朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人生を謳歌する

今日は9歳の誕生日。

M医師とK医師、そして当時のT病院の医療関係の皆さんのお陰で今の命があります。

この9年間、良きも悪きもいろいろありました。

すべてに感謝です。

本当にありがとうございます。

こんな愚かな凡夫が生き永らえることができたのも何かしらの意味があったのでしょう。

 

今後4年間、地球規模で大激変が起こると言われています。

コロナはその序章で、ウクライナ侵攻の次には何が起こるのでしょう。

目の前に起こる現象はその人の心の波動の表れとか。

誰しもの奥深くに潜む憎しみや恨み、妬み、嫉みが、知らず知らずのうちに他人の姿を借りて目の前で繰り広げられ、いつの間にか苦しみの渦中に取り込まれる。

海中に隠れている潜在意識、見えない意識が現実の世界を作り上げる。

平和な世界、希望に満ちた世界を作り上げるにはどうしたらいいのか。

それは、ひとり一人が、氷山の一角の下に隠れる大きな潜在意識を愛と調和の世界に変える。

これができるかできないかで、人類の眠りと目覚め、この二極化が加速度的に進むと言われています。

世界人類が人間としての真価を試される大変換の時代。

 

この時代に生かされる意味を噛み締め、どんな事態が起ころうと自分軸でぶれずに、軽やかに人生を謳歌しよう。

9歳の誕生日に記す。

地球が動く

今朝はすることもなく、ただ気が向いたから湖面に漂う木の葉を集めるように、ここ最近の想いを記すことにした。

 

露国のウクライナ侵攻。

連日、ウクライナの惨状と、ゼレンスキー大統領の顔がテレビ画面に映し出される。

16日、同大統領は米連邦議会でオンライン形式の演説を行い、更なる支援強化と、ウクライナ上空に飛行禁止区域の設定を求めた。

日本でもウクライナ政府に打診され、23日、国会で行われるようだが、連日、テレビに映るその様子は、映画の一場面で主役の俳優が熱弁を振るう、そんな演出じみた印象を受ける。

コメディアン出身のパフォーマンス的人間的要素が垣間見える。

 

ウクライナ上空の飛行禁止区域の設定は、NATOを巻き込み、世界戦争へ繋がる恐れがあり、米国は踏み込むことができない。

だからと言って同国の惨状に手をこまねいて見ている訳にはいかないと、米国や西側諸国の同国への武器供与は道義心に基づく行動とは理解できるが、戦況は悪化の一途を辿り、両国の死傷者は増すばかりだ。

プーチンは、ゼレンスキー大統領への暗殺部隊を配備しているらしいが、米国も露国による局地的核兵器攻撃という最悪のシナリオに備え、プーチン及び側近高官への暗殺要員をすでに露国に潜伏させているのではないか。

国同士の殺し合いに比べればマフィアや暴力団など何と子供じみた犯罪組織であることか。

 

巷の殺人では加害者は罰せられ、戦争では大量殺人であっても戦勝国の行為は正当化され、敗戦国は物心両面で徹底的に骨抜きにされる。

世界同時のコロナ禍にあって、世界人類が同じ痛み、辛さ、苦しさを共有する時代にあって、この戦争では人間の残虐性、蛮行を徹底的に見せつけられた。

これほどに人間は愚かしく、過去の過ちに肝から学ぶことなく、原初から何ら進歩していない。

プーチンの心を占める恐れや怒り、冷酷さは、同じ人間である我々にも根差している。

これら人間の暗部、闇を、今、戦争という形で世界中に示されているのは何故。

バイデン大統領は就任後の初会見で、中国との関係を念頭に「民主主義と専制主義の闘い」と語った。

「今年は何事も二極化する」と言われている。

戦争と平和、民主主義と専制主義、富めるものと貧しきもの、奪い合うと分かち合う・・・。

 

地球は誰のもの

宇宙は誰のもの

この身体は誰のもの

 

人間ども、いい加減に目を覚ませ

地球が泣いている

地球が泣いている

地球が泣いている

 

