朴念仁の戯言

弁膜症を経て

「ゆっくり、はっきり」で思い伝える

デジタル化による語彙力の低下、氾濫するカタカナ語や歌手・音楽グループ名などに見る意味不明の横文字使用等々、昨今の言葉と言葉づかいには気になることが多いのですが、ここでは、次の二つを取り上げてみます。

■早口症候群(?)の蔓延
時代のテンポがぐんぐん早くなっているせいでしょうか、人々の話し方が早口に過ぎるように感じています。テレビに見るタレントやキャスターと言われる人々のあの早口のしゃべり方は、人に語りかけ、思いを正確に伝える話し方ではありません。天下のNHKのアナウンサーまでもが、結構早口の人が多いのです。いわゆるイケメンの人気俳優が、時代劇でせっかくの武士役を演じても、セリフを現代風に早口でしゃべるため、品格と重厚さが失せて興ざめとなってしまうことも度々です。

人前で話す機会の多い私は、「できるだけゆっくりと、はっきり話す」ことを心掛けています。その理由が、一つには、自分の話す言葉が相手に正確に聞き取ってもらえなければ、考えが伝わらないばかりでなく、理解してもらうことも不可能になってしまうからです。これでは、講演をする意味もなくなってしまいます。

したがって、人に語りかけ、自分の思いを正確に伝えるための第一歩は、「ゆっくりと、はっきりと」話すことに尽きます。早口では、相手に正確に聞き取ってもらえない恐れがあるからです。二つ目には、早口のしゃべり方では、相手が話を受け止め「考える間(ま)」がなくなってしまうからです。いかにも「間が悪い」間抜けた話になってしまいます。

もう一つ心掛けていることがあります。それは「できるだけ漢語(音読みの言葉)を少なくして、和語(訓読みをする言葉、やまと言葉)を多く使って話す」ことです。例えば、「カッカソウヨウの感があります」と言った場合、この漢語の意味が理解できるかどうかは、「隔靴掻痒」という四字熟語を知っているかどうか、つまり、聞く人の語彙力によって決まってしまうからです。意味の解らない言葉を使ってしまっては、聞く側としては、つまらない退屈な時間になってしまうでしょう。これを「靴の上から痒い所を掻くような感じ」と話せば、どんな人にも理解してもらえるでしょう。

良寛禅師に『戒語』というものがあります。
一.ことばの多き
一.口のはやき
一.もの言ひ(い)のくどき
一.人の物言ひきらぬうちに物言ふ(う)
等々、当てはまることが多く、冷や汗をかく思いの私ですが、良寛禅師も「口のはやき」と、早口を戒めていることに興味を持ちます。

■我が子が幼稚性から脱却するために
私が現役の頃、学級を持って最初に指導したことは、「自分の両親や兄弟など身内のことを話す時は、決して〝私のお父(母)さんは〟という言い方をするな。〝私の父(母)は〟と言いなさい」でした。
これだけで、子供たちは精神的に成長した気分になったようです。卒業してから「大変役に立ちました」と感謝を述べる人たちが多くいたものです。しかしながら、近頃は、テレビで人気タレントが恥ずかしげもなく「私のお母さんが」と言っている場面に出くわすこと頻繁で、「こんな子供を育てた親の顔が見たいものだ」と、皮肉の一つも言いたくなります。誤った言葉づかいにも違和感を覚えない幼稚化した時代を嘆くのは、決して私だけではありますまい。

せめて「父(母)は」の謙譲語と、敬語の「いらっしゃる・おっしゃる・してくださる」の三つぐらいは正しく言えるようにしたいものだと思います。

※土屋秀宇さん(平成25年8月27日地元紙掲載)

 

際立つ日本女性

今回は脳の進化と生物についてです。人の脳は生物の進化の過程に応じ3層構造になっています。

まず人の脳で最も深層に存在するのは、呼吸や生殖など個体と種の保存に関わる「爬虫類脳」で、中脳や脳幹、脊髄に当たります。

次に中間層の大脳辺縁系には喜怒哀楽や記憶をつかさどる「旧哺乳類脳」があります。多くの哺乳動物はこの脳までの機能で行動しています。具体的機能としては反射と本能、学習能力などです。

