朴念仁の戯言

弁膜症を経て

それでよしとする

たどり着いた「半隠居」

20代後半くらいから、隠居に憧れていた。
山口瞳の「隠居志願」(新潮社)を読んだのがきっかけだ。
「人生50年と思い定めて、ヤリタイコトヲヤルというのが男の一生なのではないか」

わたしは仕事よりも家事を優先したかった。
なるべく無理はしない。
疲れたら休む。
好きな時間に寝て起きて、本を読んで、酒を飲んで、それから年に2、3回くらい国内旅行ができたら…。
ところが、そんなことばかり言っていると、やる気のない怠け者だと思われてしまう。
若いころはしょっちゅう説教された。
「無理したくないとか働きたくないとか言っているような人間に仕事を頼みたいと思うか?」
ごもっともです。とはいえ、疲れ切った状態で頑張っても効率が落ちるだけだし、体を壊しかねない。
心身をすり減らすことなく、毎日ふらふら楽しく暮らしていく方法はないものか。
お金と時間―そのほどよいバランスを模索した結果、適度に働いて適度に遊ぶ「半隠居」というライフスタイルにたどり着いた。
仕事は週3日(たまに4日)。
髪は自分で切る。
食事はほぼ自炊。
気のすすまない会合には出席しない。
周囲に、偏屈な人間と思われても気にしない。
病気になったら、ケガをしたら、どうするのか。心配したらキリがない。
備えがあるにこしたことはないが、備えるためだけの人生になってしまってもつまらない。
一日心穏やかにすごせれば、それでよしとする。
お金がなければないなりに、あるものですまし、ないものは諦める。
世の中には、ぜいたくよりも怠けることが好きな人がいる。
わたしもそのひとりである。

※文筆家の荻原魚雷さん(平成30年8月23日地元紙掲載)