朴念仁の戯言

弁膜症を経て

心の声

4人だけの男だけの職場。
なぜこのメンツで仕事をしているのか、ふと考える。
しゃべりたくなければ黙っていればいいし、他愛もない会話に愛想付き合いすることもない。
気を遣う必要もなく気楽だが、そのせいで投げ遣りで雑な気遣いになっていることに気付く。
気付いても改めようとは思わない。
必要最小限の社交態度で距離感を保ち、他人行儀の協調でやり過ごしている。
面白くも何ともない職場だが、日に三度の飯にありつけ、喰いたいものが買え、定期的に病院に通え、暖房の利いたわが家で不安なく過ごせる日々を提供してくれる生活基盤の基と思えば感謝しかない。
だが、職場が生きる力を削ぐ場となれば話は別。
生活基盤がどうのこうのと言ってはいられない。

「~すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時間問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先だけではなく、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである」

これは、アウシュビッツ収容所で言語に絶する過酷な体験をしたビィクトール・フランクル著「夜と霧」の中での一節。

今も昔も政治や社会は、何が正しくて正しくないのか分からなくてしているが、正しい答えはわが心が発するものと信じている。
果たしてその声はこれまで聞こえていたのか、それともまだ発せられていなかったのか。
恐らく聞こえていたのだろう、弁膜症を経て今生きているということは。

心の声を聴く。
老境期、そして、いずれ還る場所に向けて、その耳を研ぎ澄ます。