もっとも表層に存在するのが大脳新皮質で、言葉や文字、人独自に複雑な感情をつくりだす「新哺乳類脳」です。

人の行動の原動力となる高い学習能力と深い洞察力や推理力などの優れた知能は、この大脳新皮質から生み出されます。

しかし、人はこの高い精神性と引き換えに失ったものもあります。それが本能です。

人以外の大抵の動物は本能に従い、今を生きるということと、種を残すということに対し、純粋に生きています。そして生殖機能の喪失とともに生を終えます。

しかし、今や人は閉経後30年以上生きます。なぜこれほど長く生きることができるのでしょう。

さまざまな説がありますが、ここに精神代謝が関与していると考えられます。閉経後もさらに成長する精神代謝があるということは、人の生きる目的は種を残すだけではなく、精神の成就、つまり精神の満足のためと言えます。

女性の場合、閉経後、骨吸収が高進し、骨からカルシウムが溶出し60歳代後半には大半の方が骨粗しょう症になります。

女性は骨から出たカルシウムを無駄に捨てているのでしょうか。実は脳で心をつくるために使っているのではないでしょうか。カルシウム不足はイライラの原因になり、あれば精神を落ち着かせることができます。

頑固なおじいさんが多くて、おばあちゃんの多くが優しく柔軟性があるのはカルシウムのおかげかもしれません。外来でお会いするおばあちゃんの中にはヨンさまに恋したり、孫やひ孫の心配をしたり、心豊かな方が大勢おられます。

女性は身(骨)を削って心をつくって生きる最も進化した生物と言えます。その意味で骨粗しょう症は病気ではなく、生理的な現象なのかもしれません。世界一の平均寿命を誇る大和なでしこは生物史上最も進化した生物と言えるのではないでしょうか。

※稲毛病院生活支援課部長の佐藤務さん(平成25年8月26日地元紙掲載)

 

心の深淵に潜むもの

夏休みを一週間ほど取り、父の墓参りに三春町に帰省し、元気な95歳の母とゆっくり語り合う時間が持てた。猛暑が続こうが、集中豪雨に見舞われようが、人は自然の営みに対しては謙虚に受け入れ、嘆くことはしないというのが私の生き方だ。

かつて検察官を長く務め、さまざまな刑事事件に遭遇し、犯人の取り調べや裁判を担当してきたせいか、日々世の中に起こる「事件」が気になって仕方がない。

最近の事件で衝撃を受けたのは、山口県の人口20人足らずのある小さな集落で起きた連続殺人放火事件である。報道によれば、逮捕された犯人は関東地区で働いていた後、親の介護のために郷里の集落に戻ったが、両親が亡くなり独りで集落に住んでいた。男は周囲の住人と折り合いが悪く、自宅の窓には「つけびして煙り喜ぶ田舎者」と謎めいた俳句らしきものを書いた紙がはられていた。捜査が続いているので、まだ事件の全体像や動機などがつまびらかではないが、何が「殺意」の動機なのか、人間の心の奥に潜む闇の深さに戦慄を覚える。

若い検事のころに扱った父親殺しの殺人事件で、犯人の20代の息子は「自転車を買ってほしいと父に頼んだが断られ、恨んで殺した」と自供したので調書を作成した。上司から「この動機は正しいのか。他に理由があるんじゃないか」と指導を受けて調べ直したら、「実は、父から『おまえは本当は俺の子じゃないんだ』と言われたことにショックを受け殺しました」と自供した。上司は「これなら分かるね」と言った。

犯罪捜査をやっていていつも思ったことは「人の心は不可解」ということだった。検事を何年もやって経験を積むと人の心が読めるようになったと感じるが、一種の錯覚かもしれない。昔読んだ三浦綾子さんの小説のなかに「人と人との距離は星と星との間ほど遠い」という言葉があった。名言だと思った。要するに、人の心を簡単に他人が理解することなど不可能なのだ。

殺してやりたいと思うほど憎らしい人がいたとしても、ほとんどの人は、そう思うだけで実行に移すことはない。実行する人と、思いとどまる人との心の差はなんなのだろうか。あえていえば「心のブレーキ」がかけられるか、否かの違いなのだろう。それは、人格形成のための教育や教養だったり、独断や偏見から抜け出すための社会性だったりであるのかもしれない。

