朴念仁の戯言

弁膜症を経て

特定秘密保護法案 俳優 菅原文太さんに聞く

戦前想起「異様な感じ」

俳優の菅原文太さん(80)が24日までに、共同通信の取材に応じ、特定秘密保護法案について「異様な感じで受け止めた。先の戦争の片鱗が影絵のように透けて見える」と強い危機感を示した。「あの不幸な時代を繰り返してはならない」と強調し、「(法案は)改憲の布石では」と警鐘を鳴らした菅原さん。「悪法に反対するため、国民一人一人の力を結集しないといけない」と呼びかけた。

菅原さんは20日、法案に反対するジャーナリストらの集会に参加し、マイクを握って「こういう法律が出てくるなんて、考えていなかった」と嘆いた。

翌21日には東京の日比谷公園では反対集会が開かれ、主催者発表で約1万人が参加。「突然出されて、みんなぎょっとしたんじゃないか。危機感のようなものを覚えたんじゃなかろうか」

法案には「今の日本にそんなものがいるんだろうか」と疑問を呈する。法案では、公務員以外も情報の入手や漏洩の教唆などで処罰される可能性がある。「防衛省や外務省の一部の人たちには必要かもしれないけど、一般の国民には…」と首をひねった。

安倍政権が法制定の先に見据えるのは憲法改正だとみる。「9条が最終的な狙いなのか」として「俺は断固反対。9条があるから戦後70年、ほぼ平和にきたんだ」と意義を訴えた。

菅原さんは戦時中に少年時代を過ごした。「大人たちが自由にしゃべれなかったのを覚えている」。灯火管制で電灯が黒い布で覆われ、ちゃぶ台の上が小さく丸く照らされていた場面も脳裏に深く刻まれている。

戦地にいた父は終戦の2年後に「よれよれになって帰ってきた」。やはり戦地に送られていた叔父は、生死も分からないままだった。

「そんな時代が再び来たらいけないということは、戦争をちらっとでもかじった人はみんな考えるはずなんだけど、今の政治家にはほとんど(経験者が)いないのかな」と危惧する。

「国際協調に基づく積極的平和主義」を唱え、集団的自衛権行使容認の道を探る安倍晋三首相。「愛想よくほほ笑みながら、言葉巧みに美しい約束を繰り出すが、俺たちはきれいな明かりに誘導されて炎に飛び込んで死ぬ蛾のようにはなりたくないね」と苦笑いした。

戦争反対への強い意志と今の時代への憂慮をゆっくり、しかし力強く語った菅原さんは、こう締めくくった。

「また不幸な時代を日本国民が迎えてしまうのか。単なる杞憂じゃなく、危ない時代になっている。主義、思想は関係ない。右も左もともに戦う。是は是、非は非でいかないと道を間違える」

※平成25年11月25日地元紙掲載

 

安らぐことで病遠ざける

人が持つ「気」

「病は気から」という諺がある。「病気は気の持ちようによって、良くも悪くもなる」という意味で使われることが多いが、東洋医学では「病気は、気の乱れによって起こる」とされ、「気」は人それぞれが持つエネルギーのようなものを意味する。気が不足すると「気虚(ききょ)」と呼ばれ、疲れやすくなり多くの病が寄ってくるそうだ。

以前、職場の人間関係で悩んだ時に、東洋医学を生業にする先輩に相談したことがあった。その先輩は「気が合わないことを悩んでも無駄だ。人は互いに気のやりとりをしており、この相性は変えられない」と言った。

考えてみれば、「気が合う」「気がめいる」「気が散る」など多くの言葉が、私たちの生活の中で使われていることに気付いた。また、自然界からも気を得ているそうだ。暖かさ、太陽の光、そよ風、新緑など…。確かにイメージするだけでも気が安らぐものだ。

ちょっと疲れたなと思ったら、気の合う友人との会話を楽しもう、少し早起きをして散歩に出掛けよう、自然の中で過ごしてみよう。きっと、寄ってきた病も遠のいていくことだろう。

