朴念仁の戯言

弁膜症を経て

死ぬということ 生の輪廻の一つ

孤独死の現場に仕事柄よく立ち会います。アパートの一室で人知れず息を引き取り、死後数週間たって発見されました。初老ともいえない若い男性が多いようです。

ほかのNPOの寮から私の運営する寮へ転入された人が、亡くなる数週間前から昼でも夜中でも「おーい」と人を呼び、駆け付けたスタッフの顔を見ては幸せそうににっこりして寝るという繰り返し、そんな人もいました。きっと前の寮では呼んでも来てくれなかったのでしょう。

家族がいないということは一人で逝くということ。死はその決心がまだつかぬ間にふいに訪れるようです。私が世話をしているホームレスのおっちゃんたちは死ぬのは怖くないが、死んだことを誰も気が付かないで忘れ去られるのは嫌だね、と言います。

死ぬということは生きていたということであり、死は生の輪廻の中の一つの点であるといいます。死者の遺品を片付ける中、その人の人生を少しでも垣間見た時、死臭は消えていきました。

いわき市の平尾弘衆さん60歳(平成25年8月19日地元紙掲載)