朴念仁の戯言

弁膜症を経て

自国の食文化 大切に継承

◆外国の若者から学ぶ

ある日、何となくテレビを見ていたら、イベント会場で、若い女性に料理をしてもらうコーナーが流れ出た。びっくり仰天、あきれて言葉が出なかった。

生のアジの名前を聞かれて「サンマ~?」「イワシ~?」だ。そして、ヒントでアジの開きが出ると、「分かった!ひらき~」だった。アジの開きは「ヒラキ」という魚の名前だと思っていたのだから、あきれた後は爆笑してしまうしかなかった。

日本人と日本の食文化の堕落を嘆いてきたが、他の国はどうなのだろうか。特に、若者の食文化に対する姿勢を訴えたい。

韓国の街中には日本と同じようにファーストフード店が立ち並び、欧米風の外食産業は花盛りだ。しかし驚いたことに、若者を対象にした調査で、ここ25年の間、食文化がほとんど変わっていないことが分かったのである。

キムチの消費量が変わっていないのが、その好例だ。私は今年3月まで東京農大の教授を務め、外国人の留学生ともたくさん出会ってきた。その中で、韓国の留学生たちは、日本に来て自分でキムチを漬けて食べているというから、驚くとともに感心したのだった。

ある日の昼休み、留学生が「私が漬けたキムチです」と持って来てくれた。これが実にうまく、おかずなどいらず、そのキムチだけでご飯をぱくぱく食べてしまった。

「自分で作らなくても、日本でも売っているのに」と聞くと「今ひとつ味が合わないし、高い」と言う。では「唐辛子や魚醬(ぎょしょう)はどうするの」と聞くと「上野のアメ横センターの地下に行けば、韓国の食材を安く、たくさん売っていますよ」と言われ、なるほどと思った。留学生同士が情報を交換し、安くていい素材の店を教え合っているという。

日本の若者で、漬物の漬け方を知っている人がどれだけいるだろうか。自国の伝統食に対する考え方の違いは歴然だ。

思い出すのは、昨年、BSE牛海綿状脳症)が疑われる米国産牛肉を輸入しようとした時、韓国の学生たちが反発したことだ。学生時代特有の反権力の思想や、政治的な背景は抜きにしても、食に対する危機意識を考えると、日本の若者にあれだけのエネルギーはあるだろうか。

もう一つ、「うーむ」と思わずうなってしまったことがある。ドイツ人の30歳前の女性留学生で、彼女が帰国するというので、食事会を開いた時だった。

彼氏はいるというので、失礼ながら「帰国したら結婚するの」と聞くと、彼女は「まだ、結婚はできません」と言う。その理由を聞いてびっくりした。自分の家に代々伝わる家庭料理を習得していないからだという。彼女は「全部で40種類ぐらいあるのですが、母から教えてもらったのは半分ぐらいです。結婚するのは全部教えてもらってからです。そうでないと、私の子どもにも伝えることができなくなりますから」と、当たり前のように答えたのだった。

自国の食文化をこれほど大切にし、継承している他国の若者たちの姿に、私はどうしても「今の日本の若者たちは…」と思ってしまうのだ。

※食文化論者・文筆家の小泉武夫さん(平成21年7月9日地元朝刊掲載)

 

幸せ望み 別れ告げる

かなわぬ恋(ベトナム

雨が菩提樹の葉を打つなか、彼は傘もささずに一人ベンチに座っていた。「男の人にしては細い肩」にバンは近寄って傘を差し出した。「ありがとう。でも、いいよ」。優しい目。どこか寂しげにも見えた。「特別な何かを持った人と思った」。チャン・ラン・バン(23)が7年前に初めて会ったゴ・スアン・トゥン(26)の印象だった。

月日を重ね、愛を紡ぎあった二人はベトナムの首都に住む。トゥンは孤児の職業訓練を兼ねたバイク修理店の経営者。バンは看護師。ベトナムのどこにでもいそうなカップルだが、二人は愛し合いながら、別れようとしている。

▣7歳の日に母と

トゥンは幼いころ、「歌手」の母と車の中で暮らしていた。7歳のある日、母が泣きながら知らない町に彼を連れて行った。「ここで待ってて」。そう言ったきり、母は戻って来なかった。

