朴念仁の戯言

弁膜症を経て

心を動かされた辻井さんの一言

盲目のピア二スト辻井さんが国際大会でチャンピオンに輝き、凱旋帰国した。

マスコミからの取材で「夢はかなったと思いますが、ほかに何か、かなえてもらえるなら」の質問に「一度でいいから、一瞬でいいから、母の顔が見たい」と答えていた。

この言葉に感動し涙しました。私の知り合いにぜんそくを患っている人がいますが、ぜんそくの発作は大変苦しく、呼吸さえ満足にできないほどだそうです。発作が治まると、呼吸が楽になりすごくうれしい、と言っていました。

目が見えること、呼吸ができること、当たり前のことですが、いざできないとなると、どれだけ苦しく切ないことか。日常生活が普通にできると、人間は苦しかったことを忘れがちになります。

現代の日本社会は親殺し、子殺しに加え、数々の汚職、偽装に満ちあふれています。ほとんどの人は両親や祖父母が、新しい日本をつくるために払った努力を知らないと思います。

幾星霜が過ぎ日本は大きく変わったと思われる。道徳と倫理の国日本。盲目のピアニスト辻井さんの、心から素直に出た言葉に感動すると同時に、深く考えされられた。

国見町の菅井昭子さん68歳(平成21年6月26日地元朝刊掲載)

 

 

足のマッサージが効果的

◆私の健康法

人間は誰でも年を取るもの。体は確かに年とともに衰えていくが、年を取ったら取ったで、謙虚に受け入れた方がいい。齢(よわい)を重ねることは、恥ずべきことではない。若く見られたいという気持ちは分かるが、見た目ではなく、真の健康が一番。だから、私は、抗老化、抗加齢を意味する「アンチエイジング」という言葉は、あまり好きではない。

私は「生活しながら、いつでもできること」を健康法のモットーにしている。特別な方法ではないので、紹介したい。

朝起きたら、まずは布団の中でストレッチ。両腕を思い切りグーッと伸ばし、手のひらを半回転させる。腕を伸ばす方向は、斜め上、横、斜め下。それを三回ほど繰り返すと、肩の筋肉がほぐれてすっきりする。トイレに行く時は、太ももの付け根にあるリンパ腺をトントンたたく。たたくと下半身が温まるのだ。便座では、太ももと同じ高さまで足首を上げる。大腿(だいたい)四頭筋のトレーニングだ。歩いたり、バランスを取ったり、弱くなってきたひざをサポートする大切な筋肉だ。

キッチンでお湯を沸かす間、交差点で信号が青に変わる間は、かかとの上げ下げ。電車で座る時にはひざを閉じる。よく、ひざを開いて座っている人を見るが、内側筋が弱っているからだろう。脚を開き、口まで開けて寝ている人の姿は、あまりいいものではない。

ある時、息子のスキーのコーチから「田部井さんの歩き方は変ですね。少しねじれているように見えますが」と言われた。ちょっとムッとしたが、「肩が凝りませんか」と聞かれた時、「何で分かるんだろう」と思いながらも「そうなんです。肩が凝って眠れないのが私の最大の悩みなんですよ」と正直に答えてしまった。

靴屋さんでシューフィッターと言われる方に見てもらうと、私は左右の足の長さが違うというのだ。右足が左足より少し長いという。そういえば、マラソンのシドニー五輪金メダリストの高橋尚子選手も、左右の足の長さが微妙に異なり、シューズ担当のプロの方が、靴底を調整した特別なシューズを作って金メダル獲得に貢献したという裏話を思い出す。

足のマッサージ、ストレッチが体調に深く関係していると知った私は、パンプス類はパーティーの席でも履かないことにした。

体の器官で、余分なものは何もない。足の指が五本ついているのに、それを一つに包み込んでしまう靴下の生活にも不満持ち、今では、水虫の方がよく履くという五本指に分かれた靴下を履いている。山に行った時、「お指さま」と呼ばれんばかりに、足の指をマッサージしている。足のマッサージがこんなにいいもんだとは、やってみた人でないと分からない。

よく、足の指で「ぐー、ちょき、ぱー」をするといいと言われるが、その通り、家に一人でいる時、足の指で物をつかむのも、かっこうのトレーニングだ。肩が凝る人は、肩をもむのではなく、足をもむ。不思議と思うほど、楽になるはずだ。足のマッサージは、今では私の健康法の秘訣となっている。

※登山家、田部井淳子さん(平成21年5月28日地元朝刊掲載)

 

