朴念仁の戯言

弁膜症を経て

戦争

The Wheel of Life 5 

第10章 蝶の謎 ⑴ 蝶だった。 みると、いたるところに蝶が描かれていた。稚拙な絵もあった。細密に描かれたものもあった。マイダネック、ブーヘンヴァルト、ダッハウのようなおぞましい場所と蝶のイメージがそぐわないように思われた。しかし、建物は蝶だらけ…

もう死ぬから・・・耳に残る母の声

8月には5歳の時を思い出します。2歳の弟と防空壕に避難した時のことです。B29の爆弾の音、まぶしい閃光は頭に焼き付いています。それ以上に衝撃を受けたのは、家族10人を父と支えていた母が、壕の水たまりで服が濡れて泣く私に言った言葉です。「もう死ぬの…

原爆の脅威訴え続ける

象徴のうた 平成という時代 かなかなの鳴くこの夕べ浦上の万灯(まんどう)すでに点(とも)らむころか 平成11(1999)年 皇后 以前にも書いたことだが、天皇皇后両陛下が、どこにあっても決して黙禱(もくとう)を欠かさない大切な日が四つある。8月6日、9…

生き証人を懐古

戊辰戦争から150年を迎え、白河市でも様々なイベントが行われています。街には〝仁義〟の文字があちこちに見られます。仁義を胸に戦った先人たちの思いに、深い感銘を受けるばかりです。 わが家にも戊辰戦争にまつわる言い伝えが残されています。6月24日、棚…

命の発言権

子どもたちの夏休みも終わりですね。お母さん方の暑くて忙しかった日々も、ほんの少しホッとできるのではないでしょうか。8月になると例年メディアはこぞって「戦争」をテーマにした、いろいろな話題を様々な角度による切り口で取り上げます。「戦争」はまる…

兵隊は消耗品だった

1938年と43年の二回召集され、中国やビルマ(現ミャンマー)などに従軍した。私は一兵卒だったが、弟の収吾は士官学校を出た少尉で、同じ歩兵第128連隊に所属してビルマにいた時に亡くなった。軍隊は「兵隊は使えるだけ使え」という主義で、ほんまの消耗品だ…

特高からひどい暴行

伊藤博文が殺された1909年、三重・伊勢の漁村に生まれ、13歳で大阪の商店へ奉公に出た。クリスチャンの店主夫婦が教会に連れて行ってくれ、夜学にも通わしてもらって。トルストイなんかの本にも接することができて、普通の小僧さんよりはいくらか変わっとっ…

餓死の島 生き延びる

その先どうなるか分からなかったけれど、うれしくて涙が出た。駆遂艦(くちくかん)で南太平洋のガダルカナル島を撤退したのは1943年2月7日の深夜。勇ましく、「隣の島までやっつけてやれ」と上陸した私たち一木支隊は、飢餓と感染症で骨と皮だけの姿に変わ…

「物」になって生きる

軍隊の不条理 訓練という名の虐待山口県萩。日本海に面した人口約5万人の市は、吉田松陰、高杉晋作ら、明治維新の原動力となった志士を多く輩出したことで知られる。今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」をきっかけに観光客誘致を図る同市には松下村塾など歴史的遺…

特定秘密保護法案 俳優 菅原文太さんに聞く

戦前想起「異様な感じ」 俳優の菅原文太さん(80)が24日までに、共同通信の取材に応じ、特定秘密保護法案について「異様な感じで受け止めた。先の戦争の片鱗が影絵のように透けて見える」と強い危機感を示した。「あの不幸な時代を繰り返してはならない」と…

博愛主義 人々を救う

「7原則」基に世界で活躍戦争は正義と正義がぶつかり合うときにしばしば起こります。ある人によっては絶対にゆずれない「正しいこと」であっても、別の人にとっては、まったく正しくないと思える問題はよくあります。国や民族の間で、このような「正義をめ…

炎の記憶乗り越えて

『歩み来て、未来へ1』出兵と抑留 シベリアで死者の歌に出合った。生きてて良かったね/わたしみたいにならなくて/小屋の中で焼き殺された/屋根に逃げても弾の雨/日本人のやったこと/日本人のやったこと…1919年3月22日。ロシア革命後の内戦に乗じた「シ…