朴念仁の戯言

弁膜症を経て

日常の祈り

もう一月前以上に終えた行事だが、古人の祈りの日常が伝わる内容なので掲載した。
物が豊かな、便利な世の中に生きる我々だが、果たして何ものにも頼れなくなった時、古人同様、最後の最後は祈ることに尽きるだろう。
祈りには力がある、そう思う。

『日本人の美学21』節分
節分は無病息災などを願う行事。
「一生」ことかかないように豆は、「一升」ますに入れるとよいです。

二月三日は節分です。昔は節分を年の始めとして暮らしていた人がいました。
豆まきの行事は無病息災と厄払いの意味から生まれました。準備した豆を一升のますに入れて神棚に供えます。家長が神様を拝み、天照大御神(あまてらすおおかみ)、八百万(やおよろず)の神々に祈りを捧げ、神棚に向かって「福は内」を三回唱えてから、各部屋の戸を開けて「鬼は外」を三回、「福は内」を三回唱えながら豆をまきます。また「鬼外(おにそと)」と唱える地域もあります。
三日の午後、入り口や出窓など常日ごろ開閉する場所に、イワシの頭をヒイラギなどに刺して飾ります。イワシを焼いたにおいは鬼が嫌うといわれています。
四日は立春です。農耕民族である日本人は、この日を境にして農作業の計画を立てます。気候の急激な変化により種をまいて芽が出ても霜害に合うこともありましたが、今ではビニールハウスが導入されてその心配はほとんどなくなりました。神仏に祈る行事も少なくなっています。
昔からのことわざに「小寒の氷は大寒にとける」とありますが、もう少しで春が来ると指折り数えて待つ人たちがいます。
小寒から九日目、大寒からも九日目に雨が降ると、その年は縁起が良いと昔の人は言っています。この雨を「寒九の雨」といって、今年の苦は流れたと考えたようです。艱難辛苦(かんなんしんく)の「艱」を「寒」に、「苦」を「九」に通わせています。
あらためて神社にお参りをして祈るのではなく、いつどのような所でも心の中で祈ることをしていた昔の人に頭の下がる思いがします。

小笠原流礼法第32世宗家直門総師範の菅野菱公さん)平成21年2月3日地元朝刊掲載

天道(てんどう)は親(しん)無(な)し。常に善人に与(くみ)す。

天道無親 常与善人老子 道徳経第79章)

天の道、つまり神のみ心というものには、誰々に特別親しくする、というような個人的な心はなく、定められた法則の通りに働くのだから、天の道に叶った、大宇宙の法則に叶った人々に大きな力が働きかける。天の道に叶った人というのはどういう人であるかというと、愛深く常に調和した心をもち、調和した道をきずきあげようとしている人である。そういう人を真の善人というのである。だから、天道は、常に善人にくみする、というのであります。
善人といいますと、親鸞の話にあります、「善人もて救わる、なお悪人をや」という言葉にひっかかります。善人でさえ救われるのだから、悪人が救われるのは当然である、というわけですから、この場合ではうっかりすると善人と悪人とが立場が反対になってしまっています。
ところが、この場合の親鸞のいう、善人というのは、親鸞の立場は、この地球界の肉体人間は、すべてが罪悪甚重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぷ)である、キリスト教的にいえば、人間皆罪の子である、という、そういう立場で人間を観ています。
ですから、自分は罪を冒(おか)したことはない、悪いことはしたことはない、自分は善人だと自負しているような人は、真理を知らない、救われ難(にく)い人である、と観るわけです。そして反対に、「常に自分の想いの中や行いの中に悪を認めていて、私は悪い人間だ、こんな悪い人間は、とても自分だけでは救われっこない。何か大きな力におすがりして救って頂くより仕方がない」、と思っているような人は、救済の光明である、阿弥陀様の方にその想念を向けることが真剣である。だから、阿弥陀仏の光明波動が余計に入ってくる。自己を悪人と思っている想いが、かえって阿弥陀仏(神)の救済の光明の道に自己を運びこんでゆくので、救われ易い、ということになるのです。
ですから、自己を悪い人だと思っているような人の救われたい念願は一途な真剣なものがあって、自己のやることには間違ったことはない、と善人ぶった、何ものの助けも自分にはいらない、と思っている人より、神仏へのつながりが強い、ということになり、親鸞のいう、善人でさえも救われるのだから、悪人はなお救われ易い、という話が生きてくるのであります。
本当にこの世の中には、自分のやることは何でもよいことだと思って、少しでも自己反省しない人があります。そういう人は、神の存在を説いても、信仰をすすめても、私には神様などいりません、私は私だけの力で沢山(たくさん)です、などと、信仰の話を鼻の先で嗤(わら)っていたりします。
ところが、実際は、自分自身がこうして生命体として生きていることそのものが、神の恩恵であることを考えないという、甚だしい思い上がりは、神霊の側から見れば、実に救い上げにくい存在であり、人間の一番根本原理である、人間は神(大生命)の子(小生命)であることを知らない困った存在なのであります。
この章で老子のいう善人は、真実神のみ心、天の道を知って行っている人のことであり、愛と調和、つまり真善美(しんぜんび)の行いのできている人のことであるのです。

