朴念仁の戯言

弁膜症を経て

始めの一歩

江戸時代、堺の町に吉兵衛という人がいました。
商売も繁昌していたのですが、妻が寝たきりの病人になってしまいました。

使用人が多くいたのにもかかわらず、吉兵衛は、妻の下の世話を他人に任せず、忙しい仕事の合間を縫って、してやっていました。
周囲の人々が言いました。
「よく飽きもせず、なさっていますね。お疲れでしょう」
それに対し、吉兵衛はこう答えたと言われています。
「何をおっしゃいます。1回1回が仕始めで、仕納めでございます」

この言葉を私は時折思い出して、反省の材料にすることがあります。
吉兵衛さんは、この繰り返しを、繰り返しと考えず、毎回を「始めの一歩」として、新鮮な気持ちで行い、もしかすると、これが最後になるかも知れないと、心して、丁寧に済ませていたに違いありません。
こういう心を、折にふれて取り戻したいものです。

随分前のことになりますが、一人の神父が、初ミサをたてるに当たって言った言葉も、私に反省を促します。
「自分はこれから、何万回とミサをたてることになるだろうが、その1回1回を、最初で、唯一で、最後のミサのつもりでたてたいと思う」

新しい年を迎えるにあたって、人それぞれに立てる決心があることでしょう。
私は、吉兵衛さんの「仕始めで仕納め」の心がけと、初ミサをたてた時の神父の「最初で唯一で最後」の意気込みを、この一年、大切にしていきたいと思います。

それは、丁寧に生きるということであり、その一歩一歩の積み重ねが、この一年を、私の財産となる一年にしていってくれるのではないかと願っています。

※シスター渡辺和子さん(平成29年2月27日心のともしび「心の糧」より)
 平成28年12月30日に帰天された。