独りぼっちになったトゥンは、物乞いをし、靴磨きを覚え、通りで暮らした。公園で読み書きを教えてくれた学生もいたが、他の子たちと盗みもした。

ある日、道端で気を失った。「心臓病で長くないね」。運ばれた病院の医師に言われ、ハノイ郊外の孤児院に送られた。

孤児院には十分な食べ物すらなかったが、支援団体を通じ、韓国女性が手術費を出してくれた。「生き続けられるなら良い行いをします」と神に誓った。バンと出会ったのは手術を終えたばかりのころだった。

バンはトゥンを兄のように慕った。父親が暴力をふるうこと、看護師の勉強をするように言われていることなど、悩みや迷いを打ち明けた。トゥンも自分の境遇すべて話した。トゥンがハノイ職業訓練校、バンが医療学校に入った後も、二人は手書きの手紙を交わし、週末には公園でデートをした。

「かつての自分と同じ境遇の子どもを助けたい」。トゥンは2年前、友人から金を借り、孤児の自立支援のためにバイク修理店を開いた。孤児だけでなく、刑務所を出たばかりの少年も雇った。売り上げを持ち逃げされたこともあったが、店は繁盛していった。

そんなトゥンをバンは自分の両親に紹介した。だが、バンの両親はトゥンが孤児と聞くと冷淡に接した。旧正月には両親の薦めでほかの男性と「お見合い」もさせられた。

親の承諾が得られない恋は、ベトナムではまだ「かなわぬ恋」だ。バンは携帯メールで「さようなら」の言葉をトゥンに送り、トゥンの店に来て言った。「あなたに同情して好きになっただけだった。恨まないで」。何かをこらえるような表情で、彼女はすぐに立ち去った。

自分の命が長くないと思っていたトゥンはもともと「誰かを悲しませるのが嫌だから、結婚はしない」と決めていた。「一人でここまでやってきた。これからもそれを誇りに思って生きよう」。そう自分に言い聞かせ、悲しみをこらえた。

▣一生離れない

しかし、数日もしないうちに彼女はまた店に現れ、涙ながらに言った。

「ごめんなさい。この前の言葉は全部うそ。あなただけを愛している」

「僕は貧乏だし、明日にも死ぬかもしれない」

「わたしが面倒をみる。一生離れない」

トゥンも本当は家族がほしかった。彼女がそこまで言ってくれたことが嬉しかった。意を決し、結納品を持ってバンの家を訪れた。今年初めのことだった。

だがバンの家族は厳しかった。「両親は誰だ」「健康は」。結納品は後日、突き返された。

「どんな素晴らしい人か、家族に分かってもらえるよう努力する」。バンはトゥンにすがって泣いた。しかし、今度はトゥンの方から「君の幸せを望むから」と別れを告げた。

「これからは誰も愛さず、孤児たちだけを助けることだけで生きていく。結婚なんて、僕には過ぎたことだったんだ」。トゥンは最近、心臓の調子が悪く、友人と食事中に二度、気を失った。眠ると「そのまま死ぬのでは」と夜が怖い。「バンの声が聞きたい」。夜中に何度も携帯電話を握る。そのたびに「彼女を忘れなくては」と思いとどまり続けている。

◎発展の裏で孤児増加も

ベトナムは近年、かつてない物質的豊かさの中にある。米国やフランス、中国との長い戦争、国際的な経済制裁を受けた窮乏の時代から一転、株や土地の高騰などで短期間で大金を手にする人が続出した。
だが、労働・傷病軍人・社会事業省によると、発展の裏で孤児も増加。2006年の孤児数は約14万人。貧富の格差拡大や家庭崩壊などが背景にあるといわれる。社会から落ちこぼれて麻薬に溺れ、エイズウイルス(HIV)に感染するなど最底辺で生きる孤児たちも多い。
多くの若者が金持ちになるチャンスをつかもうと懸命な今の社会にあって、トゥンは物質的豊かさに興味を持たない青年だ。
発展から置き去りにされている子供たちが少なくない事実を知っているからか。見捨てられることや顧みられないことのつらさ。トゥンは、自分の経験をほかの孤児たちに重ね合わせ、同じ悲しみの中にいる子どもたちを救いたいと願っている。「あきらめずにやり続ければ、チャンスをくれる人がいることも教えたい」
バンはそんなトゥンを深く愛しながらも、両親もまた裏切ることができずに苦しむ。
「どうして僕の人生は試練ばかりなんだろう」。トゥンはつぶやくが、彼の献身的な活動が地域の人たちの共感を呼びつつあることは、せめてもの救いかもしれない。

