朴念仁の戯言

弁膜症を経て

生き証人を懐古

戊辰戦争から150年を迎え、白河市でも様々なイベントが行われています。
街には〝仁義〟の文字があちこちに見られます。
仁義を胸に戦った先人たちの思いに、深い感銘を受けるばかりです。

わが家にも戊辰戦争にまつわる言い伝えが残されています。
6月24日、棚倉城落城の折、曾祖父が戦渦に巻き込まれた少女をかわいそうに思い、家に連れ帰り、育てたとのことです。
戦場で両親を失い、泣いていた少女の名はマスといい、当時6歳。
彼女は、同じ境遇にあった少年と一緒に育てられたそうです。
晩年は、「おマスばあさん」と周囲から親しまれ、幼い頃の私も優しくかわいがられたことが、今でも心に残っています。
おマスさん自身に子どもはいなかったので、生前の彼女を知るのは、今となっては私一人となってしまいました。

幼くして両親を失った悲しみは、計り知れません。
この機会に改めて、おマスばあさんの冥福を祈り、私のせめてもの仁義の証となれば、と思っています。

白河市の小松美津子さん83歳(平成30年6月19日地元紙掲載)

 

仏壇から音が

去年、夏のある日のこと。
仏壇から「ドン」と、大きな音がした。
私は、何かが落ちた音だと思った。
結構大きな音だったからだ。
ところが、隣の部屋にいたお母さんに「今、ドンって音しなかった?」と聞いても、「何も聞こえなかったよ」と言う。
私はぞっとした。
その日から、何か気配を感じるようになった。
音がするのは、決まって私が一人しかいない時なのだ。
初めは、お化けか何かなのかと思い、本当に怖いと感じた。
でも私は、おじいちゃんかおばあちゃんが何かを伝えているのかもしれないと思った。
もしそうだったら、有り難いことなのかもしれない。

私は、幽霊や神様を信じない。
けれど、もしおじいちゃんやおばあちゃんだったら、これから中学生になるので、ずっと見守ってほしい。
小学生活は、あと一年もない。
がんばるからね。
おじいちゃん、おばあちゃん。

※川俣町の菅野愛美さん11歳(平成30年6月19日地元紙掲載)

 

15歳になる前に

今年になって、性行為などで感染する梅毒の患者が急増しているというニュースに驚いた。
国立感染症研究所によると、平成29年の患者報告数は現行の集計となった11年以降で初めて5,000人を突破したと報道された。

平成17年、福島県の10代の人工妊娠中絶率が全国2位となり、福島県教育員会の仕事として、10代の性教育に取り組んできた。
事態は改善したが、今でも、夏休み前のこの時期は、当時、医師会や厚生労働省エイズ予防班から頂いたデータを持参して、中学校や高校に講演して回っている。
その当時に得た調査研究によれば、性感染症や中絶等で病院に来る10代の子どもの最初の性交体験年齢のピークが15歳であり、予防教育のためには、15歳になってから、つまり、中学校3年生や高校1年生では遅いと気づいた。

この研究で最も大切な成果が、全国の中学生に実施したアンケート調査結果である。
その調査結果によれば、中学生になるまでに、「大切にしてくれる大人がいる」と実感することが、その子の性関係を容認する意識や性行為そのものに歯止めをかけられることが分かった。
今も、この点を強調しながら、大人に向かっては、子どもを大切にしてくださいとお願いし、子どもに向かっては、あなたが生きているだけで、こうして講演を聴いてくれるだけで、大切にされているのだよと伝え続けている。
その時、いつも願うのが、子どもにとってこの大切にしてくれる大人が、保護者である親であることだ。
文部科学省の仕事で『思春期の子どもと向き合うために』という家庭教育資料を作成した時、同じ作成委員である家庭裁判所の調査官から、「キレている子どもの背景には、必ずキレている大人がいる。そして、殺人を犯しても子どもは親だけは自分を見捨てないと待っているが、問題行動を起こした子どもの多くの親が、簡単に子どもを切る」と、家庭教育の課題を突き付けられた。

平成29年12月13日に放送されたNHKクローズアップ現代+「夫婦げんかで子どもの脳が危ない!?」では、夫婦げんかが子どもの脳を傷つける原因になる―という研究結果が明らかになった。
福井大学ハーバード大学アメリカ人を対象に行った調査では、日常的に両親の暴力や暴言に接してきた子どもたちは、脳の視覚野の一部が委縮していた。
記憶力や学習に影響が出る可能性もあるという。
福井大学などが行った脳科学的な研究によって、そのメカニズムが明らかになった。
日常的に夫婦の暴言に接すると、脳の海馬や扁桃体に異常を来し、怒りや不安を感じやすくなる上、視覚野の一部も委縮し、記憶力や学習能力が低下してしまうというのだ。
夫婦の冷戦状態も「ネグレクト」になり、子どもの脳の発達に深刻な影響を及ぼすことも報告されている。

