朴念仁の戯言

弁膜症を経て

偏見に立ち向かう

植物の受精の講義をしたら、少女たちの前で性の話をしたようにすり替えられ、博物館長のいすを失ったのはフランスの昆虫学者ファーブルだ。
1823年貧しい農家に生まれ、独学で教員免許を取得、教育界で力を付けてきたのを快く思わない師範学校出身者らが仕組んだらしい。
1809年2月12日英国で生まれ、今年が生誕200年のダーウィンが唱えた生物進化の法則も宗教家の激しい反対にあった。自然淘汰(とうた)説で生物が適応する仕組みを解明した「種の起源」出版から150年にもあたる。
大著「昆虫記」を残したファーブルには貧困がつきまとい、世界から届いた寄金を送り返した晩年の逸話も伝わっているが、裕福な家庭に育ったダーウィンは英海軍の帆船「ビーグル号」で5年かけ世界一周、進化論の着想を生む旅になった。
父の跡を継ぐため医学部に進んだが血を見るのに耐えられず断念したダーウィン誕生の日に米国ではリンカーンが産声を上げ、血を流す奴隷解放の戦いを強いられている。ちなみにダーウィン奴隷制には反対したそうだ。
人類と他のほ乳類が別々に創造されたと信じたのが実に不思議なことだと考える時代がくるのも遠くはなかろうとダーウィン。生きた月日が重なる三人の生き様は偏見に立ち向かった歩みとも通じることだろう
※平成21年2月12日地元朝刊「編集日記」より。(下線部、朴念仁修正)