朴念仁の戯言

弁膜症を経て

壁を乗り越える

「今の子どもたちは打たれ弱い。その理由の一つとして考えられるのは、この子たちは海で泳ぎを習わず、プールで習ってきているからだ」と言った人がいます。
つまり、波にぶつかる機会がないまま育ってしまったために、世間の荒波にぶつかった時に対処できないのだということでした。

道路についても同じことが言えます。
今やほとんどが舗装されていて、デコボコの道、泥んこの道、石ころ道を歩くことは少なくなりました。
しかしながら、私たちの一生は決して平坦な道ばかりではなく、波風の立たない、適当に温度調節されたプールでもないのです。
たくさんの障害物が立ちはだかり、行く手を塞ぐ壁となっています。

育っている間、したいことは何でもさせてもらい、したくないことはしなくてもいいと、そして、それが〝自由〟であるかのように育てられてしまった子どもたちは、壁にぶつかった時にどうしてよいかわからず、落ち込んだり、生きる勇気まで失ってしまうことがあります。

〝壁〟というものは、人間が成長するためになくてはならないものなのです。
世の中の厳しさを知るために、何もかも自分の思い通りに行かないことに気づくために必要なものなのです。

今まで持っていた自分の価値観と異なる価値観があることに目覚め、自分を振り返り、自分の生き方、主義主張を見直す良い機会ともなります。

〝壁〟は、必ずしも乗り越えないといけないものばかりではなく、必要な存在でもあるのです。
世の大人はもちろんですが、親、教師の立場にある人こそ、愛情をこめて、子どもの壁になるべきだと考えています。

※シスター渡辺和子さん(平成29年4月28日心のともしび「心の糧」より)

 

ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」

なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。

ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。
オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座っているタイプなんだよ。
だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。
今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。
こんなこと初めてだよ。
そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃなんでもない話だけどさ。

どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。
こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティー番組にできることは少ないよ。

地震発生から間もない14日の月曜日に、『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、スタジオに客まで入れたんだけど、直前に取止めたんだ。
所(ジョージ)と相談してさ。
こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。
とてもじゃないけど笑えないよってさ。

よく「被災地に笑いを」なんて言うやつがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。
しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。
悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。
悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。
早く、そんな日が来ればいいね。

常々オイラは考えているんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。
だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことはまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。
それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万人分の1でも8万人分の1でもない。
そうじゃなくて、そこには「一人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。
被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子どもが」だろ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子どもや身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。
残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。
2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えているんだから。

だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方ないよな。
その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。
その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりをしてきたかという証拠だよ。
海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。
「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。

それにしても、今回の地震はショックだったね。
こんな不安感の中で、普段通りに生きるってのは大変なことだよ。
原発もどうなるかわからないし、政府も何考えているんだかって体たらくだしさ。
政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。
まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。
これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。

それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。
もう、それしかない。

人はいずれ死ぬんだ。
それが長いか、短いかでしかない。
どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。
「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだ。

オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。
ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがあるんだ。

そんな儲けもんの人生だから、後はやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。
それはこんな時でも変わらないよ。
やりたいことは何だって?
バカヤロー、決まってるだろ。
最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。

※NEWSポストセブン 平成26年3月11日(火)配信(ビートたけし著『ヒンシュクの達人』収録)

 

99歳 熱い「たいまつ」

今年1月に99歳を迎えたむのたけじさんは、「反骨のジャーナリスト」と呼ばれることに抵抗を覚えることがあるという。
理由を、著書「九十九歳一日一言」(岩波新書)で次のように書いている。
「『反骨のジャーナリスト』というのは『空の色をした空』みたいな二重形容だ」
こんな言葉もある。
「これまで金持ちになったことは、一度も一日もないけれど、今度もし多くのカネを持ったら、『使いたいところにジャンジャン使え』と自分に言い聞かせている。カネは人間生活の便宜のために造った道具だ。それなのに人間がカネに使われて、泣いたり死んだりするなんて(略)そういう社会現象に一発食らわせないと気が済まない」
一人一人の市民が「普通に生きること」を阻む物や事に反対し、それぞれの「一発」を紙つぶてにしてきたむのさん。
「21世紀をもう一つの戦前にしてはならない」
1月に東京都内で開かれた、特定秘密保護法に反対するジャーナリストらの集会で、準備された椅子にも座らず、熱く訴えた。
言葉の一つ一つが、強く深く心に響く。
集会後、お時間をいただき、その思いをあらためてうかがった。
従軍記者の体験もあるむのさんは、現在という時代や政治が、かつて来た道に雪崩を打って墜ちていくのではないかと危惧している。
1945年。
当時、記者として勤めていた朝日新聞社には、「終戦の日」の3日前にポツダム宣言の受諾の情報が入ったという。
しかし、編集局はそれを記事にしないまま、時間が過ぎた。
8月14日。
大本営発表をそのまま記事にしてきた戦時下のジャーナリストのひとりとして、決意した。
「記者として自らの戦争責任を取ろう」
部会の席で、会社を辞めると同僚に告げた。
「辞める」と言ったものの、幼い子どもたちを抱えて今後どう生活したらいいのか。
重い足取りで帰宅し、事情を告げた夫に、妻の美江さんは普段とまったく変わらない口調で答えたという。
「あなたは、そうすると思っていたわ」
数年前に亡くなった美江さんをむのさんは「最高の友人です」とおっしゃる。
48年、秋田に帰郷して週刊新聞「たいまつ」を創刊。
78年の休刊まで、平和、反差別、人権、教育、農業問題などについて、書き続けた。
「自分が燃えて人々の心を燃えさせる。自分はとことん燃えても燃え尽きる。それが、たいまつ」(「九十九歳一日一言」)
99歳の今なお、「たいまつ」は赤々と燃え続けている。

