朴念仁の戯言

弁膜症を経て

世界に種をまき続け

1890年7月27日午後、ゴッホは野外制作に出かけた麦畑の近くで、胸を拳銃で撃ち自殺を図った。
医師ガシェからてんかんが「不治の病」と告げられ、このままではいずれ絵が描けなくなると悲観した画家の、覚悟の上の行為だった。
弾は急所を外れ、彼は出血する胸を押さえながら部屋に戻った。
翌朝、パリからテオが駆けつける。
驚き悲嘆にくれる弟に兄は言った。
「泣かないでくれ、みんなに良かれと思ってやったことなんだ」
翌29日午前1時頃、ゴッホは息を引き取った。享年37。
深い悲しみに包まれたテオもその半年後、精神に異常をきたし亡くなった。まだ34歳だった。
今、兄弟はオーヴェールの小麦畑の中の墓地で二人並んで眠っている。
連載最後に取り上げた作品は、死の一カ月前に描かれた。
この絵の中には、ゴッホが愛したものの多くがおさめられている。
畑、農民、家、樹木、馬車と汽車、丘陵と空。
平凡な田舎の風景だが、ここには平和で穏やかな時間が流れている。
それは、画家がこの風景に限りない<共感>と<愛>を感じているからだ。
「自然に向かって孜々(しし)として仕事をすること、あたかも靴屋が靴を作るように何の芸術的な下心もなく仕事をすること、(…)そうすればちょっと見て受けた感じとは、本当はまるで違う一つの国を知ることができるのだ」
無心に絵を描くとき、自然は画家にまったく異なる姿を見せてくれる。
それは我欲で汚された人間には決して見えない<真の世界>の姿だ。
愛と平和と歓びに満ちた光あふれる真実の世界。
その世界を画布にとどめるべくゴッホは絵筆を握り続けた。
たとえその努力が未完に終わったとしても、未来の誰かがそれを引き継いでくれる。
そこに画家の希望がある。
一粒の麦は死んで多くの実を結ぶ。
未来の誰かのために、今、自分は人知れず種をまくのだ。
木喰上人(もくじきしょうにん)の次の歌をもって、この連載を閉じることとしたい。

のちのよのたねをまきおく皆ひとの 心はすぐにぼさつなりけり

※坂口哲啓さん(平成27年11月14日地元紙掲載「没後125年 人間ゴッホを求めて」より)