共同通信外信部の舟越美夏さん(平成21年7月1日地元朝刊掲載)

 

粗衣粗食の日本人 支える

◆梅干しは万能薬

「白地に赤く 日の丸染めて」とくれば「ああ うつくしい 日本の旗は」と続くのが唱歌「日の丸の旗」だが、私はどうしても「ああ おいしいな 日本の弁当は」と歌いたくなってしまう。

街で日の丸を目にすると、私は反射的に四角い弁当箱に詰めた飯の真ん中に、梅干し一個の日の丸を思い出してしまうのだ。

私のような戦中派の人間にとって、梅干しは郷愁を誘うありがたい食べ物だ。戦中戦後の苦難の時代、日の丸弁当を食べて苦難と欠乏に耐え忍んできた日本人の姿を思うと、この赤い小さな玉こそ、粗衣粗食の日本人を支えた太陽のように輝く食べ物と言っていいだろう。

日本人と梅干しは、切っても切れない関係にある。風を引いたときには、漬け込んだシソの葉とともに湯に溶いて飲み、食あたりには下痢止めとして飲んだ。疲労回復や夏バテにも効果があり、こめかみに梅薬を張り付けて、頭痛の特効薬にした。

弁当やおにぎりの中に梅干しを入れたのは、防腐の働きを持っていることを経験的に知っていたからだ。本当に昔の人の知恵はすごいと思う。納豆もそうだが、日本人にとって、梅干しは万能薬的な存在だったのだ。

私は、昔の梅干しだったら、一個でご飯二杯は食べられた。昔の梅干しは、天日に干してから塩漬けにし、真夏の太陽に再びさらして、太陽の香りを一杯に浴びせた日向香(ひなたか)梅を、シソとともに漬け直していたのだ。だから、本物の梅干しには、本当に太陽のにおいがあった。

今は、自分の家で梅干しを作る人はほとんどいなくなった。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、その代わり、市販の梅干しは値段が随分と高くなってしまった。そのくせ、丁寧に作られた梅干しは少なく、全部とは言わないが、多くは手抜きをした梅干しになってしまった。

何より寂しいのは、梅干しを食べる子供たちが少なくなってしまったことだ。大人でも、会食などの際に出された弁当に梅干しが入っていると、つまみ出してしまう人もいる。

梅干しの成分は、現代医学によっても、疲労回復、整腸、食欲増進、殺菌などの効果があることは分かっている。さらに、種子に含まれる薬効成分は、解熱、利尿、発汗、解毒、精神安定などに効果があるとされている。

今から半世紀ほど前、梅干しが飢えに苦しんでいた日本人を救ったことを決して忘れてはならない。飽食の時代だからこそ、梅干しの伝承は、私たちの責務ではないかと思う。

そこでだが、よく〇〇の日というのを聞くが、年に一度、梅干しの日をつくってみたらどうか。みんなで梅干しを食べて、日本に生まれたことや、この国をつくってきた人たちに感謝するというのはどうだろう。

祝日にしろとまでは言わないが、むしろ平日の方が、学校給食に使えていいのかもしれない。子どもたちに、日本を支えてきた梅干しの力と、日本の素晴らしさを知ってもらうのだ。

※食文化論者・文筆家の小泉武夫さん(平成21年6月30地元朝刊掲載)

 

1が並ぶ「レピュニット数」

算数のこころ

?はどうなる? 

        1×1=

      11×11=1

    111×111=1221

  1111×1111=123321

11111×11111=   ?   

