読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朴念仁の戯言

弁膜症を経て

年初の便り

人生

『水の透視画法21』こころばえと憂愁…

ことしの賀状はいつもの年とずいぶんちがって、気のせいか、文面や絵がらが重く沈んでいた。何通かはおきまりの祝詞を略して「暗中模索」だの「五里霧中」だの、およそ賀状らしからぬ文言でまえおきし、「めげずにがんばりましょう」などと、なにをどうがんばればよいものかさっぱり要領をえないまま文をむすんでいたりした。だれしも手ばなしで「おめでとう」とおもっておらず、眼(め)にはみえない不安の波動のわけをとらえようと過敏になっているようだ。かつてうたがう余地がなかったはずの日常のなめらかな連続性が、ここにきて不気味にきしみはじめていることは、たかが賀状の変調にもそこはかとなく知れる。
いつもなら「旧年の特筆私事トップ5」と「新春の決心」を細かな字でびっしりと書きおくってくる70歳代の女性の賀状が、ことしはおくれて着いた。文面も例年とまったくことなる。のっけから「轍鮒(てっぷ)の急にたちあがれ!」といかにも古めかしい檄文(げきぶん)調なので苦笑してしまう。「轍鮒の急」とは「荘子」にでてくることばで、わだちや水たまりにいる命あやういフナ。つまり、危急にひんする者のたとえで、この寒空に困窮する失業者たちをたすけるために行動せよ、とよびかけているのである。あいからず元気なことだと感心して読みすすむうち粛然としてすわりなおした。彼女、暮れから東京・日比谷公園年越し派遣村で「飯炊き、テント張り、救援物資の分類、配給、ゴミひろい」のボランティアをやっていたのだという。
「立ちっぱなしで一日目はヨロヨロ。けれど、だんだんつよくなりました。陽(ひ)が落ちるととても寒いのですが、私は〝お母さん〟と呼ばれながら、まわりに教えられて仕事をしています」。ことばに屈託がない。物心にまだ余裕のある私たちにたいし「たちあがれ!」と叫んでもとくにふくむところはなく、ストレートなぶん、かえって明るいのだ。彼女は殺された樺美智子さんらと60年安保をたたかったことがある。しかし、ふたたび水をえた魚というのではない。くさぐさおもったすえ私は得心する。世代、経歴、思想、立場をはねかえす一個人の凛(りん)とした〈こころばえ〉が、老いた彼女を派遣村にかよわせているのだ、と。ときに単純にもみえるよきこころばえのまえには、どんな華麗で精緻(せいち)な理屈もしぼんでしまう…そう自分にいいきかせたことだ。
この正月、印象深い便りがもうひとつあった。こちらは30代の新聞記者からのEメールで、赤さびのような疲労が文面にただよっていた。仕事をやめたいのだがやめられない。「暗やみに吸いこまれていくような孤独と虚無感」に日々おそわれている。つらいこと、疲れること、解決のむずかしいことを考えるのをうまく避け、自分に都合のよい相手とだけほどほどにつきあう毎日をおくっていたら「かつての理想がうそみたいにやせほそってしまった」という。社はこの不景気をしのぐために以前よりさらに権力や大企業、お茶の間になりふりかまわず媚(こ)びをうり、大事な記事をへらしてでも広告を入れようとしているけれども、異議をとなえる気力は社内にも自身にもないとなげく。
知的障害があるとみられる容疑者でも写真撮影できるよう便宜をはかれと警察にもとめているのは、読者ではなくじつは記者たちであり、社内でさして議論にもならない。自社のウェブサイトへのPV(アクセス量)が毎日、社内メールで流され、まるでPVを上げろとおいたてられているようだともいう。記者たちは社外でも社内でもまず「空気をよむ」のが本分のようになりつつあり、他者の苦しみをおもう「痛覚」が年々にぶっている…と恥じいる。「孤絶の感情がつのり、このところ自分の存在を脅かすほどになってしまいました」「人は生まれてから死ぬまで、孤独のやみに沈められているのですね。ふと足もとをみると、会社もまた孤独の底なし沼です」-。
青年は年末休みに妻子をおいて夜行列車でひとり旅にでた。雪の北陸路をさまよいあるくうち、孤独からのがれるのでなく、これからはいっそ孤独をもっとふかめてみようとおもいたったという。晦日(みそか)の夜に帰宅したら、産まれて間もないわが子が暗い寝床でじっと自分の小さな手にみいっていた。かれのこころはその情景にふるえ「痛覚が静かによみがえるのを感じて泣いた」のだそうだ。雪道、赤ちゃんの手、派遣村…が、私のまなうらでひとつらなりの絵になった。

(作家の辺見庸さん)平成21年1月9日地元朝刊掲載