人間の心の問題という観点からして、近時、人間社会は極めて危険な方向に向かっていると思わざるを得ない。老いも若きも携帯、スマホを手にし、メールのやり取りに多くの時間を使い、人と直接触れ合う機会を極度に少なくしている。人は直接他人と触れ合うことで、ある時はぶつかり合い、あるいは意気投合し、切磋琢磨する中で、寛容とか忍耐などの怒りを減少、吸収する術を学んでいくのではないか。

※元名古屋高検検事長宗像紀夫さん(平成25年8月25日地元紙掲載)

 

死ぬということ 生の輪廻の一つ

孤独死の現場に仕事柄よく立ち会います。アパートの一室で人知れず息を引き取り、死後数週間たって発見されました。初老ともいえない若い男性が多いようです。

ほかのNPOの寮から私の運営する寮へ転入された人が、亡くなる数週間前から昼でも夜中でも「おーい」と人を呼び、駆け付けたスタッフの顔を見ては幸せそうににっこりして寝るという繰り返し、そんな人もいました。きっと前の寮では呼んでも来てくれなかったのでしょう。

家族がいないということは一人で逝くということ。死はその決心がまだつかぬ間にふいに訪れるようです。私が世話をしているホームレスのおっちゃんたちは死ぬのは怖くないが、死んだことを誰も気が付かないで忘れ去られるのは嫌だね、と言います。

死ぬということは生きていたということであり、死は生の輪廻の中の一つの点であるといいます。死者の遺品を片付ける中、その人の人生を少しでも垣間見た時、死臭は消えていきました。

いわき市の平尾弘衆さん60歳(平成25年8月19日地元紙掲載)

 

隣席のしずかな涙

本格的に小説を書きはじめたのは22歳になるかならないかといったあたりのことだが、それ以前から、私は将来当然小説を書くのだと思い込んでいた。

はじめにそう思い込んだのは、幼児のころだ。なぜそんなことを思ったのかわからない。私は絵本が好きで、母親に1時間でも2時間でもぶっ通しで絵本を読み聞かせるよう要求し、自分ひとりでも暇さえあれば文字を追っていたので、そのせいなのかもしれない。とにかく、時間がたてば年をとって大人になるのと同じように、自然におはなしをつくる人になるのだと思い込んだ。

体がおとなになると、本は好きだが、暇さえあれば文字を追うというほどでもない人間になっていた。私は美術館の学芸員や、研究者や、カメラマンを志望した。それなのに、思い込みは相変わらずだった。「おはなしをつくる人」という漠然としたことばが小説家という実用的な職業名に取って代わっただけで、ふだん特に思い出しもしないくらい強く思い込み続けていた。

私は美術史や芸術学を勉強し、趣味で写真を撮り、家庭教師をやったりゲームセンターや喫茶店や大学図書館でアルバイトをし、遊んだり、遊びもせずにただ怠けたりしながら、いつもどこかで小説を書くことを念頭に置いていた。小説家をこころざす人々の集まりには、縁がなかった。私はむしろ、まわりの友人の誰ともあまり小説のはなしをしなかった。書くことについてのはなしはもちろんのこと、読んだ本のはなしすら、めったに話題にはあがらなかった。

そういう文学的とはいえない生活のあいまあいまに、私は、私が書く小説の方向性みたいなものをいくつか決めたように思う。

そのうちのひとつを、私はよくおぼえている。いっさい書きもせず、本もたいして読んでいなかったある一時期、私は、大好きな女友達とふたりで映画を見に行った。たしかに恋愛がらみのどたばたコメディーだった。終始内容の軽さに自覚的な、軽快でしゃれた映画で、エンドロールを眺めながら、私は、まあこんなもんかな、などと思っていた。しかし、隣席の友人はしずかに涙を流していた。明かりがつくと、彼女は「現実もあんなふうに終わればいいのに」と照れ笑いをして、また新しい涙を流した。

