朴念仁の戯言

弁膜症を経て

あんこ屋の倅

2月2日朝刊のお悔やみの欄で中学校の同級生Tが亡くなったことを知った。

命日は1月31日。

一昨年、まちの正月市で立ち並ぶ露店をひやかし程度に眺め歩いている途中でTを見掛けた。

Tは出店していた。

「T、何してんの?」

急な出会いに驚いて声を掛けると、

「あっ、あんこ餅、売んだ」

彼の声を聞いて中学校時代の危なっかしくてやんちゃだった頃の、懐かしい感情が蘇ってきた。

彼は他店が販売を始めている中、仕込みの最中だった。

「今、あずき、煮てんだ」

「今やってたら客足多い時に間に合わねえべ。一人でやってんのが」

「ん、かっ、かき餅も売んだ。食べてみぃ。あっ、油にこだわってんだ。おっ、オリーブ油で揚げてんだ」

と言って、銀紙にくるんだかき餅を差し出した。

一個摘まんで口に入れた瞬間、

「うわっー!かてぇー!硬すぎて噛めねえ!」

「だめが?」

「だめだ、こりゃあ売り物になんねえぞ」

彼とそんなやりとりをしていると、

「それ、ください」

と何も知らずに年配の女性が声を掛けてきた。

私は慌てて口をつぐんだ。

「はい、500円になります。ありがとうございます」

Tは平然と第一番目と思われる客に売った。

気の毒に。

内心そう思って、その品のある女性の後ろ姿を見送った。

「出店は何回かやってんのか?」

まだ嚙み切れないかき餅で口をもぐもぐさせながら訊いた。

「はじめてだ。とっ、友だちに教えでもらった」

「ここでは売るだけにしねえど効率わりぃぞ。仕込みは済ませておがねえど。一人では無理だ」

素人でも分かる道理にTは答えず、

「今、ねっ、ねえちゃんどこに厄介になってんだ」

「東京に行ってたんじゃねがったのか?」

「仕事も、うっ、うまぐいがなくて帰ってきた。こっ、これでやっていぐがと思って」

「そうが。何か足んにぃものはねえが?」

「はし、箸、忘れっちまった。あっか?」

「分かった。一膳でいいが?事務所から持ってくっから」

仕事場へ引き返し、箸一膳分を手にTのテントへ戻った。

「頑張れよ」

箸を手渡す時、それしか言いようがなかった。

それが彼との最期の出会いとなった。

 

Tの母親は、数カ月間の入院生活の最中、数年前に亡くなった。

長男のTは、毎日のように病院に通っていたらしい。

以前、携帯ショップに出かける途中の彼にバッタリ出会い、そんな話を聞いた。

父親は製餡所を営んでいた。

母親より早く、比較的若くして亡くなった父親は生前、大病を患ったことがあったが、仕事に復帰できるまでに恢復し、それも神仏のお陰と菩提寺だったのか近所の寺院に結構な寄進をしたとも、中学生時分に一度きりだったが、彼の家に泊まった夜に聞いた。

父親の死後、製餡所は廃業し、しばらくして持ち家は人手に渡った。

 

今、目に浮かぶのは、彼が悪戦苦闘していたテントの中で、石油ストーブの上の鍋の湯の、底一面に沈んで茹で上がるのを待っていた、天燃色の、赤茶色のあずきたち。

一粒一粒の小さなあずきが大きな一塊のあんこになって、Tは父の元に還っていった。