※作家の落合恵子さん(平成26年2月25日地元紙掲載)

 

始めの一歩

江戸時代、堺の町に吉兵衛という人がいました。
商売も繁昌していたのですが、妻が寝たきりの病人になってしまいました。

使用人が多くいたのにもかかわらず、吉兵衛は、妻の下の世話を他人に任せず、忙しい仕事の合間を縫って、してやっていました。
周囲の人々が言いました。
「よく飽きもせず、なさっていますね。お疲れでしょう」
それに対し、吉兵衛はこう答えたと言われています。
「何をおっしゃいます。1回1回が仕始めで、仕納めでございます」

この言葉を私は時折思い出して、反省の材料にすることがあります。
吉兵衛さんは、この繰り返しを、繰り返しと考えず、毎回を「始めの一歩」として、新鮮な気持ちで行い、もしかすると、これが最後になるかも知れないと、心して、丁寧に済ませていたに違いありません。
こういう心を、折にふれて取り戻したいものです。

随分前のことになりますが、一人の神父が、初ミサをたてるに当たって言った言葉も、私に反省を促します。
「自分はこれから、何万回とミサをたてることになるだろうが、その1回1回を、最初で、唯一で、最後のミサのつもりでたてたいと思う」

新しい年を迎えるにあたって、人それぞれに立てる決心があることでしょう。
私は、吉兵衛さんの「仕始めで仕納め」の心がけと、初ミサをたてた時の神父の「最初で唯一で最後」の意気込みを、この一年、大切にしていきたいと思います。

それは、丁寧に生きるということであり、その一歩一歩の積み重ねが、この一年を、私の財産となる一年にしていってくれるのではないかと願っています。

※シスター渡辺和子さん(平成29年2月27日心のともしび「心の糧」より)
 平成28年12月30日に帰天された。

 

1977(昭和52年)2月14日 青酸コーラ事件

大阪で男性がたばこ自動販売機の上に置かれたコーラを飲み意識不明で入院、この日、瓶から青酸反応が出た。
東京の青酸コーラ事件から約一ヶ月。
男性は「格好が悪い」と、退院後に自殺。
直後から毒入りチョコ事件が相次いだ。

平成26年2月14日地元紙掲載

 

自然環境の保全 最優先に考えて

ラジオで予算委員会の中継放送を聞いていた。
東京五輪のカヌー競技場が葛西臨海公園に建設されることを知った。
ここは東京随一の野鳥の宝庫で、多様な生態系が形成されている。
質疑を聞きながら、沖縄の基地問題での辺野古埋め立てが思い浮かんだ。
埋め立て計画地域の豊かな海には珊瑚が群生し、絶滅危惧類のジュゴンも生息するという。
これらはいずれも守るべき自然環境の破壊だが、どうも政治的な、そして経済的な活動が優先されているように思える。
これらの懸念に環境省はどう考えているのか見えない。
人間も自然の一員で地球は借り物だ。
いつまでも人間本位に自然を破壊し続けることはやめてほしい。
便利な生活やぜいたくな生き方を求め続けずに、もっと自然環境の保全を第一に考える方向に舵を切り変えるべきだと考える。
行政や世の中の流れを、ただ傍観するだけの自分がもどかしい。

会津若松市の松下俊彦さん(67)(平成26年2月13日地元紙掲載)

 

仕事と私

「何を考えながら、仕事をしていますか」
突然、背後から英語で問いかけられた私は、手早く皿並べの手を止めて、「別に何も」と答えました。
すると返ってきたのは、厳しい𠮟責。
「あなたは時間を無駄にしています」
アメリカのボストンで修練者として生活していた、ある昼下がりのことでした。

百数十名のシスターたちの夕食の配膳を割り当てられていた私は手際よく、しかし心の中では「なんとつまらない仕事、早く済ませてしまおう」とだけ考えていました。

「つまらない、つまらない」と考えながら過ごした時間は、私の人生の中に、つまらない時間として刻まれ、「お幸せに」と願いながら過ごした時間は、同じ時間でも、愛と祈りのこもった30分として残るのです。
時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方であることを、その日、私は教えられました。

仕事は、すること(doing)も、もちろん大切ですが、どういう気持ちでしているかという私のあり方(being)を忘れてはいけないのです。

私が、「お幸せに」と祈りながらお皿を並べたから、夕食に座ったシスターたちが幸せになったかどうかは分かりません。

私が変わりました。
仕事に対して不平不満を抱くことがあった私が、少しずつであっても、与えられた仕事を一つ一つ意味あるものとして、丁寧に向き合う私になってゆきました。
雑用は、用を雑にした時に生まれるのです。

※シスター渡辺和子さん(平成28年8月31日心のともしび「心の糧」より)