朴念仁の戯言

弁膜症を経て

目に見えないものに気づく力を育てたい

家庭教育の要諦は何かと問われたら、私はためらわずに「豊かな感受性の育成」と答えたいと思います。なぜならば、私が日々接してきた子供たちの中で、感受性の豊かな子供ほど、ものを学ぶ力が強いことを実感してきたからです。
もちろん、感受性とは、心に感動を呼び起こすことのできる性質や能力のことですが、これを私流に分析してみると、次のように分類することができます。

〈具象の世界に感動する心〉
・山、空、花などを見て美しいと感じる心

・音楽を聴いたり、絵を見て素敵だなと感動する心

・他人の喜ぶ姿を見て自分もうれしくなる心

・スポーツなど一流選手のプレーに感動する心

〈抽象の世界に感動する心〉
・蝉やこおろぎなどの鳴き声から自然のはかない命を感じ取る心

・家族や友人などの悲しみや苦しみなどを察する心

・一流選手の活躍の裏にある努力や苦しみに気づいたり想像したりする心

・人間の力の及ばない大いなる力のあることを感じ取る心

具象の世界が「直接目に見えるもの、耳に聞こえるもの」を指しているのに対し、抽象の世界は「目に見えない、耳に聞こえない、内面的な精神の世界」を指していることがお分かりいただけるでしょう。
子供たちの成長の過程を見ると、心の向きが、外(具象)から内(抽象)へと向いて、はじめて人間として本物になるのだと思います。したがって、私ども大人は、子どもたちの心の向きが、外から内へと向いていくように心を配ることを大切にして取り組まなければならないと思うのです。
このことで、一つの例を挙げてみます。先日のお彼岸にお墓参りに行った家族も多いことでしょう。私が小学生の時でした。墓参りに行った折り、母が「三三五五(さんさんごご)」と言う言葉を教えてくれました。父と母と2人、その父と母それぞれの両親で4人、そのまた両親が8人…と、25代遡ると、私には約33,550,000人(3355)というたくさんの先祖(おや)がいるというのです。そういう多くの目に見えない先祖のいのちのバトンを受け継いでいるのだから、しっかり生きなさいねという教えだったのですが、この時から、私は「三三五五」という言葉が頭から離れたことがありません。目に見えないいのちの重さを教えてくれた母に、「良い教育をしていただいた」と感謝しきりの私なのです。
(中略)
しかしながら、一人一人の子供たちの感受性は、大変厳しい言い方で恐縮ですが、学校教育の壁と申しますか、先生のほとんど手の及ばない部分なのです。私自身、たとえば「この子に、もう少し注意深くものを見る目が育っていたら、一歩学習が前に進めるのに…」「この子に優しさが育っていたら、学習がほんものになるのに…」と、その壁を乗り越えさせてやれないもどかしさに何度も悩んだのも事実です。
「家庭教育の要諦は、豊かな感受性の育成にあり」と考える所以(ゆえん)です。

 

大切なものは
         河野 進

もっとも大切なものは皆ただ

太陽の光 野や山の緑

雨や川の水 朝夕のあいさつ

神への祈り そして母の愛

 

※土屋秀宇さん(平成22年3月30日地元紙掲載)