朴念仁の戯言

弁膜症を経て

信念

自学

そろそろテレビを消そうかと炬燵の上のリモコンに手を伸ばし、椅子に坐り直してテレビに向けた。「ボクの自学ノート」テレビ画面に浮かび上がる文字。丁度、何かの番組が始まる時間帯だった。「自学」の文字に好奇心が湧き、リモコンを手にしたまま、また椅…

緒方貞子さん「人間らしい心」

緒方さんとの交流のうち、強く記憶に刻まれていることがある。私がUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の駐日代表だった2007年、難民問題に関する緒方さんのインタビューが英字紙に掲載された。緒方さんは記事の中で、難民受け入れに消極的な日本の対応につい…

人類の覚醒

「私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっていま…

一日不作 一日不食 ⑳

ここは京都山科にある清閑な勧修寺の仏光院である。今年80歳の春を迎えられた院主順教尼は、ひとり身体障害者のみに限らず、門を叩く来訪者のために、求められるままに、ある時は厳しく、ある時は天衣無縫に、まことに活機にあふれた道を示しておられるので…

一日不作 一日不食 ⑲

「世をはかなんで尼になりたいと申されるのですか」「はい、どうにもならない家庭の問題がありまして、煩悶の末、出家することができたらと、思い詰めて参りました」「それで、わたしにどうしろと言われるのですか」「先生の手で、どうぞ私を救ってほしいの…

私の心がけ ⑥

それからの私は何事によらず、自我を捨てて素直に、人の手を感謝して貸してもらうように心がけました。まして双手のない私は、誰の器にも入れるように、一つの輪の中へ融け込むようにと、努力しました。 それは決して封建的でも、自由束縛でもありません。さ…

血の出るような思い ⑤

私は体をかたくして、丁寧に校長先生に頭を下げました。 「私(わて)、今この土地の寄席に出ています両腕のない芸人でおますが、カナリアに字を書くことを教えてもらいました。先生、どうぞ私に字を教えておくれやす、筆は口に慣れましたが、字を知りまへん…

かけた情は水に流せ 受けた恩は石に刻め

2才児発見、尾畠春夫さんが説くボランティアとしての心がけ 山口県周防大島町で行方不明になった2才の男児、藤本理稀(よしき)ちゃんを発見した「カリスマボランティア」として一躍、時の人となった尾畠春夫さん(78才)。 軽ワゴン車に食料や水、寝袋を積…

あるべき姿勢を模索

象徴のうた 平成という時代 ことなべて御身(おんみ)ひとつに負(お)い給ひうらら陽(び)のなか何思(おぼ)すらむ 平成10(1998)年 皇后 本年、平成30年の歌会始のお題は「語」であった。天皇皇后両陛下は次のような歌を詠まれた。 語りつつあしたの苑…

人に優しくして恩返しをしたい

私には自分との約束があります。それは「人に優しくする」ということです。私は小さい頃、体が弱く入退院を繰り返していました。幼稚園に行くことが難しかったため、友達と折り紙をしたり、ままごとをしたり、一緒に歌を歌ったりしたことがありません。毎日…

物乞いの薬

「みんなのひろば」に「翁島の昔話聞き 大切な情け学ぶ」という投稿が掲載されていました。母の実家は浪江町請戸で、明治の初期、船主として100人ほどの従業員を使っていたそうです。漁獲が郡内一、二を争っていたと母が生前、話していました。ある日、汚い…

99歳 熱い「たいまつ」

今年1月に99歳を迎えたむのたけじさんは、「反骨のジャーナリスト」と呼ばれることに抵抗を覚えることがあるという。理由を、著書「九十九歳一日一言」(岩波新書)で次のように書いている。「『反骨のジャーナリスト』というのは『空の色をした空』みたいな…

始めの一歩

江戸時代、堺の町に吉兵衛という人がいました。商売も繁昌していたのですが、妻が寝たきりの病人になってしまいました。 使用人が多くいたのにもかかわらず、吉兵衛は、妻の下の世話を他人に任せず、忙しい仕事の合間を縫って、してやっていました。周囲の人…

ソチ五輪に行かないで

釈放の女性バンド訴え 【ニューヨーク共同】ロシアのプーチン大統領を批判するパフォーマンスをして実刑判決を受け服役、昨年末、釈放された女性バンド「プッシー・ライオット(子猫の暴動)」の2人が5日、ニューヨークで記者会見し、ソチ冬季五輪観戦旅行に…

潜伏30年

終戦を信じず、フィリピン・ルバング島に潜み、部下と共に戦い続けた。16日に都内の病院で91歳で死去した元陸軍少尉、小野田寛郎さんは「頑固な性格」を自負。「だから30年も戦ったですよ」情報将校を養成する陸軍中野学校二俣分校で培った記憶力と頭の回転…

時を待つ

「待てば海路の日和というから」と言って、イライラする私に、時を待つことの大切さを教えてくれたのは母でした。 長じて、聖書を読むようになった私は、「天の下の出来事には、すべて定められた時がある」というコレヘトの書(3・1)の中に「神のなさること…

平常心

「シスターの心にも波風が立つ日がおありですか。いつも笑顔ですけれども」 大学生の一人の質問に私は答えました。 「ありますよ。他人の言葉や態度に傷ついたり、難しい問題にぶつかって悩んだりする時に、平常心を失うことがあります。ただ、自分の動揺で…

豊かな心を養う

私たちの修道院は、大学内の建物の一つの4階にあります。したがって出勤する時、修道院に戻る時には、小さなエレベーターを使います。そんなある日、ふと、気がつきました。 私は、目指す階のボタンを押してから、すぐに隣の「閉」というボタンを指で押して…

私とロザリオ

「祈りを唱える人ではなく、祈りの人になりなさい」。これは、マザー・テレサが言われた言葉です。 1984年11月も末のことでした。この日マザーは、もう一人のシスターと一緒に朝早く新幹線で東京を発ち、原爆の地、広島へ旅されました。そこで平和、祈りにつ…

稀勢、執念の変化

検証 春場所逆転V 26日終了の大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)で、新横綱稀勢の里の劇的な逆転優勝がファンの感動を呼んだ。13日目に左上腕部を負傷しながら強行出場し、千秋楽に本割、決定戦で奇跡の2連勝。背景などを検証した。休場危機に陥った13…

見えない力

「これで終わったな」14日目の鶴竜戦で力なく土俵を割った姿にそう思った。大方の国民もそう思っただろう。稀勢の里の優勝は消えたと。13日目の日馬富士戦で手痛い一敗を喫した上に致命的な怪我を被(こうむ)った。痛みでその場を動くこともできずに顔…

偏見に立ち向かう

植物の受精の講義をしたら、少女たちの前で性の話をしたようにすり替えられ、博物館長のいすを失ったのはフランスの昆虫学者ファーブルだ。1823年貧しい農家に生まれ、独学で教員免許を取得、教育界で力を付けてきたのを快く思わない師範学校出身者らが仕組…