朴念仁の戯言

弁膜症を経て

私の心がけ ⑥

それからの私は何事によらず、自我を捨てて素直に、人の手を感謝して貸してもらうように心がけました。
まして双手のない私は、誰の器にも入れるように、一つの輪の中へ融け込むようにと、努力しました。

それは決して封建的でも、自由束縛でもありません。
さあ、何と申し上げてよろしいのか、私には皆様にわかっていただくように当てはまった言葉がわかりませんが、強いて申しますならば、すべてが純情と感謝とでも申しましょうか。
いつの場合でもわれを知り、自分を見つめました時、大抵がうぬぼれています。
自分の都合のよいように解釈しています。
そういう私が現在すでに、うぬぼれてこのペンを執っています。
人間最後までこの気持は抜けきらぬでしょうが・・・。

世界は皆、人の手によって助けられてゆくのではないでしょうか。
わかりきったことを申して失礼ですが、不自由な肉体の方々はなおさら人々の手を借りねばなりません。
人に手を貸してもらう者に、われの「我」を通しては、決して好感は持っていただくことはできません。

今一つ申し上げたいのは、時を待つということと、許すということです。
また心づけば謝罪することです。

すべてのことは、時が解決することとは誰しも知るところです。
不自由な者は、とかく心がいらだちますが、人の手を待つということに努力しなければなりません。
また、如何なることを人から受けましても、怒る前にまず、自分を見つめますと、その人ばかりを恨むわけには参りません。
知らず知らずのうちにも何処かに、自らを省みるかげを残してあるかもしれません。
今から思えば、お愛さんも人に言えない苦しい生活をし、世間を狭い思いで暮らしていたでしょう。

※仏光院の大石順教さん(「無手の法悦」(春秋社)より)