(宗教者の五井昌久著「老子講義」より抜粋)

 

「無常」から明るい旋律

宗教学者 山折 哲雄やまおり てつお

金融恐慌、通貨危機、100年に一度の大暴風…。いささか大げさな言葉が、ちまたにあふれ出している。ほとんど異口同音の波に乗って、それが聞こえてくる。
けれども、どうだろう。その「金融恐慌」という名の妖怪の本質は、ただ一つの言葉〝景気循環〟という経済用語で片が付くのではないか。景気が循環するという、何の変哲もない話である。
経済は好調のときもあれば、暗転するときもある。10年、50年に一度の変動であろうと、100年に一度の暴風であろうと、ことの本質に変わりはない。
バブルの現象も、過熱すれば、やがてはじけるときが必ずやってくる。景気は、ニセ天国の上昇気流に乗ることもあれば、たちまち地の底に墜落もする。照る日、曇る日である。そんな現象をひっくるめて、景気循環と称してきたのではないか。
とすれば、この景気循環という経済用語を、分かりやすい人間的な言葉に翻訳すると、さしずめ〝無常〟〟ということになるであろう。あの諸行無常の無常である。この世に常なるものは何一つ存在しない、という意味だ。持続可能な永遠など、単なる虚妄(きょもう)のたわ言にすぎない―そういう認識である。
死と再生
だが同時に、ここで慌てて付け加えなければならないことがある。この無常の認識からは、実は明るい旋律も聞こえてくるのである。とかく世の中は、人間の運命であれ、山川草木(さんせんそうもく)のような自然であれ、変化と蘇生(そせい)を繰り返して循環を止めないということだ。死と再生のリズムである。
われわれの人生も、社会のあり方も、浮沈(ふちん)を繰り返しつつ、この循環の軌道に乗っている。何も慌てることはない、いたずらに騒ぐ事なかれ、そんな天の声も聞こえてくる。
それなのになぜ、この世界的な金融経済不安の状況を、先に述べた景気循環というキーワードで一挙に説明しようとしないのか。無常という宗教言語の力を借りて、潔く片を付けようとしないのか。
こんな言い分は、前後の脈絡を考えない横やりのように思われるかもしれない。だが、そこには、それなりの確かな理由が横たわっていると、私は思っている。
そもそも無常には、三つの考えが含まれている。この世に永遠なるものは、何一つ存在しない。形あるものは、必ず壊れる。人は生きて、やがて死ぬ。以上の三原則だ。
これを否定することは誰もできないだろう。よほどのひねくれ者でない限り、まずは疑うことのできない客観的な事実であると言っていい。
二つの選択肢
しかし困難な問題が、まさにそこから発生することも認めなければならない。なぜなら、客観的な事実をそれとして認めるにしても、それを自己の血肉として受容しようとしない文明が歴史的に存在してきたし、現に存在しているからだ。
それが、ユダヤキリスト教文明であり、アングロサクソンによって形成された西欧社会である。この人生の無常という原則に対し、この文明は拒否的な態度を取り続けてきた点で一貫していたと思う。
なぜなら、この文明にとっては、危機を乗り越えるための戦略こそが最大の関心事だったのであり、それに対し、無常というアジア的なエートス(精神)ほど、退嬰(たいえい)的で虚無(きょむ)的な思想はないと映ったからであろう。
さらに息苦しいことには、この日本の社会までが、アングロサクソン流生き残り戦略の傘の下に、すっぽり包み込まれてしまっている。そしてこれまで、その戦略に加担することに、われわれは夢中になり過ぎていたのではないか。
この先、光明は見えてくるのか…。いずれにせよ、われわれの前方には二つの選択肢が見えている。一つは、不安と危機をあおり立てる短期的な経済予測に、依然として翻弄(ほんろう)され続けるか。もう一つは、景気循環=無常の原則に立って長期的な展望を持ち、この事態に冷静に対処するよう努力していくか。
経済への視点とは、直面している緊急の問題に対処すること以上に、われわれ自身のエートスにかかわる大きなテーマでもあるはずだ、と指摘しておきたい。