 53×11=53=5

 76×11=76= 

 

1、11、111のように1が並ぶ自然数を「レピュニット数」と呼びます。このレピュニット数を二乗してみましょう。1×1⁼1、11×11⁼121、111×111⁼12321、1111×1111⁼1234321。

まるでピラミッド

何か気づきませんか? そう、答えの数字はまるでピラミッドのように順に1からそのケタ数まで大きくなると、そこから1まで小さくなるのです。なら、1111×1111の結果も予測できそうですね。電卓で確認してみてください。

十ケタを超えると繰り上がりが生じるので、この法則から外れてしまいますが、九ケタまでのレピュニット数の二乗は「123…n…321」となります。このように数の世界にはケタ数が大きくても、一定のルールに基づいて一瞬で計算できてしまう面白い組み合わせが存在します。

ところでレピュニット数には、ほかにも面白い法則があります。例えば、11×53⁼583。11に掛ける数(53)の十の位(5)と一の位(3)の間にすき間を空け、そこに両方の位の和(8)を入れれば答えになるのです。では、76のように十の位と一の位の和が10以上になる数なら、どうなると思いますか。ぜひ試してみてください。

東京工業大学世界文明センターフェローの桜井進さん(平成21年6月28日地元朝刊掲載)

  

心を動かされた辻井さんの一言

盲目のピア二スト辻井さんが国際大会でチャンピオンに輝き、凱旋帰国した。

マスコミからの取材で「夢はかなったと思いますが、ほかに何か、かなえてもらえるなら」の質問に「一度でいいから、一瞬でいいから、母の顔が見たい」と答えていた。

この言葉に感動し涙しました。私の知り合いにぜんそくを患っている人がいますが、ぜんそくの発作は大変苦しく、呼吸さえ満足にできないほどだそうです。発作が治まると、呼吸が楽になりすごくうれしい、と言っていました。

目が見えること、呼吸ができること、当たり前のことですが、いざできないとなると、どれだけ苦しく切ないことか。日常生活が普通にできると、人間は苦しかったことを忘れがちになります。

現代の日本社会は親殺し、子殺しに加え、数々の汚職、偽装に満ちあふれています。ほとんどの人は両親や祖父母が、新しい日本をつくるために払った努力を知らないと思います。

幾星霜が過ぎ日本は大きく変わったと思われる。道徳と倫理の国日本。盲目のピアニスト辻井さんの、心から素直に出た言葉に感動すると同時に、深く考えされられた。

国見町の菅井昭子さん68歳(平成21年6月26日地元朝刊掲載)

 

 

足のマッサージが効果的

◆私の健康法

人間は誰でも年を取るもの。体は確かに年とともに衰えていくが、年を取ったら取ったで、謙虚に受け入れた方がいい。齢(よわい)を重ねることは、恥ずべきことではない。若く見られたいという気持ちは分かるが、見た目ではなく、真の健康が一番。だから、私は、抗老化、抗加齢を意味する「アンチエイジング」という言葉は、あまり好きではない。

私は「生活しながら、いつでもできること」を健康法のモットーにしている。特別な方法ではないので、紹介したい。

朝起きたら、まずは布団の中でストレッチ。両腕を思い切りグーッと伸ばし、手のひらを半回転させる。腕を伸ばす方向は、斜め上、横、斜め下。それを三回ほど繰り返すと、肩の筋肉がほぐれてすっきりする。トイレに行く時は、太ももの付け根にあるリンパ腺をトントンたたく。たたくと下半身が温まるのだ。便座では、太ももと同じ高さまで足首を上げる。大腿(だいたい)四頭筋のトレーニングだ。歩いたり、バランスを取ったり、弱くなってきたひざをサポートする大切な筋肉だ。

キッチンでお湯を沸かす間、交差点で信号が青に変わる間は、かかとの上げ下げ。電車で座る時にはひざを閉じる。よく、ひざを開いて座っている人を見るが、内側筋が弱っているからだろう。脚を開き、口まで開けて寝ている人の姿は、あまりいいものではない。

ある時、息子のスキーのコーチから「田部井さんの歩き方は変ですね。少しねじれているように見えますが」と言われた。ちょっとムッとしたが、「肩が凝りませんか」と聞かれた時、「何で分かるんだろう」と思いながらも「そうなんです。肩が凝って眠れないのが私の最大の悩みなんですよ」と正直に答えてしまった。

靴屋さんでシューフィッターと言われる方に見てもらうと、私は左右の足の長さが違うというのだ。右足が左足より少し長いという。そういえば、マラソンのシドニー五輪金メダリストの高橋尚子選手も、左右の足の長さが微妙に異なり、シューズ担当のプロの方が、靴底を調整した特別なシューズを作って金メダル獲得に貢献したという裏話を思い出す。

