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朴念仁の戯言

弁膜症を経て

冬を楽しむ

随想

これから厳しい冬を迎えますが、会津の冬といえば、真っ先に雪が浮かんできます。私たち会津に住む多くの人々にとって雪は、一般的にマイナスのイメージしかありません。しかし、視点を少し変えると、雪どけ水は落葉の分解を助け、岩石層を通してミネラルたっぷりの伏流水を提供してくれます。また、冬においしくなる漬物や酒、みそ、しょうゆも、このすぐれた伏流水のおかげなのです。
晩秋になると落葉樹は葉を落とし、一見、枯木の様に見えます。日本の美を代表するさび、わびの原点は、葉を落とした状態の「枯れる」と、冬の厳しい寒さがもたらす「ひえる」という二つの美意識が元になっております。秋の紅葉は、だれが見てもきれいに映ります。室町期の先人は、厳しい環境での木々本来の姿に美を見いだしたのです。そこから茶の世界にさびが生まれ、わびへと発展し、千利休によって大成された日本を代表する茶道となったのです。
このような流れを見てくると、雪国会津は「枯れる」「ひえる」を代表する地域なのです。利休は茶道の精神として藤原家隆の「花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の はるを見せばや」の歌を示しており、ここから山里銘の茶碗が多く見受けられます。会津では一面の雪野原から力強く芽を出すフキノトウが、そうした世界を表している様な気が致します。
現在の会津は、昔に比べ雪も半分以下であり、道路もきれいに除雪され、先人が経験した大変さは、昔物語になってしまいました。しかし六代目豊意の時代は暖房設備も充実しておらず、そのため、粘土は凍(し)みやすく、乾燥もままならぬことから、冬の間はロクロもニシン鉢づくりも控えめにし、春に向けて道具を整えたり趣味の川釣りの準備をしたり、合間には、謡(うたい)を楽しみ、厳しい冬を逆に楽しんでいた様に思われます。現代は厳しさがなくなった代わりに、心も休ませる暇もなく働き続け、ひいては心を病む人も現われてきた様に見受けられます。
戦後の日本は高度成長を求め、働けば働くほど、豊かになる時代でした。その結果、確かに物の豊かさと便利さは手に入れましたが、心の豊かさは失われた様に思われます。七代目が若かりし頃、六代目はあまりにも厳しい環境のため、窯を継がなくても良いと言ったそうです。そうした厳しい生活の中にあっても心の豊かさを見いだした六代目の生き方に私は共感しております。
ニシン鉢がベルギーのブリュッセル万国博でグランプリを受賞して今年でちょうど50年になります。今の世の中はあらゆる面で大変厳しい時代を迎えていますが、厳しくともプラス志向で身を慎めば、心も健康になり実りも多い様に思われます。これからも会津の冬は「宝物」と思い、厳しさを楽しんでいきたいと思います。

(宗像窯八代目当主の宗像利浩さん)平成20年12月9日地元朝刊掲載