夫婦は他人だが、子どものDNAの半分は母親から、半分は父親からのものだ。
夫婦げんかは、DNAレベルで子どもを傷つけていることを告げ知らせたい。

桜の聖母短期大学学長の西内みなみさん(平成30年6月17日地元紙掲載)

 

平らか成る年から

東日本大震災から8年。
弁膜症の手術で再び生を与えられて6年。

朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

元号を迎える今年、ありふれた日常と思いがちな砂漠化する想いに侵食されないよう、何気ない情景、何気ない人との出会いに気付きを得よう。
清らかな水はいつも身近に湧きいづる。

 

尊厳を傷つける差別

伊波敏男著 ハンセン病を生きて 

偏見や差別は人間の魂をそこなう。
日本社会は長い間、ハンセン病の患者や回復者の人権を奪い、尊厳を傷つけてきた。
伊波敏男(いはとしお)(1943年~)の「ハンセン病を生きて」は回復者の著者が自らの体験や若者との交流を通じて考えてきたことをつづる。
いわれのない汚名や排除の中で味わってきた屈辱や悲しみ。
しかし著者は絶望せず、前を向いて歩いてきた。

ハンセン病は「らい菌」という病原菌によって起きる感染症で、遺伝性の病気ではない。
だが53年制定の「らい予防法」は患者を強制隔離する政策を中心にすえ、特効薬の登場で「治る病気」になっても96年まで続いた。
国が過ちを認めて謝罪したのは2001年。その後も社会には差別意識が根強く残っている。

沖縄県生まれの伊波は1957年、中二の時にハンセン病を発症、家族と引き離され療養所に入所する。そこで偽名を与えられる。名前さえ奪われるのだ。
高校に進学したくて療養所を脱走し、本土へ。
12回もの整形手術を受け、社会復帰を果たす。
回復者であることを隠さずに仕事を得て、結婚し、子どもも授かる。
だが保育園から子どもの入園を拒否されるなど、生活上の困難は絶えない。やがて離婚。別れ際に小二の息子が泣きじゃくる。
「お父さんのシャツのボタン、これからだれがかけてくれるの?」
手に障害がある父のシャツのボタンかけは息子の役割なのだ。

ハンセン病について学ぶ長野の中学生との記録はさわやかだ。
伊波が若者の感性を信頼しているのが分かる。

伊波は本書で読者にこう語りかける。
「人間は多くの間違いをおかします。しかし、その間違いをただすのもまた、人間の理性と勇気にしかできないものです」

 

ホテルの宿泊拒否
ハンセン病に対する偏見を示す例として、本書は2003年の出来事に触れている。
熊本県にあったホテルが、ハンセン病療養所の入所者の宿泊を拒否したのだ。
ホテル側の謝罪を療養所自治会が断ったニュースが流れると、療養所に匿名の手紙が多数届いた。
「人間はどうしてこんなにも残酷な手紙を書けるのだろうか」
著者の伊波敏男はそう嘆いている。

 

※平成30年5月13日地元紙「本の世界へようこそ」より

 

 

東京大空襲の日 夫まさに間一髪

戦争の真っただ中でしたが、夫は旧制中学を終え、大学受験のため、伯父夫婦を頼って上京しました。
食糧難の時代。宿泊するためには、食料を持参する必要がありました。
それを工面するため、義母はたった一枚の銘仙の着物とコメを交換して、夫に持たせてくれたそうです。
切符を購入することも難しく、行列に並んでようやく手に入れることができました。
無事に受験を済ませ、帰宅しようと停車場にたどり着いた際に、伯父が追い掛けてきて、一晩泊っていくようにと勧めてくれましたが、切符は当日限りだったため、丁重に断って帰宅したとの話を聞いていました。
翌日、東京大空襲があったのです。B29の爆弾投下で、東京は火の海。
伯父夫婦の家は跡形もなくなり、現在も伯父夫婦は不明のままです。
夫は、子や孫に、九死に一生を得た体験をよく聞かせていました。
大空襲のあった三月十日。
東日本大震災の年、偶然でしょうか、同じ日に夫は生涯を閉じました。

いわき市の小泉通子さん88歳(平成30年5月12日地元紙掲載)

 

 

人に優しくして恩返しをしたい

私には自分との約束があります。
それは「人に優しくする」ということです。
私は小さい頃、体が弱く入退院を繰り返していました。
幼稚園に行くことが難しかったため、友達と折り紙をしたり、ままごとをしたり、一緒に歌を歌ったりしたことがありません。
毎日退屈で、まるで色のない世界にいるような感じでした。
しかし、色のない世界をカラフルに彩ってくれたのが、病院保育士の人たちの優しさです。
いつも笑顔で語り掛け、折り紙もピアノも字の書き方も丁寧に教えてくれました。
だから私は何があっても人に優しくしようと決めたのです。
将来、私は人を支える仕事をしたいと考えています。
その根っこの部分には優しさが必要だと思います。
これからも自分との約束を守り、自分に正直に生きていきたいと思います。
そして夢をかなえ、必ず恩返しします。

福島県立若松商高3年の大内鈴音さん(平成30年4月24日地元紙掲載)