平成21年1月23日地元朝刊掲載

 

ほめれば成犬も変化 名前でしからない

家族としての犬のしつけ3

今から20年ほど前、うちの動物病院にはステファンという雑種犬がいた。
子犬時代に雨に打たれて倒れているところを、小学生に抱えられてやってきた。新しい家族が見つからず、当院で生活するようになった。われ関せずの性格で、なんだか達観しているようにも見える犬だった。
前米ドッグインストラクター協会の元会長テリー・ライアン先生が来日したのは、この時期だ。先生とともに、家庭犬をほめてしつける「陽性強化法」が日本にやってきた。国内ではまだ知られていないこの方法を私は直接指導していただく幸運に恵まれた。
パートナーとして参加したステファンは7歳を超えていた。おとなしく、反抗心のない優等生だった。だが、別の視点から言えば、「無表情で人間に期待していない」という風情の犬でもあった。不足ない環境ではあったが、伴侶動物としては、何かが欠けていたのかも知れなかった。
テリー先生の教室では、犬には呼びやすい名前をつけて、名前を呼んだら良いことがあるように教え、絶対しからない。
名前を呼び、その犬の一番好きな「ごほうび」を繰り返し与える。食べ物だけではなく、「家族の笑顔」も非常に大きいなごほうびになり、モチベーションの維持につながると教わった。とても新鮮だった。
このしつけ教室に参加するようになって、徐々にステファンが変わっていった。
それまで、ステファンは人が近づいても、寝たままちらっと横目でこちらを見るだけだった。それが、私が行くと〝笑顔〟(のような表情)で頭を上げる。「今日もお出かけ?」「しつけの勉強に行く?」と、期待しているようなしぐさを見せ、待てもお座りも伏せも〝喜んで〟できるようになっていった。
子犬でなくても、成犬が十分にしつけで変われることを知った。大切なのは、犬が名前を好きになることだ。だから、絶対に名前でしからない。
名前を呼んだら、パッと目を見る。アイコンタクト、つまり目を合わせれば、集中力が生まれ、しつけや意思疎通は格段にしやすくなる。これは人間同士でも言えるのではないか。

(獣医師の柴内晶子さん)平成21年1月22日地元朝刊タイム掲載

 

餌やりに矛盾 なぜハクチョウ

「みんなのひろば」にも、ハクチョウへの餌やりが禁止され「かわいそう」「人間は身勝手だ」と嘆く意見が掲載されています。わたしの周りでも同じくハクチョウを思いやる意見を聞くことがありましたが、私は逆にその反応に首をかしげてしまいます。
まず、なぜハクチョウならば餌をやろうと思うのでしょうか。カラスに餌をやろうという人はいないのに、なぜかわいそうという人はいないのでしょうか。ハクチョウもカラスも、野生生物ならば餌を取る能力はあるはずです。
ハクチョウが弱る姿はかわいそうでも、カラスが弱る姿は何とも思わないのでしょうか。餌やりを禁止することを人間の身勝手と嘆く前に、その矛盾に気付いてほしいのです。ハクチョウは美しくかわいらしいから人間は餌をやり始めたのでしょう。人のエゴに任せてどうしてもかわいそうと思うならば、餌をやる前に、餌となる虫や小魚が自然に生きる環境を維持するべきだと思います。
 
(高校生の鈴木悠子さん18歳)平成21年1月19日地元朝刊投稿

 

