朴念仁の戯言

弁膜症を経て

The Wheel of Life 5 

第10章 蝶の謎 ⑴

蝶だった。

みると、いたるところに蝶が描かれていた。稚拙な絵もあった。細密に描かれたものもあった。マイダネック、ブーヘンヴァルト、ダッハウのようなおぞましい場所と蝶のイメージがそぐわないように思われた。しかし、建物は蝶だらけだった。別の建物に入った。やはり蝶がいた。「なぜなの?」わたしはつぶやいた。「なぜ蝶なの?」

なにか特別な意味があることはたしかだった。なんだろう?それから25年間、わたしはその問いを問いつづけ、答えがみいだせない自分を憎んだものだった。

建物から外にでた。のしかかるマイデネックの重みにつぶされそうだった。そこへの訪問が、じつは自分のライフワークへの準備であったことなど、気づくはずもなかった。そのときはただ、人間が他の人間にたいして、とりわけ無邪気な子どもたちにたいして、かくも残虐になれることの理由を理解したかっただけだった。

そのとき、ひとり思いふけっていた静寂が破られた。わたしの胸中の問いに答える、おだやかで自信に満ちた、若い女性の透きとおった声がすぐそばから聞こえた。近づいてきた声のもちぬしはゴルタという名前だった。

「あなたも、いざとなれば残虐になれるわ」ゴルタがいった。

反論したかった。だが、衝撃のあまり、声にならなかった。「ナチス・ドイツで育てられたらね」ゴルタが追い打ちをかけてきた。

大声で否認したかった。「わたしはちがうわ!」わたしは平和主義者だった。平和な国家で、良心的な家庭に生まれ育った。貧困も飢えも差別もなく育ってきた。ゴルタはわたしの目からそのすべてを読みとり、説き伏せるようにいった。「自分がどんなに残虐になれるものかがわかったら、きっとあなたは驚くでしょうね。ナチス・ドイツで育ったら、あなたも平気でこんなことをする人になれるのよ。ヒトラーは私たち全員のなかにいるの」

議論する気はなかった。ただ理解したかった。ちょうど昼食どきだったので、ゴルタとサンドイッチを分けあって食べた。目もさめるような美しい女性で、年齢はわたしと同じぐらいに見えた。学校や職場で会っていたら、すぐに友だちになっていたような人だった。昼食を食べながら、ゴルタはそれまでのいきさつを語ってくれた。

ドイツで生まれたゴルタが12歳のとき、会社にいた父親がゲシュタポに拉致された。それが父親との永遠の別れだった。戦争が勃発するとすぐに、残された家族全員と祖父母がマイダネックに強制連行された。ある日、衛兵から行列にならぶように命令された。死出の旅へとつづく行列だった。ゴルタ一家は全裸にされ、ガス室に追いやられた。一家は悲鳴をあげ、嘆願し、叫び、祈った。しかし、一家には希望も尊厳も、生存へのチャンスも与えられなかった。

ガス室の扉が閉まり、ガスが噴射される直前に、衛兵は一家をむりやり扉の隙間から中に押し入れた。ゴルタは一家の最後尾にならんでいた。奇蹟か、神の配慮か、扉はゴルタの目の前で閉められた。扉のまえは全裸の人たちであふれていた。衛兵はその日の割り当てを早くこなすために、じゃまなゴルタを外につき飛ばした。ゴルタは死亡者リストに記載され、その名前を呼ぶ人はだれもいなくなった。めったにない見落としのおかげで、ゴルタのいのちは救われた。

嘆いている暇はなかった。すべてのエネルギーが生存のために費やされた。ポーランドの冬の寒さに耐え、食べ物をみつけ、麻疹どころか風邪にもかからないように警戒しなければならなかった。ガス室への連行を避けるために、地面や雪に穴を掘って、そこに隠れた。収容所が解放される場面を想像しては勇気をふるい起こした。生き残って、目撃した野蛮を未来の世代に伝えるために、神が自分を選んだのだと考えることにした。

「二度とできないわ」ゴルタはいった。筆下につくしがたい冬の厳しさを、ゴルタは驚異的な忍耐力で生きぬいた。力がつきそうになると、目を閉じて、仲間だった少女たちの絶叫を呼び起こした。収容所の医師から実験用のモルモットにされた仲間、衛兵や医師に凌辱された仲間を思い返しては、自分にいい聞かせた。「生きて、世界中に伝えるのよ。あの人たちがやった非道をみんなに伝えるためには、どうしても生きのびなければならないの」連合軍が到着する日まで、ゴルタは憎悪をかきたてながら、生き残る決意を新たにしていた。