学歴無用論は学問軽視になるのではないか。
昨日、ガソリンスタンドに立ち寄った際、目にした朝日新聞の投稿欄にあったものだ。
学歴無用とまでは言わないが、学歴偏重には昔から苦虫噛み潰す思いでいた。
人見ずして学歴で人を判定する社会風潮。
患者見ずしてパソコンで患者を診察する医師と同じで、その人の一側面だけで何が分かると言えるのか。
いい年をした職場の上司が何某を評して、「彼は有名大出だから凄い」と子どものように騒ぎ立てる。
何が凄いものか。
内心でそう思いつつも、つい同調の声を滑らしてしまい、自分に舌打ちする。
一々難癖付ける類の話でもないのでそれとなく流しているが。
それにしても学歴が偉いものと勘違いしている輩が多過ぎる。
玩具や菓子をねだる子どものように、人生経験豊かな年配者が地位、肩書、役職、叙勲を恥ずかしくもなく自らねだる。
そんな輩が社会で幅を利かせているから世の中がおかしくなる。
裸で生まれ、最期は白装束一枚身にまとい、この世の名誉や財産何一つ伴うことなく、肉をも脱ぎ棄て、人間界を去るというのに。
ある時、5つ下の弟が言った。
オレ、高卒だし、勉強できなかったから。
電話のその声は、ニートや引きこもりの人たちが発したように聞こえた。
「だから仕様がないんだ」と諦めたように。
戦後最年少の内閣総理大臣として第一次安倍内閣が発足した際、安倍総理は所信表明演説の中で、「誰でも再チャレンジが可能な社会」を内閣の重要課題に掲げ、総合的な「再チャレンジ支援策」を推進すると述べた。
残念ながら、この支援策は潰瘍性大腸炎の悪化による安倍総理の辞任によって道半ばとなってしまった。
第二次安倍内閣では祖父、岸信介の野望を果たすが如く、憲法改正に向けて強引に突き進み、また、経済優先にして原発再稼働、原発技術輸出、武器輸出に舵を切った安倍総理には日本の命運を託すには底知れぬ危うさを覚えるだけだが、弱い立場にあるニートやフリーター、女性や高齢者を救う「再チャレンジ支援策」と、小学生の「道徳教育」には少なからず期待したい。
弟よ、もう一度言う。
卑下するな
俺も高卒、一時は引きこもり、今も親には心配掛け
だから一日一日が修行、魂の錬磨
心汚すな
人の価値は見かけじゃない
足の裏のような人が真の偉い人
誰もが天上天下唯我独尊、神の分霊
健康も、運命も、心一つの置きどころ