朴念仁の戯言

弁膜症を経て

99歳 熱い「たいまつ」

今年1月に99歳を迎えたむのたけじさんは、「反骨のジャーナリスト」と呼ばれることに抵抗を覚えることがあるという。
理由を、著書「九十九歳一日一言」(岩波新書)で次のように書いている。
「『反骨のジャーナリスト』というのは『空の色をした空』みたいな二重形容だ」
こんな言葉もある。
「これまで金持ちになったことは、一度も一日もないけれど、今度もし多くのカネを持ったら、『使いたいところにジャンジャン使え』と自分に言い聞かせている。カネは人間生活の便宜のために造った道具だ。それなのに人間がカネに使われて、泣いたり死んだりするなんて(略)そういう社会現象に一発食らわせないと気が済まない」
一人一人の市民が「普通に生きること」を阻む物や事に反対し、それぞれの「一発」を紙つぶてにしてきたむのさん。
「21世紀をもう一つの戦前にしてはならない」
1月に東京都内で開かれた、特定秘密保護法に反対するジャーナリストらの集会で、準備された椅子にも座らず、熱く訴えた。
言葉の一つ一つが、強く深く心に響く。
集会後、お時間をいただき、その思いをあらためてうかがった。
従軍記者の体験もあるむのさんは、現在という時代や政治が、かつて来た道に雪崩を打って墜ちていくのではないかと危惧している。
1945年。
当時、記者として勤めていた朝日新聞社には、「終戦の日」の3日前にポツダム宣言の受諾の情報が入ったという。
しかし、編集局はそれを記事にしないまま、時間が過ぎた。
8月14日。
大本営発表をそのまま記事にしてきた戦時下のジャーナリストのひとりとして、決意した。
「記者として自らの戦争責任を取ろう」
部会の席で、会社を辞めると同僚に告げた。
「辞める」と言ったものの、幼い子どもたちを抱えて今後どう生活したらいいのか。
重い足取りで帰宅し、事情を告げた夫に、妻の美江さんは普段とまったく変わらない口調で答えたという。
「あなたは、そうすると思っていたわ」
数年前に亡くなった美江さんをむのさんは「最高の友人です」とおっしゃる。
48年、秋田に帰郷して週刊新聞「たいまつ」を創刊。
78年の休刊まで、平和、反差別、人権、教育、農業問題などについて、書き続けた。
「自分が燃えて人々の心を燃えさせる。自分はとことん燃えても燃え尽きる。それが、たいまつ」(「九十九歳一日一言」)
99歳の今なお、「たいまつ」は赤々と燃え続けている。

※作家の落合恵子さん(平成26年2月25日地元紙掲載)