地方独特の山の料理が好き

◆山の食卓

地方の里山を歩くと、私を知っている登山者から「こんな低い山も歩くんですね」と言われることが多いが、私の好きな道は、何といっても山の中の自然道なのだ。そして、その地方独特の山ならではの料理がたまらなく好きだ。

友人に誘われて会津駒ヶ岳に登った時、友人は「今夜は会津色たっぷりの料理だからね」と笑った。出て来た料理は、まずはニシンの山椒漬け。海がない会津地方独特の魚料理だ。棒タラの煮付けもそうだ。朱塗りのお椀に出されたのが、こづゆ。さらに「いご草」という海藻をふやかして、練って固めた「いごねり」という料理。どれも友人の母の手料理で実においしい。感激の一日となった。

里芋が取れる10月になると、沼尻温泉の私のロッジには、大勢の友人が集まる。芋煮会だ。

大鍋二つをかまどに乗せ、季節の野菜を大ぶりに切って入れる。友人特製のみそが味を引き締める。男たちが、イカのわた漬けの網焼きに奮闘するそばで「三春のあぶらげも焼けたよー」と声が掛かる。採れ立てのキノコを大根おろしにまぶして食べる。「来年もやろうね」と言っても、食べるのに夢中な連中からは返事がないのだ。

山都町はそばが有名だ。東北の名山「飯豊山」の登山口もある。山頂でのイベントに参加した時、山小屋で食べたそばは実にうまかった。会津若松市のそば屋の主人が、わざわざ道具を担いで登って来て打ったそばだというのだから、うまいはずだ。雄大な自然の中で、一流の職人が打ったそばを食べる。なんとぜいたくなことだろう。

私が山に登る時に必ずといっていいほど持っていく物がある。「チソみそ」と「干し柿」だ。

チソみそは、大葉と唐辛子をサラダ油でいため、かつお節を入れる。みそ、みりん、酒を入れて、硬めにいためれば終わり。キュウリ、ニンジンなどに付けて食べると食が進むこと間違いなし。ヒマラヤで食欲がなくなった仲間にも好評だった。

干し柿は、季節になると100個以上注文して冷凍保存する。山に行く前に取り出し、焼酎をかけてタッパに入れておくと悪くならない。山はのどが渇くので、行動食として山の仲間たちから喜ばれている。

この三月まで、東京農大教授を務めた小泉武夫さんは、田村高校の後輩だ。発酵学者の第一人者で、その著書は実に面白い。その小泉さんが「外国で水や食べ物に当たった時は、薬を飲むより、納豆を食べた方がいい」と断言する。納豆菌は、実に素晴らしい整腸剤になるというのだ。小泉さんは海外に行く時、必ず持参しているという。それを聞いて私も、海外に行く時は納豆を持参するようになった。

ノルウェーの最高峰ガルホピッケンの頂上で、白いご飯に納豆をかけて食べた。すると、外国人の登山者が興味深そうにこちらを眺めている。食べる時、納豆の糸を切るために口元で箸を動かす仕種が不思議らしい。ある外国人から「それは武士道か?」と尋ねられた時には、びっくりした。日本の発酵食について英語で説明したのだが、理解してもらえたかは微妙である。

※登山家、田部井淳子さん(平成21年5月27日地元紙掲載)

 

一瞬の出会い

昼休みの束の間、パソコンを通してイヤホンから流れるピアノのメロディーを子守唄に、椅子の背もたれに身を預けて瞼を閉じようとした時、視界に人影が入った。

顔を起こすと、白髪で短髪頭の、60過ぎの男の姿が目に入った。

イヤホンを耳から外し、すぐに立ち上がって声を掛けた。

「いらっしゃいませ」

「パンフレット、もらっていっていいですか」

「どうぞお持ちください」

うたた寝を遮られ、内心舌打ちしたい気分だったが、気を取り直して男に向き合った。

男は、手提げ袋を片手に半袖の白シャツ姿で観光客には見えなかった。

「こちらは最近こんな天気ですか」

「いえ、昨日までははっきりしない天気で雨が降ったり止んだりでした。今日明日は天気は良いようです」

「東京と同じですね」

この時点では手早く話を切り上げようと余計な話には付き合わない無言の意思表示を身体に表していたが、すぐにそれを解いた。

すると、自然に柔和な顔が浮かび始めたのが自分でも分かった。

「東京からお越しですか」

「東京のようなもんです…」、男はそう言って一瞬ためらった後、「知人から頼まれたんですけど、パンフレット置いていっていいですか」と縦長のパンフレットを取り出した。

それは横浜中華街のパンフレットだった。

「私、中華街の近くに住んでいるんです。副都心線東横線が繋がってここ最近は埼玉からのお客が増えましてね。埼玉は海なし県ですから中華街に来て食事をした後なんでしょうか、この辺から海が見えるところはどこですか、とよく訊かれるんです」

