朴念仁の戯言

弁膜症を経て

幸せは暮らしの中にある

日本で、世界で、いろんなことが起きている。

その度に呆れ、怒り、悲しみ、虚しさが募る。

その度に何もできない、何の力も才能もないボンクラの自分が見えてくる。

そんな日常の中、頭の隅で消え入りそうにしている想いを引っ張り出して心棒に力を注ぐ。

若い頃には思いもしなかった。

急き立てる感情に任せ、我よしの自分可愛さにかまけ、粗雑に生きた。

何か刺激がほしくて変化の少ない毎日が無意味に思え、「明日は違う」と、今をないがしろにして生きた。

病を得て、定年を間近に控え、日常の有難さ、幸せが身に染みるようになった。

母との生活が何よりも愛おしい。

隠れていた想いを陽の下に連れ出す。

今を、今日一日を、丁寧に大切に生きる。

 

以下、最近印象に残った文面。

一日のうち一番幸せな時間。

それは102歳の父と食卓でコーヒーを飲むひとときだ。

大した話をするわけではない。

父が豆をひき丁寧にいれたコーヒーを、2人でゆっくりと味わうのだ。

これは何十年も続く信友家の習慣。

昔はここに亡き母も加わって、親子3人のコーヒータイムだった。

若い頃はこの時間を「無駄な時間」だと思っていた。こんなところで悠長に座っている暇はない。やりたいことがたくさんあるのに。

向上心と言えば聞こえがいいが、あの頃の私は野心やら他人への嫉妬やらにがんじがらめにされていた。

自分自身の欲深さに苦しんでいたといえるかもしれない。

その頃、母からよく誘われた。

「あんたも仕事ばっかりせんと、たまには一緒にのんびり旅行でもしようや」

私は内心、反発した。親との旅行なんていつでも行けるわ、それより仕事でいい結果を出したい。

「そのうちね」と生返事を繰り返すうちに母は認知症になり、この世を去った。

今になって思う。

母は私の危うさに気づいたから声をかけてくれたのではないか。

それなのに拒んだ自分を激しく後悔している。

あの頃の私に、果たして母と旅をするより大切なことなんてあったのだろうか。

だから今、父との何げない暮らしを大事にしたい。

この日々は永遠でないから。

幸せは、ささやかな毎日の暮らしの中にある。

気づけたのは私が「老いた」からだ。

そして父の穏やかで丁寧な暮らしは、老いることの豊かさを私に教えてくれる。

そう、老いるのも、決して悪くない。

※テレビディレクター・映画監督の信友直子さん(令和5年3月2日情報ナビタイム掲載)