※チームHLSの旬話健康より(平成25年11月25日地元紙掲載)

 

入院時にいじめ 厚顔無恥に怒り

昨今では病院にもいじめが巣くっている。先日、ある病院に認知症の母の入院に付き添った。

4人部屋の4人目として入室した際、先に入院していた方にあいさつを忘れたことでも不快だったのか、認知症ゆえの母と私のいささか幼稚な会話をあげつらい、3人でひそひそ小声で嗤い者にしているのが露骨に聞こえてきた。それは一日では済まなかった。

忍耐も限界に達し、看護師詰め所に事情を説明し、部屋替えをしなければ即刻退院すると掛け合った。当日中に別室に移されたが、厚顔無恥の同室者たちは看護師にまだ何か文句を言っていた。

善悪の別も分からぬ、いい年齢のお年寄りたちは、自分は絶対に認知症にならぬと楽観しているようだが、いずれ山ほど周りに迷惑をかけることだろう。

学校、職場、地域などで今いじめられている方は、問題を声高に公にして千倍返しすべきだ。その母も、今はもういない。

福島市の中根次朗さん61歳(平成25年11月20日地元紙掲載)

 

博愛主義 人々を救う

「7原則」基に世界で活躍
戦争は正義と正義がぶつかり合うときにしばしば起こります。ある人によっては絶対にゆずれない「正しいこと」であっても、別の人にとっては、まったく正しくないと思える問題はよくあります。国や民族の間で、このような「正義をめぐる対立」が深刻になると、戦争につながる場合も少なくありません。

■医療水準向上にも力
戦争、貧困、病気、環境破壊などの問題に対し「何が正義か」という立場から解決法を考えることは重要なことです。一方で、博愛という考え方で問題に取り組む人々もいます。国籍、人種、宗教などをこえて、悩み、苦しみ、傷ついている人々をとにかく救おうとする人々です。
博愛主義に基づく代表的な組織として、スイス人のアンリ・デュナン1863年に創設した国際赤十字があります。国際赤十字は、戦争でけがをした人を分けへだてなく手当てするほか、降伏するなどして捕虜になった人々がひどい扱いを受けないように見守る活動をしています。自然災害におそわれた人を助けたり、各国の医療水準を高めたりすることにも力を注いでいます。

■人道が最も重要
国際赤十字には「人道、公平、中立、独立、奉仕、単一、世界性」という7つの基本原則があります。
この中でも最も重要な理念は人道です。人道とは「人類に対する積極的な好意の感情」であり、「あらゆる状況においても人間の苦痛をへらし、予防する」ことと国際赤十字は説明しています。赤十字国際委員会の副委員長を務め、7つの基本原則を確立させたジャン・ピクテは次のような言葉を残しています。

赤十字にとっては正しい戦争も不正な戦争もなく、ただ助けを必要とする犠牲者がいるだけである」

「平和はすべての人にとって大切だが、平和を維持する方法や平和の中身についてはほとんど意見の一致はみられない」

戦争と平和の問題を考えるうえで、とても印象深い言葉です。

共同通信編集委員の石山永一郎さん(平成25年11月17日地元紙掲載)

 

犯人への共感 原動力

「誘拐」をドラマ化

1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」を描いた本田靖春のノンフィクション「誘拐」を読んだ時、「これは絶対に自分が撮らなければならない」と思った。〝戦後〟という同じ時代を生きた一人として、犯人の小原保に強い共感を覚えたからだ。

小原は、本県の貧しい山村の出身だった。シナリオを書くための調査で訪れた小原の生家は、山の陰で日の当たらない、小さな田んぼが斜面に連なる一角にあった。当時、この地区の子どもたちは「頭にわらをつけてくる」と学校でからかわれていたらしい。布団がなかったのだろう。