足のマッサージ、ストレッチが体調に深く関係していると知った私は、パンプス類はパーティーの席でも履かないことにした。

体の器官で、余分なものは何もない。足の指が五本ついているのに、それを一つに包み込んでしまう靴下の生活にも不満持ち、今では、水虫の方がよく履くという五本指に分かれた靴下を履いている。山に行った時、「お指さま」と呼ばれんばかりに、足の指をマッサージしている。足のマッサージがこんなにいいもんだとは、やってみた人でないと分からない。

よく、足の指で「ぐー、ちょき、ぱー」をするといいと言われるが、その通り、家に一人でいる時、足の指で物をつかむのも、かっこうのトレーニングだ。肩が凝る人は、肩をもむのではなく、足をもむ。不思議と思うほど、楽になるはずだ。足のマッサージは、今では私の健康法の秘訣となっている。

※登山家、田部井淳子さん(平成21年5月28日地元朝刊掲載)

 

地方独特の山の料理が好き

◆山の食卓

地方の里山を歩くと、私を知っている登山者から「こんな低い山も歩くんですね」と言われることが多いが、私の好きな道は、何といっても山の中の自然道なのだ。そして、その地方独特の山ならではの料理がたまらなく好きだ。

友人に誘われて会津駒ヶ岳に登った時、友人は「今夜は会津色たっぷりの料理だからね」と笑った。出て来た料理は、まずはニシンの山椒漬け。海がない会津地方独特の魚料理だ。棒タラの煮付けもそうだ。朱塗りのお椀に出されたのが、こづゆ。さらに「いご草」という海藻をふやかして、練って固めた「いごねり」という料理。どれも友人の母の手料理で実においしい。感激の一日となった。

里芋が取れる10月になると、沼尻温泉の私のロッジには、大勢の友人が集まる。芋煮会だ。

大鍋二つをかまどに乗せ、季節の野菜を大ぶりに切って入れる。友人特製のみそが味を引き締める。男たちが、イカのわた漬けの網焼きに奮闘するそばで「三春のあぶらげも焼けたよー」と声が掛かる。採れ立てのキノコを大根おろしにまぶして食べる。「来年もやろうね」と言っても、食べるのに夢中な連中からは返事がないのだ。

山都町はそばが有名だ。東北の名山「飯豊山」の登山口もある。山頂でのイベントに参加した時、山小屋で食べたそばは実にうまかった。会津若松市のそば屋の主人が、わざわざ道具を担いで登って来て打ったそばだというのだから、うまいはずだ。雄大な自然の中で、一流の職人が打ったそばを食べる。なんとぜいたくなことだろう。

私が山に登る時に必ずといっていいほど持っていく物がある。「チソみそ」と「干し柿」だ。

チソみそは、大葉と唐辛子をサラダ油でいため、かつお節を入れる。みそ、みりん、酒を入れて、硬めにいためれば終わり。キュウリ、ニンジンなどに付けて食べると食が進むこと間違いなし。ヒマラヤで食欲がなくなった仲間にも好評だった。

干し柿は、季節になると100個以上注文して冷凍保存する。山に行く前に取り出し、焼酎をかけてタッパに入れておくと悪くならない。山はのどが渇くので、行動食として山の仲間たちから喜ばれている。

この三月まで、東京農大教授を務めた小泉武夫さんは、田村高校の後輩だ。発酵学者の第一人者で、その著書は実に面白い。その小泉さんが「外国で水や食べ物に当たった時は、薬を飲むより、納豆を食べた方がいい」と断言する。納豆菌は、実に素晴らしい整腸剤になるというのだ。小泉さんは海外に行く時、必ず持参しているという。それを聞いて私も、海外に行く時は納豆を持参するようになった。

ノルウェーの最高峰ガルホピッケンの頂上で、白いご飯に納豆をかけて食べた。すると、外国人の登山者が興味深そうにこちらを眺めている。食べる時、納豆の糸を切るために口元で箸を動かす仕種が不思議らしい。ある外国人から「それは武士道か?」と尋ねられた時には、びっくりした。日本の発酵食について英語で説明したのだが、理解してもらえたかは微妙である。

※登山家、田部井淳子さん(平成21年5月27日地元紙掲載)