朴念仁の戯言

弁膜症を経て

一瞬の出会い

今から20年前以上になるが、仕事で作家の津村節子さんに会いに行くことになった。

当時の細かいところまでは覚えていないが、約束したその日、新幹線から乗り継いで中央線の吉祥寺駅を降りると、ジブリ美術館の文字が目に付いた。

辺りを見渡すと、そのためか小学校低学年か未就学児を連れた若い母親たちの姿が多いように感じた。

アルプスの少女ハイジ」「未来少年コナン」を見て育った世代には興味深くもあり、打ち合わせを終えたら立ち寄ってみるかと少しく食指も動いたが、入場するには予約が必要と知り、浮かれ気分を打ち消した。

頭を切り替えて井の頭公園近くの住宅街に一歩入ると、駅周辺の喧騒さは消え、人の往来も途絶えた。

人が消えたような静寂した住宅街の、車一台が通れる程度の細い道路を独り歩く、その対比を客観視しながら夢心地気分で津村さんの自宅を探し歩いた。

表札には「吉村」「津村」両名の姓が表示されてあったと思う。

夫婦揃って著名な作家とあれば、それなりの結構な邸宅と想像していたが、至って慎ましい築数十年の、一般的な住居だった。

インターホーンを押すと男の声で返答があり、私は会社名と名前を名乗った。

玄関先に現れたのは津村さんの夫で同じ作家の吉村昭さんだった。

てっきりお手伝いさんが顔を出すものと思っていた私は驚いた。

吉村さんの『羆嵐』『冷い夏、熱い夏』を読んでその実直な作風に感銘を受けていた。

茶の間に通され、しばらく正座して待っていると吉村さん自らが茶を運んできた。

至極恐縮しつつ、私は挨拶代わりの茶菓子を差し出した。

約束した日時に訪問したものの、津村さんは友人と旅行に出かけて不在だったため、後事を託された吉村さんが応じてくれたのだった。

どっちみちその場で済む用件ではなかったので、津村さんに目を通していただきたい資料を渡して辞した。

吉村さんは私と親子以上の年齢の差があるにも関わらず、しかも著名人にありがちな傲慢な振る舞いは微塵もなく丁重に遇してくれた。

その姿勢に更に深く感銘したことを覚えている。

 

いつだったかNHK歴史ヒストリアで「網走監獄 最果ての苦闘」が放送された。

その中のエピソード2《最恐”監獄VS.稀代の脱獄王》で一人の男の数奇な人生が紹介された。

男の名は、脱走不可能と言われた網走刑務所をはじめ、4回の脱獄を繰り返した白鳥由栄(しらとり よしえ)。

強靭な身体能力を活かし、札幌刑務所を4回目に脱獄した白鳥は、札幌で職務質問を受けて呆気なく逮捕された。

その時の逮捕劇が印象深い。

職務質問を受けた白鳥は警察官に煙草を求めた。

すると警察官は当時貴重品であった煙草「ひかり」を躊躇なく差し出した。

白鳥はその親切心に感謝して警察官の手柄にと自白し、逮捕されたのだ。

幼少期の不幸な生い立ちや蟹工船での過酷な労働から世間の辛酸を嫌というほど嘗め尽くし、獄中生活ではまともに人間扱いされず、それへの反発、憤りから脱獄を繰り返した訳だが、この一瞬で負の感情が氷解し、また、府中刑務所所長との出会いが白鳥の根底を変え、人間・白鳥として生まれ変わらせた。

白鳥はその後、所長への恩義を忘れず、模範囚として勤め上げ、仮釈放後は身元引受人の支援によって社会復帰を果たした。

釈放されてから18年後、白鳥は71歳でこの世を去った。

引き取り手がいない遺体は無縁仏として供養されるところだったが、出所後に近所付き合いで親しくなった女性が引き取り、無事埋葬されたという。

 

この白鳥をモデルにした小説『破獄』も吉村さんの著作。

白鳥と警察官、吉村さんと私。

日常生活の些細な、通りすがりの、一生に一度の、一瞬の出会い。

人は気付かないところで人に救われているのかも知れない。