朴念仁の戯言

弁膜症を経て

定年後の生き方

数年後に定年を迎える。

漠然と定年後の人生を考える。

定年後の75歳までを「黄金の15年」と言うらしい。

思い描いた、理想通りの素敵な生活を送ることができるなら黄金色にもなるだろうが、他人より秀でた才能、才覚もなく、また、何ら努力もしていない私には錆色の人生が目に見えている。

 

改正高年齢者雇用安定法により、2025年4月から全ての企業に「定年制の廃止」「定年の引き上げ」「継続雇用制度(再雇用制度)」など、いずれかの導入が義務化される。

少子高齢化に拍車がかかる数年後を見据え、年金の満額受給開始年齢の引き上げ(65歳から70歳へ)の議論も本格化することだろう。

 

「死ぬまで働け」

そんな社会に流され、人生を振り返る時間も、人生の意味を考える時間も持たずに、心亡くして日々忙しく働くなんて真っ平ご免だ。

自分が望む、やり甲斐ある仕事ができるなら話は別だが、金のためだけにやりたくない仕事に就き、あるいは再雇用を甘んじて受け、嫌気が差す人間関係に我慢し、死ぬ間際まで大小のストレスを抱えて働きたくない。

正直、今すぐにでも仕事は辞めたいが、定年までは自己錬磨、人間修行のための習い事と割り切り、我慢代として月謝(給料)をいただく。

 

定年後は好きなように生きる。

我慢しない。

したくないことはしない。

必要以上に他人とは関わり合わない。

一般的生活水準なぞ度外視して金がなくなればないだけの生活をし、病気になれば無駄なあがきは止めて受け入れる。

 

定年後に何年生きられるか、何の保証もない。

一日でも長く、自分の思い通りに生きられる生き方をしたい。

移ろい行く季節に人生を重ね、自然を愛で、動物や植物や虫を友とし、錆は錆でも「さび」ある人生を。

西行の和歌に通じる感性を失うことなく。

 

きりぎりす 夜寒(よざむ)に秋のなるままに  弱るかこゑの遠ざかりゆく