朴念仁の戯言

弁膜症を経て

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

生命の主体は心 脳死=死認めず

改正臓器移植法が17日に全面施行になった。生前の本人の臓器提供意思が不明でも、家族の承諾で脳死移植ができるようになる。また、これまで15歳以上の年齢制限が取り払われ、0歳から臓器提供が可能になる。脳死移植反対派の私には、脳死移植を普及させること…

生の無常を描く

インド・ムンバイを舞台に、貧困の中で運命に翻弄される路上の子どもたちを追い続けたノンフィクション作家石井光太さんの新作「レンタルチャイルド」(新潮社)。スラムの奥深くへ踏み込んだ取材の先にあったのは、「立ち尽くすしかない」現実だったという…

息子の思い出・母の存在

息子を思い出す緑色の歯ブラシ皆さんはどんな歯ブラシを使用していますか。形、色、使いやすさ、好みの硬さ、テレビの宣伝の影響など、さまざまな理由で選ばれているのでしょうね。私の歯ブラシの右側に、これから先、誰にも使われることのない緑色の歯ブラ…

「生きる意味」を考えて

最近、神経難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんたちと交流を重ねる中で、人間が生きる意味について、深く気づくことがあったので、そのことを論じたい。ALSの患者は病気が進行すると、全身が動かなくなり、呼吸器をつけて生命を維持することにな…

対象は「心」と「いのち」

貝原益軒の攻めの養生これまでの養生といえば、身体に焦点を合わせたものだった。だから身体をいたわって病を未然に防ぎ天寿を全うするといった、どちらかというと消極的で「守り」の養生であった。だが、死をもって終わりではつまらないではないか。死後の…

花と私

カーネーション白い花の思い出時には花に慰められたり、勇気をもらったりした。65年前、私が小学生の頃だ。「明日は母の日です。お母さんに赤いカーネーションを一輪あげましょう」と担任の先生が話された。私の母は私を産んだ1年後に病で他界していた。当日…

やむを得ざるにせまりて

やむを得ざるに薄(せま)りて、しかる後にこれを外に発するものは花なり。(佐藤一斎『言志四録』)一斎によれば、花は人に誉められるために咲くのでなければ、蝶や蜂のために咲くものでもない。準備万端ととのって、自然に、やむにやまれなくなって蕾(つ…

孤独死

私はその人が亡くなったことを新聞のお悔やみ欄で偶然知った。その人というのは、同じ町内に住む80歳を過ぎたお年寄りだった。夜中に救急車が来てそのまま亡くなったという。夫婦二人暮らしで、奥さんは寝たきりの状態だった。近所付き合いがなく週2回来るデ…

バレンタイン命日

11年前に逝った父の祥月命日は2月14日、バレンタインだった。享年73は若すぎるけれど、54歳で最初の脳梗塞発作を起こし、以後、いくら言っても喫煙を止めなかったゆえ、さらに二度の発作で寝たきりになり、関節リウマチや心筋梗塞を併発した果ての肺炎による…