朴念仁の戯言

弁膜症を経て

縁の糸

これまでの60年間の人生にはあまたの不思議な出会いがあった。縁(えにし)の糸がグルグルと絡み合い、私の人生を紡いできたと思う。その一つに美空ひばりさんをめぐる糸がある。
私の父が東山温泉の旅館で板長を務めていた時、当時20歳ぐらいで絶大な人気を誇ったひばりさんが母親や関係者と、父が働く旅館に宿泊した。ひばりさんは父が腕を振るった料理を大変気に入り、部屋まで父を呼んだという。父は宿泊客が誰であろうと、部屋にあいさつまで行くようなことはなかったらしいが、仕方なくひばりさんの部屋を訪ねたらしい。ひばりさんは「こんな行き届いた料理を食べたのは久しぶり。ありがとう」とお礼を述べ、杯のお酒を父に勧め、父も返杯した。しかし、その時のひばりさんはあぐらを組んでいて、父はその姿が気に入らなかった。そばにいた母親に「みっともないですね」と注意したという。父の言葉に、部屋の空気は凍り付いたというが、翌朝、ひばりさん一行が宿を立ち、父が旅館に着くと仲居さんから祝儀袋を手渡された。当時としては相当な額が入っていたらしいが、ひばりさんの母が「大変失礼しました。よく言っていただきました」と置いていったという。
母が亡くなって2年近くたった時だった。当時、会社勤めだった私は妻と生後10カ月の娘、そして、父を連れ、東京・日比谷の帝国劇場(帝劇)にひばりさんのショーを見に行った。父は旅館でのひばりさんとの一件があり、気が進まなかったようだったが、一緒に行った。
帝劇は地下鉄の駅と地下通路がつながっている。ショーを終え、私たちは劇場から地下通路を歩いて駅に向かうと、ものすごい人だかりに気付いた。近づくとそこは楽屋の出口で、偶然にもひばりさんがマスク姿で出てきた。突然の出来事に驚いたが、ひばりさんは赤ん坊を抱えた私たち夫婦に気付き、「あら、かわいい。ちょっと抱かせて」と声を掛け、娘を抱いてくれた。父とのエピソードを聞いていた私だが、娘を抱いてくれたひばりさんの優しさに感激した。ひばりさんを快く思っていなかった父は、どんな心境でその様子を見ていたか分からないが、不思議な縁を感じただろう。実は娘がひばりさんに抱いてもらったのはこの時だけではない。2度目は新宿コマ劇場。娘は3歳ぐらいだったが、客席からステージに近づき花束を手渡すと、ひばりさんが抱き上げてくれた。
私が自分の店を持ってから、今度はひばりさんの弟さんが客として遊びに来るようになった。そしてもう一つの縁。私が姉のように慕った元タカラジェンヌ麻生薫さんと同期生に青園宴さんという元女優さんがいて、私も親しくさせてもらった。青園さんは俳優の浜田光男さんの妻で、私の娘と同じ年齢の娘さんがいたが、この娘さんがひばりさんの養子の加藤和也さんと5年前に結婚された。まさか、ひばりさんのご子息と、幼いころから知る娘さんが結婚するとは想像もできなかった。
縁の糸は、私が18歳で上京してから感じている。特に店を始めてからは、私と、まったく違う人生を歩んでいる雲の上の存在の方々と近づく機会が多い。そしてそういう方々が私の人生をあらゆる方向に導いていく。本当に不思議な糸がこの世にはある。
※着物デザイナーのきよ彦さん(平成22年8月8日地元紙掲載)