朴念仁の戯言

弁膜症を経て

緒方貞子さん「人間らしい心」

緒方さんとの交流のうち、強く記憶に刻まれていることがある。
私がUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の駐日代表だった2007年、難民問題に関する緒方さんのインタビューが英字紙に掲載された。
緒方さんは記事の中で、難民受け入れに消極的な日本の対応について「人間らしい思いやりの心がない」と厳しく批判し、資金援助を中心とする「小切手外交」に苦言を呈した。
国際機関のトップを務めた人は通常、こういう物言いはしない。
関係者に配慮し、外交的な発言を心掛ける。
あえてこうした言葉遣いをしたことに、緒方さんの怒りを感じた。
そこには三つの理由があったと考えている。
一つ目は「日本人は世界の実態を知らなすぎる」という思いだ。
世界には家を追われ、命の危険にさらされている人が大勢いる。
内戦や紛争などにより、世界人口の9人に1人、約8億人は満足な食事を取れず、おなかをすかせ、健康的な生活を送ることができないとされる。
「無関心への怒り」である。
二つ目は「日本人さえよければいい」という心性への怒りだ。
かつて日本では、海外で事件・事故が発生した際「幸い、日本人の死傷者はいませんでした」といったコメントが放送された
現代の世界は国も人も深くつながっている。
日本の安全は世界と切り離して成立することはできない。
「日本人は自分たちの安全・安心に固執しすぎる」という思いがあったのだろう。
三つ目は「日本人は損得勘定を考えすぎる」という不満だ。
寄る辺なき人々の人権や、人としての道義を重んじるより「日本に損か得か」を考える傾向への怒りがあったのだろう。
そうした言動は日本人のイメージを変えた。
ステレオタイプの日本女性像を打ち破り、英語で堂々と発信した。
国際社会に「日本にこんな人がいたのか」という驚きを与えた。
彼女のメッセージに鼓舞され、日本でも多くの女性や若者たちが国際機関や非政府組織(NGO)に進んだ。
そうした蓄積の中で「人間の安全保障」という独自の取り組みが育まれた。
かつて日本に向けられた言葉は今、普遍性を持っている。
トランプ米大統領らの一部の政治家は難民や移民に関し「雇用を脅かす」「文化を破壊する」などと大衆の感情をあおっている。
元気で活動していれば、緒方さんはそんな現状を厳しく叱っていることだろう。
世界にはなお計7千万人を超える難民・国内避難民がいる。
いま一度「『人間らしい心』を忘れるな」という遺言に耳を傾ける必要がある。

※元UNHCR駐日代表の滝澤三郎さん(令和元年10月30日地元紙掲載)