朴念仁の戯言

弁膜症を経て

母の日に思う

いつ頃からあるのか知らないが、社会への免疫力少ない小学生時分、母の日・父の日の訪れは私に嫌悪感を抱かせた。

クラスの連中の視線を好奇の矢のように感じ、みじめに、哀しみに沈んだ。

片親、もしくは両親のいない子どもたちの気持ちを汲み取らず、しかも赤・白のカーネーションで区別され、それが日陰者としての差別を意味することも考え及ばなかった学校、社会。

幼い頃の体験から、教師(大人)はいざとなれば裏表の顔を使い分けると早くから察知していた私は、大人を、社会をまるごと信じていなかった。

母の日。
今日、当時の私と同じ想いを抱いて過ごしている子どもたちはいないだろうか。
社会の波に抗える強固な芯棒と強い免疫力を早く身につけて、まやかしの世を嗤い、まやかしの大人を見抜き、自分を見捨てない愛ある人になってほしい。

日本古来の、八百万の神々への信仰心を想い起こし、我が親に限らず、周囲の人々にも一人ひとりが日々折々に思いやり、日々折々に感謝し、日々折々に感謝の気持ちを行動に表し、そして謙虚に森羅万象に向き合うことができれば、心豊かな成熟した社会に生まれ変わることだろう。