが出る年は豊作と言われる」
収穫は10月初めだ。

共同通信の斉藤友彦さん(平成29年9月16日地元紙掲載「憲法ルネサンス」より)