「ここも山国ですからやはり海には憧れますね」

「海あり県でもそうですか」

「県内でも海まで遠いですからね」

「そうですか、それなら中華街に来たらお勧めは大桟橋です。海に突き出ているので今日のような天気の時は空のスカイブルーと海の紺碧のコントラストが最高ですよ。房総半島も見えます」

「えっ、房総半島も。東京湾の形が見えるわけですね」

すると男は、胸元のポケットから切り取った紙切れを取り出して見せた。

「夕暮れの天気の良い日はこんなものも見えます」

紙切れは何かの雑誌の切り抜き写真で、そこには夕焼けに染まる高層ビルが立ち並び、左側にはお椀を逆さにしたような山が写っていた。

「えっ、これ、富士山ですか」

「ええ、富士山が見えるんです」

「横浜かあ、10数年行ってないなあ。ところで中華街でお勧めの店はありますか、ピンからキリまでありますよね」

「御三家と言われるここと、こことここ。値段は高いですが間違いないです。人を案内する時はここを紹介します。お粥料理だったらここ。あっちの人は普段でもお粥食べますからね。ドライフルーツだったらここ。棗(なつめ)が買えます、燕の巣も。燕の巣は1g600円くらい。10g以上じゃないと販売しないので6,000円からですね」

「彼ら華僑の人たちは日本に来て3年くらいで流暢に日本語を話しますよ。漢字圏なので覚えるのが早いですね。漢字で日本語の意味が大体分かるようです」

「ぼったくりの店もあるんでしょ」

「言いたくないですが、評判の悪い店もあります。そういう店は入れ替えが早い。比較的大通りにある店は大丈夫。ある店の姑娘(クーニャン)に中国人に悪人はいないのかと聞いたら、悪人はいないよと手を振って否定したので、嘘だろと言ったら、悪人はいないけど極悪人はいると言ってました。極悪人は顔で分かるそうです、中国人は。額に極悪人の文字でも書いてあるのが見えるんでしょうか」と男は笑った。

料理の鉄人陳健一の話とか興味深い話もあったが、午後の会議のため、途中で話を切り上げざるを得なく、束の間の20数分間は過ぎ去った。

会議場所へ車で移動している途中、今し方立ち話した男が大通りを歩いている後ろ姿が目に映った。

男は冒頭、ストレス発散目的でこの地を訪れたと言っていた。

自然の緑が見たいと。

60過ぎの、定年退職した男の胸中を占めるストレスが何ものかは知らない。

単に人と話をしたくてふらり電車に飛び乗ったのか。

 

一生に一度の出会い。

恐らくもう二度と会うことはないだろう。

そう思えたから男と向き合えた。

日常のさりげない一瞬の出会い。

これからも大事していきたい。

そんな想いで男の背を見送った。

 

根無し草

20代から40代までは地に足着かぬ生き方だった。

今50代になって昔を振り返ると、ようやく大地に足が着き始めた、そんな風に思える。

植物は、母なる大地があって根を伸ばし、父なる太陽があって茎、葉、枝を伸ばす。

根無し草の私は、大地なる母、太陽なる母によってようやく根を伸ばすことができた。

 

十牛図によると人生の目的は3つあると言う。

自己究明(自分は何ものか)

生死解決(生きる死ぬとはどういうことか)

他者救済(利他の実践により他者の幸せが自分の幸せになる)

 

母の存在によって自己究明に至った。

病によって生死は解決した。

余生は、他者救済になる生き方を心がけ、大和(だいわ)の世界を描きたい。

デジタルの阿弥陀クジ

聞こえづらい〝人の声〟

最近はテレビもデジタル化され、生活のすべてがデジタル化される時代がやってきつつあるが、ご承知のようにデジタルとは音も映像も「1」と「0」の記号の組み合わせで出来た疑似自然であり〝生(なま)〟の情報ではない。

そういった流れは甘んじて受け入れざるをえないわけだが、私にはひとつだけどうも受け入れがたいものがある。それはデジタル化社会の到来を軌を一にし、メーカーに何か問い合わせようとしても、〝生〟の人の声が聞こえにくくなっているということだ。

必ず録音された人間の声からはじまり、要望別に分類された数字キーを打ち込まされ、その数字を打つとまた次の数字と、いつまでたっても人間の〝生〟の声に至ることが難しい。苦労してやっと目的まで〝到達〟して一息つくと、出てきたのは生の声ではなく、録音が答える仕組みになっていて、ひどく徒労感を覚えたりすることもある。