世の立て直し

いよいよ地球が動き始める

あんこ屋の倅

2月2日朝刊のお悔やみの欄で中学校の同級生Tが亡くなったことを知った。

命日は1月31日。

一昨年、まちの正月市で立ち並ぶ露店をひやかし程度に眺め歩いている途中でTを見掛けた。

Tは出店していた。

「T、何してんの?」

急な出会いに驚いて声を掛けると、

「あっ、あんこ餅、売んだ」

彼の声を聞いて中学校時代の危なっかしくてやんちゃだった頃の、懐かしい感情が蘇ってきた。

彼は他店が販売を始めている中、仕込みの最中だった。

「今、あずき、煮てんだ」

「今やってたら客足多い時に間に合わねえべ。一人でやってんのが」

「ん、かっ、かき餅も売んだ。食べてみぃ。あっ、油にこだわってんだ。おっ、オリーブ油で揚げてんだ」

と言って、銀紙にくるんだかき餅を差し出した。

一個摘まんで口に入れた瞬間、

「うわっー!かてぇー!硬すぎて噛めねえ!」

「だめが?」

「だめだ、こりゃあ売り物になんねえぞ」

彼とそんなやりとりをしていると、

「それ、ください」

と何も知らずに年配の女性が声を掛けてきた。

私は慌てて口をつぐんだ。

「はい、500円になります。ありがとうございます」

Tは平然と第一番目と思われる客に売った。

気の毒に。

内心そう思って、その品のある女性の後ろ姿を見送った。

「出店は何回かやってんのか?」

まだ嚙み切れないかき餅で口をもぐもぐさせながら訊いた。

「はじめてだ。とっ、友だちに教えでもらった」

「ここでは売るだけにしねえど効率わりぃぞ。仕込みは済ませておがねえど。一人では無理だ」

素人でも分かる道理にTは答えず、

「今、ねっ、ねえちゃんどこに厄介になってんだ」

「東京に行ってたんじゃねがったのか?」

「仕事も、うっ、うまぐいがなくて帰ってきた。こっ、これでやっていぐがと思って」

「そうが。何か足んにぃものはねえが?」

「はし、箸、忘れっちまった。あっか?」

「分かった。一膳でいいが?事務所から持ってくっから」

仕事場へ引き返し、箸一膳分を手にTのテントへ戻った。

「頑張れよ」

箸を手渡す時、それしか言いようがなかった。

それが彼との最期の出会いとなった。

 

Tの母親は、数カ月間の入院生活の最中、数年前に亡くなった。

長男のTは、毎日のように病院に通っていたらしい。

以前、携帯ショップに出かける途中の彼にバッタリ出会い、そんな話を聞いた。

父親は製餡所を営んでいた。

母親より早く、比較的若くして亡くなった父親は生前、大病を患ったことがあったが、仕事に復帰できるまでに恢復し、それも神仏のお陰と菩提寺だったのか近所の寺院に結構な寄進をしたとも、中学生時分に一度きりだったが、彼の家に泊まった夜に聞いた。

父親の死後、製餡所は廃業し、しばらくして持ち家は人手に渡った。

 

今、目に浮かぶのは、彼が悪戦苦闘していたテントの中で、石油ストーブの上の鍋の湯の、底一面に沈んで茹で上がるのを待っていた、天燃色の、赤茶色のあずきたち。

一粒一粒の小さなあずきが大きな一塊のあんこになって、Tは父の元に還っていった。

恩寵

今日の未明、鮮明に、思いもしない夢を見た。

 

