金の工面に困窮している状況を火の車と言うが、本来は仏教語で火車(かしゃ)と言い、地獄で死人を運ぶ、火の燃えている車を意味する。
この世にはその乗り手がうようよと、どこまでも切れ目なく列なして待っている。
どの辺に私は並んでいようか。
それとも、蟻の行列を見下ろすように際限なく並ぶ亡者を見詰め、ひたすら祈りを捧げていようか。
火の車を呼ぶのは、誰。
今ある境遇を作り上げたのは誰。
「命をつなぐ」を再度読み返した。
文中の古歌が我利我利亡者の如く自分を見失っていたあの頃を思い出させた。
忘れまい、隙あらば悪が瞬時に現る危うい我を。
火の車 作る大工はおらねども 己が作り 己が乗るなり