朴念仁の戯言

弁膜症を経て

何もかも炙り出される世の中に

最近、本を読まない。

細かい字を目で追うのが面倒になったのもあるが、小説は特に読む気がしなくなった。

テレビは、と言えば、ゴールデンタイムの民放系なぞ害悪の極みで飽食のオンパレードに芸人のバカ騒ぎには目の毒とすぐにチャンネルを変えるか、スイッチを切る。

そんなこともあって最近はYouTubeをよく見るようになった。

好みに応じて多種多様な動画が、見る者の為すがままに映し出される。

その中でも、社会の枠を、塀を飛び越えるような気軽さで簡単に飛び越え、屈託なく生きる人物を取り上げた動画に惹き込まれた。

事実は小説より奇なり。

想像を遥かに超えた生き様に自分のちっぽけさ、料簡の狭さを知った。

人の目、世間体を気にし、知らぬ間に如何に〈常識〉〈普通〉という社会概念に縛られて生きてきたかを。

 

当たり前に人の数だけ、人の顔が違う分だけ、様々な人生がある。

好きなように生きていいんだ。

それが社会の、法の枠を超えても。

 

今日も新聞やテレビ、ネットに、欲にくらんだ、あるいは思うがままに生き、生きた人間が示される。

他人の称賛や非難などどうでもいい。

望む望まぬに関わらず、本人がそれを体験したいと人生の計画の一つに選んでいただけのこと。

 

世界の変わり目に、今まで隠れ済んでいたものがこれからはどんどんと炙り出されるようになる。

そして世の中がますますおもしろくなっていく。