懐かしい感じのする友人らしき人に連れられ、旅館のような一室に招き入れられた。

そこは一般的な畳敷きの、少し広めの部屋。

部屋には4、5歳ぐらいの男の子がいた。

男の子は私と目が合うと、直ぐ様、私の元に駆け寄り、「道で拾ったの」と小さな掌を突き出した。

掌には100円銀貨と5円銅貨が1枚ずつ。

「もらっていい?」

「だめだよ。ちゃんと交番に届けないと」

友人らしき人は笑みを浮かべるだけで、私と男の子の成り行きを見守っているようだった。

「届けた分だけ後でちゃんと(違う形で)返ってくるから」

この言葉に込めた「良心に基づいた行為は報われる」という意味を男の子が感じ取ってくれたかどうかは分からない。

男の子は、そんな私の言葉に何の反応も示さず、次へと行動を移した。

硬貨を差し出した同じ掌をくるっと返し、手の甲を上にすると掌に何かがくっ付いていた。

くっ付いていたのは、太さが違う青色の二重線に縁どられた、透明な包装紙にくるまれた白いラムネ菓子だった。

粒々のラムネ5個ぐらいが円筒形となって捩じった包装紙にくるまれていた。

ラムネ菓子が落ちないことを自慢気に手品を見せたかったようだ。

包装紙には両面テープらしきものがこびりつき、子供騙しの単純な手品だったが、2枚の硬貨はいつの間にか消えていた。

幼子の無邪気な姿に心が和んだ。

その瞬間、心の中で何かが弾け、私は畳に突っ伏して、だらしなく咽び泣いた。

分かったのだ。

男の子との出会いの意味が。

 

夢から覚めると、右眼から一滴、そして左眼からも一滴、顳顬を濡らした。

それは哀しみではなく、むしろ雨上がりの青空にかかる虹のような爽快感をもたらし、自然に口を衝いて出たのは、見えぬ何かに向けた感謝の言葉であった。

人生は一回限りの旅

転機は31歳の時。

がんの専門病院に移り、私よりはるかに厳しい現実に向き合う人々の話を聴くようになった。

金融機関でバリバリ働き、27歳で逝った岡田拓也さんは責任感の強い努力家だった。海外留学も志し、休日も勉強に励んでいたある時、進行性スキルス胃がんと判明。「普通ならもっと生きられるはずなのに。悔しくて、悲しくてしょうがない」。絞り出していた声が忘れられない。

サッカーが大好きでプロ選手を夢見ていた男の子は、2年ほどの入院生活の末に旅立った。

声帯を切除して声が出ない女性、舌がんで水も飲めない男性・・・。

「あなたに私の気持ちが分かるのか」と疑いの目を向ける患者さんもいた。

一方で限られた時間を見つめ直し、深く生きようとする人も多かった。

私は圧倒され「自分が役に立てるのか」と自問した日もあったが、出会った患者さんが次々と逝くのを目の当たりにして悟った。

人は必ず死ぬ。人生のタイムリミットは確かにあるのだと。

死と向き合う方たちが「人生は一回限りの旅」だと身を持って教えてくれた。

だから考えるのだ。

自分にとって何が本当に大切なのか。今日一日を大切にしようと。

その旅の途中で「無為に過ごしてしまった」と反省する日もあるし、迷うことだってある。それでも精いっぱい生きたいと思っている。

 

※がん患者と向き合う精神科医の清水研さん(2022.1.6地元紙情報ナビ「成人の日に寄せて」より)

令和4年、新年に想う

会話の間を埋めようと、その場凌ぎの言葉を発するな。

昨日、弟と電話で新年の挨拶を交わしてまたしてもそう思った。

無駄に饒舌になってしまう。

だから昔から電話で話すのは好きではなかった。

 

身内以外の人間と対面して話す時もそうだ。

間を気まずく感じ、言わずもがなのことまで喋ってしまう。

その時を振り返る度に後悔を深くする。

 

間の対応の仕方でその人間の器量がある程度分かる。

肚が坐っているか、いないか。

 

人は人、俺は俺。

ストレスの多くは人間関係。

自分の尺度で人を判断し、優劣、善悪を決めてしまう。

約700万年前と言われる人類の誕生から現代までの過程を辿れば、そもそも善悪の二元論など存在しない。

殺し殺され、過酷な生存競争を経て、その行き着いた先が近代の人類共存というかりそめの姿であって、その根源は無秩序、カオス、それが渾然一体となっている世界。

そこから生まれたのが宇宙、地球、人類。

核兵器を後ろ盾に利権争いを繰り広げる国々や、また、米国の、虎の威を借る狐の日本のような各国の政治家や世界的金融機関及び大企業は、二元論を都合の良いように利用し、人類の精神的進化を阻害すべく、経済不安、老後不安、治安情勢の不安、戦争不安などマスメディアを通して様々に社会不安を煽り、そうして経済優先の消費社会を生み出し、一部の人間が永遠の富を得んがためにあらゆる手練手管を弄し、大方の人間を洗脳し、その支配下に置いてきた。

そこから抜け出して本当のカオス、多様化を認め合う渾然一体の世界を作り上げるのが今世の人類の使命のように思う。

 

