朴念仁の戯言

弁膜症を経て

法を守って安全な世界を

最近、世界各地で大規模な自爆テロ事件が頻発している。パリ、ベルギーのブリュッセル、そしてバングラデシュダッカ
ダッカでは、同国のインフラ整備のために献身的に取り組んでいた7人の日本人が犠牲になった。そして、7月14日の革命記念日、フランスの保養地ニースでは1台の大型トラックが暴走し花火見物に集まっていた群衆をはね飛ばして多数の観光客などを殺戮した。

多発するテロに加え、トルコなどでは軍部のクーデターなど国家の内紛も起きている。
地球上に安全な場所は存在しないのではないかとさえ思えてくる。

無差別の集団殺傷を目的としたテロは、その思想的背景は一様ではないが、いずれも「イスラム国」(IS)が関与していると見られ、この国家でない組織的な不法集団には各国が手を焼いている。その実態が明らかではなく、交渉の当事者適格(紛争解決の権限を有する者)がないからだ。

人質を取って身代金などの要求をしてきても、誰を相手に交渉すればよいのか、その約束は守られるのかなどの保証が何もない。今でも、何人かの日本人が彼らに身柄を拘束されている模様だが、実態は不明だ。

イスラム原理主義者が集まった集団とされるが、各地で引き起こされる自爆テロなどの犯行は残忍で、人間の命に対する敬意などは微塵も見られない。どんな処罰も恐れない人たち(無法者)には、文明国の法規範などは何の抑止力もないということになる。

世の中が平和で秩序が保たれているのは、社会が成熟し、法による支配を受け入れて、信賞必罰の体系ができあがっているからだ。法律は人間同士がぶつかり合うのを調整する機能がある。

法の支配による価値観の尊重という観点から最近驚いたのは、フィリピンと中国との東シナ海をめぐる領有権問題に関し、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所の仲裁判断で敗訴した中国側が、「この裁定には従わない」「裁判所の裁判官の構成が偏っている」「この裁定書は紙くず同様に価値がない」などと発言し、中国指導部も法を無視する態度を鮮明にしていることだ。

この判断(裁判)は、一審限りで上訴は認められないので中国の敗訴は確定したのだ。(にも拘らず)国家がこの姿勢ならば、国民は自分に都合の悪いものは法をも無視しても良い、という判断に流れることにならないかと危惧せずにはいられない。せめて「自国の主張が認められず遺憾である。しかし、裁判所の判断なのでこれを尊重し、相手国と解決に向けて協議する」というくらいの冷静な対応を望みたいものだ。

地球は人類が生存する唯一の惑星であり、運命共同体だ。どんな理由があれ、人間と人間が殺し合いなどしてはいけないのだ。
どんな宗教も、人類に幸福と安寧をもたらすものでなければ存在する価値はないと考える。

※弁護士の宗像紀夫さん(平成28年7月31日地元紙掲載)
※一部原文修正

 

慰安婦問題に続き、徴用工問題。日本から取れるだけ取ろうという禿鷹根性の韓国。
その上を行く中国、北朝鮮、ロシアの、これら無法でまともでない国を相手に交渉に臨む日本は容易ではない。
相手が国だけに始末に負えない。
悲しいかな、カルロス・ゴーンが槍玉に挙げられたように、浄化作用としての大きな内紛やクーデターでも起きない限り、これら国々は目を覚ますことはないだろう。