朴念仁の戯言

弁膜症を経て

同じ人間なのに

母国を追われ、レバノンに逃げてきたシリアの人たち。

 

ベッドに横たわる年若い男性。

癌になった母親の治療のため自分の腎臓を売った息子。

術後のまだ痛みが続く左脇腹の、斜めに走る30㎝ほどの手術痕を見せ、「母の治療のためだから(臓器売買を)後悔していない」と言う。

 

角膜や心臓、腎臓などの売買を目的にシリア難民の子どもたちは言葉巧みに誘拐され、臓器を取り出されてゴミ捨て場に投げ捨てられるという日常。

 

別の家族が画面に映し出される。

ゴミに紛れて無残な姿で母親に発見された息子。

遺体の腹部には臓器が取り出された手術痕が。

嘆き悲しむ母親。

嘆き悲しむ妹。

妹は12歳前後くらいだろうか。

妹は殺された兄に代わり、年端も行かない姉妹たちを養うため、日銭400円で農家に働きに出る。

この娘を支えるのは、故国に置き去りにされた、平穏な日々の思い出。

 

また別の家族が映し出される。

糖尿病で寝込む母親。

父親は家族を捨て失踪。

長男は強制送還の恐れと行き詰まりの生活から自暴自棄に。

妹は家族の生活のために売春で日銭を稼ぐ。

長男はそれを巻き上げ、酒やたばこに費やし、幼い妹弟や寝込む母親に暴力を振るう。

「お金が入らないと家に帰れない」と泣き伏す妹。

 

コロナ禍でシリア難民への差別が拡大し、働き口もなくなり、自殺者やDVが頻発。

ベイルートの爆発では多くの難民が負傷し亡くなった。

 

昨晩放送されたNHKスペシャル「世界は私たちを忘れた~追いつめられるシリア難民~」を見て言葉を失った。

同じ人間なのに。

同じ人間なのに。

胸の内では何度も何度も同じ言葉が繰り返された。

そして、テレビを見ているだけの自分の無力さにずぶずぶと呑まれていった。

だが、どんなに汚れ切った苛酷な状況下にあっても、一握りの数だけであろうと、人間には善の心が宿っていることを垣間見て救われた。

 

番組の後半で映し出された一人の女性。

彼女は難民キャンプで頼りにされる唯一の存在、光。

これら出口のない不幸な女性たちの声に耳を傾ける。

「強くならなければならない」「(女性たちには)仕事を身に付け、自立してほしい」と、彼女は今、身に付けた裁縫技術で各所へ売り込み、仕事を得ては行き場のない女性たちと共にマスクなど日用品の縫製に取り組んでいる。