朴念仁の戯言

弁膜症を経て

罪深い少年期の行為に贖罪思う

人生の終点において、人は誰でも一生の締めくくりをしなければならない。一生を振り返ったとき、反省のない人は皆無だろうが、私にも決して忘れ得ない思い出がある。一つは戦争の殺戮の場であり、もう一つは少年期の行為である。
国家権力による戦争参加は誰も避けられない務めであったが、少年期の行為については、今になっても時折思い出す罪深い行為であった。私の生家は農家で養蚕もやっていた。猫は春先に4、5匹の子どもを生む。1匹は家に置き、他はもらい手を探してくれてやる。
もらい手のない猫の子は大川に捨てるのであった。その役目はいつも私だった。粉の空き袋に入れられた子猫は鳴いて暴れる。私は袋を手にして500㍍先のあが阿武隈川に向かって走る。川の深みに向かって力いっぱい袋を投げた。
ニャンニャーンという鳴き声が、いつまでも耳に残った。ある年には牝のヤギの子を捨てたこともあった。メエメエという断末魔の声が耳から離れなかった。今、人生の終末にあって時折、あの頃の罪深い自分を思い、彼らの冥福を祈りつつ贖罪の思いを深くするのである。

会津若松市の宍戸丈夫さん90歳(平成23年2月16日地元紙掲載)