朴念仁の戯言

弁膜症を経て

潤い

マザー・テレサの修道会の仕事の一つに、貧しい人たちへの炊き出しがあります。
日本なら、さしづめ、おにぎりと味噌汁、外国ならパンとスープを、列を作って並んでいる空腹を抱えた人たちに渡してあげる仕事です。

夕方、仕事を終えて修道院に戻って来るシスターたちをねぎらいながら、マザーはお尋ねになります。
「スープボウルを渡す時に、ほほえみかけ、言葉がけするのを忘れなかったでしょうね。手に触れて、ぬくもりを伝えましたか」
この問いかけは、仕事は、ただすればよいのではない。その仕事には愛が伴っていなければいけないことへの忠告でした。

マザーの次の言葉も、それを裏書きしています。
「私たちの仕事は、福祉事業ではありません。私たちにとって大切なのは、群衆ではなく、一人ひとりの魂なのです」

朝から何も食べていない一人ひとりは、同時に、朝から誰からも「人間扱い」されなかった人たちだったのです。
仕事はロボットでもします。
シスターたちよりも、むしろ効率的に手早く仕事をするかもしれません。
しかし、ロボットにできないこと、それは、ボウルを受け取る一人ひとりの魂と向き合い、その魂に潤いを与え、生きていていいのだという確信を与える事でした。

シスターたちのほほえみ、言葉がけ、ぬくもりは、相手がその日受けた、唯一の人間らしい扱いとなったことでしょう。

忙しさは、その字のごとく人々の心を亡ぼし、慌ただしさは心を荒らす可能性を持っています。
ギスギスした社会、イライラした人の心は、渇き切っていて、潤いを求めています。
私たちも、日々の小さなことに愛を込めることによって、お互いの間に潤いをもたらしたいものです。

※シスター渡辺和子さん(平成28年2月27日心のともしび「心の糧」より)