生家を訪ねると、プロデューサーが差し出した菓子折りを、小原の兄は投げ返して怒鳴った。

「ヒトジニ(人死に)が出たら責任とれるか?」

事件の後、世間の非難を苦にした小原の妹は、井戸に飛び込んで自殺した。

小原は小学校時代、素足にわら草履で山道を学校に通ったため、あかぎれから菌が入って丹毒になり、一生足が不自由だった。

そのため、座っていてもできる時計修理工になったが、借金を重ね、身代金50万円のために事件を起こす。

ぼくが中学時代、疎開先の山形で、母親が手に入れてきたゴム長靴を履いて、雪の中を中学校に通ったことは前に書いた。あの長靴がなければ、ぼくの足もあかぎれになっていたはずだ。

小原は自分だったかもしれない…そう感じたぼくは、テレビドラマ「戦後最大の誘拐―吉展ちゃん事件」を、小原に密着した構成で撮った。もちろん、金のために4歳の子どもを殺した小原は許せない。しかし、彼をそこまで追い込んだものに対する怒りが、ぼくの中にくすぶっていた。本田も同じだったのだと思う。

※映画監督の恩地日出夫さん(平成25年11月22日地元紙掲載「ぼくの戦後」より)

 

日大アメフト問題

加害選手の記者会見でその会見ぶりが称賛されているが、私はそうは思わない。

物事の分別付かぬ小学生でもあるまいし、ある程度の社会見識とそれなりのスポーツ歴のある大学生が、監督、コーチに追い込まれたから危険行為に及んだとの言い分は、責任逃れ、責任転嫁の自己弁護であり、被害者に謝罪しながらも自己の正当性を強く主張しているように思える。

無防備状態の選手に軽トラックでもぶつかるようなタックルを背後から仕掛けたらどうなるか、脊髄や頸椎損傷による半身不随、あるいは一生寝たきりの植物人間、ひどくすれば死に至る。

大学生ともあろう大人が、危険行為に及ぶ前にどうして相手を自分に置き換えて考えることができなかったのか。

監督、コーチの無謀な指示に対し、どうして退部覚悟で異を唱えることができなかったのか。

スポーツマンシップを捨ててまでアメフトをやり続けることに何ら疑問を持たなかったのか。

私からすれば、加害選手は元監督、元コーチと同罪である。

 

 

平常心

「シスターの心にも波風が立つ日がおありですか。いつも笑顔ですけれども」

大学生の一人の質問に私は答えました。

「ありますよ。他人の言葉や態度に傷ついたり、難しい問題にぶつかって悩んだりする時に、平常心を失うことがあります。ただ、自分の動揺で、他人の生活まで暗くしてはいけないと、自分に言い聞かせ、心の内部で処理する努力をしているだけなのですよ」

私は、母から受けた教育をありがたいと思っています。小さなことでクヨクヨしていた私に、母は申しました。

「人間の大きさは、その人の心を乱す事がらの大きさなのだよ」

この言葉が、折あるごとによみがえり、私に事がらの大きさを考え、つまらないことに自分の時間とエネルギーを費やしてはもったいないと思う習慣をつけてくれました。平常心に立ち戻ることを可能にする一つの秘訣です。

母は結婚のため、愛知県の小さな町から東京へ出て来ての生活の中で、父の地位にふさわしい教養を身につけるまでには、辛いことも多かったようです。その母が、自分の経験から子どもたちに伝えた言葉には説得力がありました。

「人は皆、自分が一番かわいいのだから、甘えてはいけない」

期待しすぎるから、期待はずれの時に腹が立ち、平常心を失うのです。
期待してはいけないというのではありません。ただ、自分も他人も、弱い人間であることを心に留めて、「許す心」を忘れないでいるようにという戒めでした。

醒めた目で問題の大きさを見極め、温かい心で人間の弱さを包むこと。このような「目と心」のバランスが、平常心に立ち返り、それを保ちながら生きる私の毎日を、助けてくれています。

※シスター渡辺和子さん(平成26年10月27日心のともしび「心の糧」より)