時代性より世代性重視

芥川賞受賞者に聞く

契約社員としてつつましい生活を送る29歳の独身女性を描いた津村記久子さん(30)の小説「ポトスライムの舟」が芥川賞に決まった。働きながら執筆を続ける津村さんは「大きな望みやお金が無くても楽しく生きていけると訴えたかった」と語る。
―受賞の気持ちは。
候補になるだけで十分なのに自分でもすごいと思う。作品に普段の暮らしで自分が実感したことを投影しました。以前はあらかじめ結論を考えてそこから逆算して書いたりしていたが、今回は自由に書けました。
―執筆の動機は。
大学時代のクラスメートが30歳ぐらいで再会したときに生じる〝立場の違い〟を書こうと思いました。登場人物がすべて女性なのは、男性よりも違いを明確に出せると考えたから。わたし自身現在30歳で、大学を卒業したころはちょうど就職氷河期。「あの時に必死に内定を取ろうとしたのは間違いでは」との思いもあり、「成功していない30歳の女性」を考え付きました。
ワーキングプアの問題も反映されている。
執筆したのは昨年の7月から9月。こんな不況は予想しませんでした。重視したのは時代性より世代性。今の30代の女性を描きたかった。作品中にシングルマザーになる友人が出てきますが、これはわたし自身が母子家庭育ちで「母子家庭になる瞬間」を描きたいと思ったから。実際に母から父と別れたころの話を聞きました。
―作家を志した理由は。
「100歳まで生きる」と宣言していた祖母が5年前に80すぎで亡くなり、自分もいつ死んでもおかしくないと感じました。「好きな小説を書いてみよう。3年間は続けよう」と考え、現在は会社に勤めながら、帰宅後いったん睡眠を取って夜中の二時から四時に執筆します。会社を辞める気はありません。働いているからこそ小説を書けると思っています。
―今後の抱負は。
取り上げる人物の範囲を広げながら、自分の実感が伴うものを書き続けたい。結論を導くために思っていないことまで書きたくありません。電車の中吊りの見出しとか、ネットニュースの見出しを見て「ちょっと違うんじゃないの?」と思うことがあって、同じように〝世間の声〟を疑う人に作品を発信できたらと考えています。

平成21年1月19日地元朝刊掲載

 

さまざまな正月

日曜論壇

毎年お寺のお正月は、檀家(だんか)さんからの年始受けやこちらからの年始廻りで慌ただしい。こちらからお邪魔するのはお寺独特の用語で「配札(はいふだ)」というのだが、要するに元朝に祈祷(きとう)した御札(おふだ)を配り歩き、各家の一年の清安を祈るのである。
年によって、天気もさまざまだが各家の事情も一定ではない。いつもきちっと玄関まわりも片付き、松飾りの奥から和服で出てくるような家もあれば、パジャマで出てくる家もある。その違いは、それぞれの正月なのだからべつに結構なのだが、年によってはその家のいつもと違った雰囲気を感じることもある。
「お変わりないですか」と訊くと、待っていたように息子が入院した、あるいは父が寝たきりになった、といった変化を告げられ、驚くことも多い。
今年は年末に亡くなった檀家さんが二人いた。最近は、三が日が明けないうちから葬儀を行うような新聞の知らせも見かけるが、うちの寺では古式に則(のっと)り、七日まではしない。たとえ自分の家で不幸があったとしても、余所(よそ)の家の正月を壊す権利はないと考えるからである。
以前、福島市のお寺の和尚さんが元旦に亡くなったが、電話で知らせがあったのは五日だった。聞けば、親戚(しんせき)以外にはみな五日以後に知らせたとのこと。こうしたゆかしい心遣いが、最近は少なくなっているようで寂しい。
ところで年末に亡くなった二人のうち、一人は29日だったので翌日お通夜が営まれ、大晦日(おおみそか)に火葬された。今はお骨になって葬儀を待っていてくださる。しかしもう一人が亡くなったのは大晦日であったため、巨大な冷蔵庫のような霊安室に預かっていただき、冷たい体で通夜・葬儀を待っているのである。
突然の体調の変化、また救急車で運ばれて11時間後のご逝去であったから、おそらくその家では正月準備も済んでいたのではないかと思う。亡くなったのは数え62歳の奥さんで、残された旦那(だんな)さんはこれまで一緒に過ごす時間が少なかったからと、ちょうど大晦日づけで会社を辞めた矢先だった。
すでに自らの手で供えられていた餅や松飾りが、あまりにも哀しい。ひとり葬儀を待ち、奥さんのいる霊安室に通う旦那さんの寂寞(せきばく)は想像を絶する。正月は、めでたいと決まっているだけに、そのモードになれない人々にはことさら辛い。
けれども人は、生まれる状況もだが死ぬときも選べない。死は人為を超えているがゆえに、正月のめでたさは些(いささ)かも減ぜられることはない。そう考えるのが禅的な思考だと思う。
無条件で強いそんなめでたさを、またいつか心から愛でたいと思う日が、残された旦那さんに戻ることを祈る。

(僧侶・作家の玄侑宗久さん)平成21年1月11日地元朝刊掲載