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朴念仁の戯言

弁膜症を経て

飼い猫と野良猫のはざま

「動物病院の四季3」ヒゲ獣医師の診療日誌

私は手術助手の家内を相手に当たり散らしている。
別段、家内に腹を立てているわけではない。体重5㌔もあるメス猫の避妊手術の最中なのだ。
皮下脂肪は厚いところで1㌢を超え、おなかは脂肪組織で満たされている。手術用ゴム手袋が脂肪で滑って、器具操作がいつも通りにいかない。わずかな指のすべりが私のいら立ちの原因である。
しかし、もう一つの割り切れない思いが気持ちの底に沈んでおり、手の動きを鈍くしている。
患者には特定の飼い主は存在しないから、飼い猫ではない。かといって野良猫でもない。複数の家庭から餌だけ与えられている。
でも、誰にも管理されていない。毎日数軒の家を順次巡り、ごちそうをねだる。その結果が体重5㌔。餌をくれる家々の奥さんには近寄るが、触らせはしない。そして、どこかの家に居着くこともなかった。
彼女はこの2年で十数匹の子猫を生んだ。子猫たちの一部は母親と同様に周辺に拡散し、一部は完全な野良猫となった。
この短期間での所有者不明の猫の増加が自治会で問題となり、餌を与えた家庭が避妊手術をして責任を取ることになった。
しかし、抱かれたこともない彼女を捕まえるのに負傷者が3名。十数針も縫った重傷者も出た。
私はいつも言っている。「よその猫や野良猫に食べ物を与えてはいけません。あなたの優しさが不幸な猫を増やします」と。
彼女を連れてきたおばさん3人を前に私は不機嫌を隠しきれなかった。
「あんたらの責任がこの猫の避妊手術で果たされたわけじゃないでしょ」「おなかをすいてはかわいそうだと思って与えた餌が、捕獲、処分される野良猫を生んだんだ。この責任はどう取るんですか」。私はまた言い過ぎてしまった。
そして、もう一人の私がつぶやく。
「腹をすかせた子猫が寄ってきたら、おまえは見過ごせるのか?」と。
私は最後の皮膚の縫合まで不機嫌を引きずっている。
(獣医師の石黒利治さん)
※平成20年3月20日、地元朝刊別紙タイムより。