私はそのとき、彼女が重大で深刻な、彼女ひとりの力では解決しようのない出来事に見舞われて苦しんでいることを知っていた。私はなにも言えず、ただ、このことを小説に書くんだ、と思った。彼女が「現実もあんなふうに終わればいいのに」と思えるような小説を書くのではなくて、彼女が「現実もあんなふうに終わればいいのに」と思ったことをそのまま小説に書くのだと。

そして、ずっとそのようにしているつもりでいる。このたび芥川賞に選ばれた「爪と目」もそうだし、それ以前に書いたものも、そのあとに書いたものもそうだった。私はあのとき友達が泣いたことをまだまったく忘れられないから、これからも別段変わることはないのだろうと思う。

※作家の藤野可織さん(平成25年8月7日地元紙掲載)

 

それでも感謝

「感謝なんて、とんでもない」としか思えない出来事があるものです。私が50歳でうつ病にかかり、「神さま、なぜ、どうして」と詰め寄りたくなった時も、そうでした。

「何も出来ない。死んだほうが良い」とさえ考えた私を、病院の一人部屋に置いておけないと考えたシスター達は、修道院に連れ戻してくれました。「今まで人一倍働いたのだから、少しお休みなさい」と言ってくれました。大学の学長と修道会の管区長の両方を兼ねていた私への優しいいたわりの言葉でした。

修道院に見舞いに来てくれた一人の精神科の医師は、「この病気は信仰とは関係ありません。きっと快くなります」と慰めてくれ、他の医師からも、「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と言われて、うつ病になったのも、神の摂理だと考えるように、自分に言いきかせたものです。

もとの自分に戻るのに、2年かかりました。今でもストレスが溜まると、うつ気味になることがあります。

そんな私が、それでも感謝できるのは、病気をしたおかげで、他人に厳しかった私が、少し優しくなれたことでした。さらに「摂理」だったと思うのは、うつになり易い学生たちに、「私も、うつ病になったのよ。きっと快くなるから、辛くても我慢しましょうね」と、きれいごととしてでなく、言えるようになったことです。

「シスターもですか」と驚きながらも、安心した顔になる学生の顔を見て、「やっぱり感謝」と言えるようになりました。神さまに、「あの時は、お恨みしてごめんなさい」とお詫びする私になりました。すべては恵みの呼吸なのです。どんな不幸を吸っても、はく息は感謝であるよう心掛けたいと思います。

※シスター渡辺和子さん(心のともしび 平成26年6月17日心の糧より)

 

人が人に残すものとは

愛する。傷つける。いたわる。人と人との関係には、さまざま形がある。作家の千早茜さんは連作短編集「あとかた」(新潮社)で「残すこと」をテーマにした。関わりの残骸を、情感豊かに描く。
「人に何かを残したい人や、残されたものを消したい人、残せなかった人…。人それぞれの、型通りではない感情を書きたかった」
婚約した「私」は、別の「男」と関係を持つ。感情を、結婚のような手段でとどめることに空疎さを覚える私は、未来のない男との時間に「普遍」を感じる。
上司が飛び降り自殺する直前、会社屋上のふちに残した手の跡。情事にふける主婦が、愛人からフェルトペンで薬指に描かれた指輪…。それを残した人物をめぐる主人公たちの心象が、色彩をまとって立ちあらわれる。有形の遺物は、より重みのある無形の遺物を象徴する。「結婚のような形として残す仲でなくても『なかったこと』にはならない。過去に付き合った人、擦れ違うように出会った人の記憶も、今のその人をつくっているのだから」
全編に死の影が漂う。アフリカのザンビアで過ごした少女時代、毎日死について考えていた。「飢餓も事故も、凶暴な犯罪も、すぐ隣にあった。家族が殺されたらどうするとか、あらゆる〝不幸パターン〟を考えた。考えるのに疲れ、それは普通にあるものだと思ったら楽になったんです」
小説すばる新人賞泉鏡花賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビューして5年。過去に出版した本は「心の中から剥がれ落ち、結晶化していった遺物」だという。有形の本が売れることより、読者の心に「うずみ火」が残ることを願う。「それは形として目に見えない。けれど、小さなことでも伝わればいいなと思います」

※「あとかた」作家の千早茜さん(平成25年7月17日地元紙掲載)