ポジティブ、それが全てではなく、人に話せないような魑魅魍魎、奇々怪々なネガティブな考えであっても、あるがままの自分を受け入れ、自分軸を失わず、自分を信じて生きていきたいと思う。

今日も素晴らしい一日が、そして今年一年が始まると楽しみつつ。

一瞬の出会い

今から20年前以上になるが、仕事で作家の津村節子さんに会いに行くことになった。

当時の細かいところまでは覚えていないが、約束したその日、新幹線から乗り継いで中央線の吉祥寺駅を降りると、ジブリ美術館の文字が目に付いた。

辺りを見渡すと、そのためか小学校低学年か未就学児を連れた若い母親たちの姿が多いように感じた。

アルプスの少女ハイジ」「未来少年コナン」を見て育った世代には興味深くもあり、打ち合わせを終えたら立ち寄ってみるかと少しく食指も動いたが、入場するには予約が必要と知り、浮かれ気分を打ち消した。

頭を切り替えて井の頭公園近くの住宅街に一歩入ると、駅周辺の喧騒さは消え、人の往来も途絶えた。

人が消えたような静寂した住宅街の、車一台が通れる程度の細い道路を独り歩く、その対比を客観視しながら夢心地気分で津村さんの自宅を探し歩いた。

表札には「吉村」「津村」両名の姓が表示されてあったと思う。

夫婦揃って著名な作家とあれば、それなりの結構な邸宅と想像していたが、至って慎ましい築数十年の、一般的な住居だった。

インターホーンを押すと男の声で返答があり、私は会社名と名前を名乗った。

玄関先に現れたのは津村さんの夫で同じ作家の吉村昭さんだった。

てっきりお手伝いさんが顔を出すものと思っていた私は驚いた。

吉村さんの『羆嵐』『冷い夏、熱い夏』を読んでその実直な作風に感銘を受けていた。

茶の間に通され、しばらく正座して待っていると吉村さん自らが茶を運んできた。

至極恐縮しつつ、私は挨拶代わりの茶菓子を差し出した。

約束した日時に訪問したものの、津村さんは友人と旅行に出かけて不在だったため、後事を託された吉村さんが応じてくれたのだった。

どっちみちその場で済む用件ではなかったので、津村さんに目を通していただきたい資料を渡して辞した。

吉村さんは私と親子以上の年齢の差があるにも関わらず、しかも著名人にありがちな傲慢な振る舞いは微塵もなく丁重に遇してくれた。

その姿勢に更に深く感銘したことを覚えている。

 

いつだったかNHK歴史ヒストリアで「網走監獄 最果ての苦闘」が放送された。

その中のエピソード2《最恐”監獄VS.稀代の脱獄王》で一人の男の数奇な人生が紹介された。

男の名は、脱走不可能と言われた網走刑務所をはじめ、4回の脱獄を繰り返した白鳥由栄(しらとり よしえ)。

強靭な身体能力を活かし、札幌刑務所を4回目に脱獄した白鳥は、札幌で職務質問を受けて呆気なく逮捕された。

その時の逮捕劇が印象深い。

職務質問を受けた白鳥は警察官に煙草を求めた。

すると警察官は当時貴重品であった煙草「ひかり」を躊躇なく差し出した。

白鳥はその親切心に感謝して警察官の手柄にと自白し、逮捕されたのだ。

幼少期の不幸な生い立ちや蟹工船での過酷な労働から世間の辛酸を嫌というほど嘗め尽くし、獄中生活ではまともに人間扱いされず、それへの反発、憤りから脱獄を繰り返した訳だが、この一瞬で負の感情が氷解し、また、府中刑務所所長との出会いが白鳥の根底を変え、人間・白鳥として生まれ変わらせた。

白鳥はその後、所長への恩義を忘れず、模範囚として勤め上げ、仮釈放後は身元引受人の支援によって社会復帰を果たした。

釈放されてから18年後、白鳥は71歳でこの世を去った。

引き取り手がいない遺体は無縁仏として供養されるところだったが、出所後に近所付き合いで親しくなった女性が引き取り、無事埋葬されたという。

 

この白鳥をモデルにした小説『破獄』も吉村さんの著作。

白鳥と警察官、吉村さんと私。

日常生活の些細な、通りすがりの、一生に一度の、一瞬の出会い。

人は気付かないところで人に救われているのかも知れない。