朴念仁の戯言

弁膜症を経て

やむを得ざるにせまりて

やむを得ざるに薄(せま)りて、しかる後にこれを外に発するものは花なり。(佐藤一斎『言志四録』)
一斎によれば、花は人に誉められるために咲くのでなければ、蝶や蜂のために咲くものでもない。準備万端ととのって、自然に、やむにやまれなくなって蕾(つぼみ)を破って外に咲き出すのが花だというのです。内に漲(みなぎ)る大生命の発露が花だというわけです。
これを子供達との生活に置きかえて考えてみましょう。つい「あの子のために、こんなに苦労しているのに」などと、つまらぬ愚痴をこぼしてしまいますが、そう言っているうちは本物の愛情ではないということなのでしょう。
相田みつをさんの詩に、「あんなに世話をしてやったのに、あんなに親切にしてやったのに、あんなに一生懸命尽くしたのに、のに…のに…のに…。「のに」が出ると愚痴になる、花は人間のように、「のに」なんて愚痴はひとつも言わない、だから純粋で美しいんです」とありますが、私どもの仕事も「あなたのために、こんなに苦労してやっているのに」などという気負いは捨てて、親として、内からほとばしり出る、やむにやまれぬ自然な情感の発露から出たとき、それは花のごとく美しく見え、子どもたちに通じていくのではないでしょうか。
ヘレン・ケラーの家庭教師サリバン先生は「Education  is  to  give  and  give」と言いました。「give  and  take」ではなく、「give  and  give」の本物の愛情であったからこそ、ヘレンの心の扉を開くことができたのでしょう。
私自身も「やむを得ざるにせまりて」の心でと自戒しているところです。

※土屋秀宇さん(平成22年4月27日地元紙掲載)