朴念仁の戯言

弁膜症を経て

母にささげる「ありがとう」

「禽獣(きんじゅう)は 命をかけて 子を護(まも)る 子に報いよと 言う親はなし」。私の近詠である。私が生まれる前、母は4人の子を亡くした。人手がほしい農家で、夫や姑の手前、どんなにつらかっただろう。両親は私に丈夫と名付けた。私は病気で入院したことがなく、戦争に行ってもけがをせずに済んだ。母は復員した私に「畑で西の空を仰ぎ、毎日お前の無事を祈っていたんだ」と涙をこぼした。
私が仕事で苦境に立っていたころ、母は県北の村から会津まで私を訪ねて来た。何も言わなかった。一間だけの借家に四、五日泊まり帰って行った。その一週間後、母は脳出血で倒れた。駆け付けた私は号泣した。二日後に目を覚ました母は、か細い声で「早く帰って仕事を…」と言った。そして周りの人々に礼を言い、再び眠りについた。74歳だった。
母の慈愛は仏の慈悲に通じる。私にとっては母は仏。母のところに行けたなら、「母さんありがとう」の言葉をささげたい。

横浜市の宍戸丈夫さん91歳(平成24年1月25日地元紙掲載)