社会環境がデジタル化するのは時代の趨勢(すうせい)としていたし方ないにしても、問い合わせシステムでまで人間の存在が消される傾向があるのは納得できないのである。これはひとつには効率化のために、その分だけユーザーに労力の提供を強いるメーカー側の仕組みであるわけだが、かつてのメーカーはそこまで効率化優先主義ではなく、もっと〝人間の声〟が近かったように記憶するのだ。

こういった非人間化は特にインターネットやケータイ電話の問い合わせ時などに顕著だ。笑い話ではないが数字キーの間をさまよいながら最後の最後に生のオペレーターの声が聞こえてくると懐かしささえ覚え、まるで阿弥陀(あみだ)クジを引いてやっと〝当たり〟に至ったような気分にさえなるのである。

また、何かを問い合わせるためにネットなどでメーカー名を探し出しても電話番号を記しておらず、メールアドレスだけが記されていることも多い。いずこにおいても効率化のもとに〝人間〟が消されている。

そんな中、先日、あるオーディオメーカーに昔の機種の使用説明書を入手するにはどうしたらよいか問い合わせようとネットで社名を引いたら、最初のページからフリーダイヤルの電話番号が記されており、少し驚いた。

ただし、昨今はじかに電話口に人間が出てくるようなことは望めないので〝阿弥陀クジ〟を引く覚悟でその番号に電話をするといきなり〝生〟のオペレーターの声が聞こえ、ちょっとうろたえた。昔なら当たり前のことが今では希少になっているためにいきなりクジに当たるとかえって調子が狂ってしまうのである。ちなみにこの社ではオペレーターの対応も実にしっかりしていて無償で使用説明書のコピーを送ってくれるという。ふと昭和の〝ゆるさ〟を思い出してしまった。

ケータイにしろテレビにしろ昨今の製品の性能の差はなくなっており、甲乙の評価はつけ難いのが現状だが、私個人は以上のようなまわりくどい経験から「いかに生の人間の声が近いか」を製品、あるいはメーカーに対する重要な評価基準のひとつに加えるようにしている。

(写真家、作家の藤原新也さん)平成21年5月13日地元朝刊掲載

 

本当に汚いものは何?

オーガニックガーデンのすすめ 16

人間は自然の恵みで生かされている。では、人間が自然にお返しできることって、何だろう。

それに答えてくれるのが、写真家で「糞土(ふんど)研究会」の代表、伊沢正名さん。伊沢さんは「人間ができるお返しは、うんこをすること、死んだ後の体を土に返すこと」ときっぱり言う。

これはあくまでも排泄物を下肥えとして使い、死体は土葬にするという条件での話。現代社会では、その両方ともがほとんどできていない。それどころか、文明社会はし尿処理施設を造り、膨大な税金とエネルギーを投入して、廃棄物として処理している。

そんなことに憤りを感じた伊沢さんは、自らを「糞土師」と名乗り、野ぐそをこれまで一万回以上したという一風変わったオジサンだ。

私は今まで、小さなものが大きなものに、草食動物が肉食動物に食べられるという「生食連鎖」しか考えていなかった。

伊沢さんの話を聞いて、初めて「腐食連鎖」という言葉を知った。生き物の死体や糞や、落ち葉や枯れ葉を食べて分解する生き物がいて、最後はみな土にかえっていくことをいうのだそうだ。

考えてみれば、森は生き物の死体や糞、落ち葉や倒木であふれているなどということがない。なぜ秩序が保たれているかといえば、人間に嫌われるウジやヤスデ、シロアリや菌類が分解しているからだ。特に菌の力は偉大で、猛毒のダイオキシンさえも分解する菌が結構いるという。

人間の体の細胞の数は60兆個ほど。皮膚や腸内にすむ細菌は100兆以上といわれている。それらの細菌がバリアーとなって、人間を病気にさせるような菌から、体を守ってくれている。数からいえば、人間がこれらの細菌に共生させてもらっているといえるかもしれない。

土も人間の体と同じこと。たくさんの菌によって多様な世界が形づくられ、健康な土として植物を育てることができるのだ。うんこや泥は汚いといわれるが、本当に汚いものは生分解が難しい化学物質や放射能ではないのか。

私たちは、便利さや清潔さを得るために、何を失ったのか、考える時期に来ているのかもしれない。

(オーガニックガーデンプランナー 曳地トシさん)

※平成21年4月9日地元朝刊別紙タイム掲載